(一)
地の上にあまたの国はありながら信ずる神は一つなりけり
かず多き既成宗教の本源はみな愛善に出でしをさとりぬ
われはただ宇宙万有一さいを愛するほかに何ものもなし
これは人類愛善会の提唱者たる出口王仁三郎聖師の歌である。
出口聖師は、世界のあらゆる宗教は、その大根源を同じうすると唱え、万教同根を説示したのである。聖師の浩瀚な教説の中から、二三の個処を拝借摘記すれば、即ち『神仏や、其他の宗教を信仰するというも、要するに恋愛を拡大したものであって、宇宙の元霊たる独一真神を親愛するのを信仰といい、個人を愛するを恋愛という。故に恋愛と信仰とは其の根底を同じうし、ただ大小の区別があるのみである。何れの宗教も社会人心の改良とか人類愛の実行とか、霊肉の救済とか、天国の楽園を地上に建設するとか云う趣旨の外に出づるものでない。故に古往今来、幾多の宗教が現れても、人生に光明を与うるを以て目的とせないものはない。期する所は同一の目的に向って流れて居るものである
「あめあられ雪や氷と隔つれど解くれば同じ谷川の水」と古人が歌ったのは至言だと思う。何れかの宗教を信じ、一つの信仰をもっている人は、何処ともなく物優しく懐し味があり、そして一種の光明に包まれているような感じがするものである。
それ故自分は、宣伝使を以て自任しているが、同じ宇宙唯一の大神霊に向って同じ神の愛に浴せんする目的を以ている宗教である以上は、眼目点さえ同じければ、枝葉にわたる宗教的儀式や説き方等は次の次である。宗派及び信仰を異にする人々と対立した場合の自分の心持は、春の花見に行った時、一方には上戸が居って酒に浸り「酒なくば何んの己れが桜かな」というて一日の歓楽を尽くす人と、竹の皮の握り飯を開いて食っている人や、芸者などの手を引いて花の下で他愛なく戯れている人があるように、何れも目的は花見にあるのである。其の人々の嗜好によって、千種万様の自由自在の歓楽を尽しているようなもので、其の目的さえ一つであれば別に嫌な感じもせず、春風駘蕩として面をやはらかに吹くような感じがする。』とて各人各様の信仰と宗教の存在価値を認め『大本も今迄の役員のやり方や考え方が狭少で鎖国主義で、排他的であった様です。吾神尊し、他の宗教は取るに足らぬというような態度で来たが、智慧証覚と愛善真信の度合によって、それに相応したそれぞれ異った教えを満足しているのである』と説いて大本信者の独善主義を戒め『凡て如何なる宗教であろうとも、世を利し、人を益し、天国を建設するを以て目的とせないものはないのであるから、其の美点のみを調べて、其の点を賛める様にするのである」とて他宗信者との大融和を教えているのである。さらに聖師は、
「世界統一は武力や権力でやった場合は、先に力が出た時はまた一方を圧倒して、争乱の絶間なく永久の平和を招来する事は望まれない。だから如何しても統一は精神的、宗教的、道義的に経綸を進めなくてはならないのである。大本の呼号する世界宗教統一は、大抵の人は世界中が大本の教えにならねば、世界宗教の統一でないように思っているが、各々意志想念が異っているに相応して、各々宗教も異っているのであるから、大きな目で観た場合、名称は神であろうが、仏だろうが、基督であろうが何んでもよい。総ての宗教団体なり思想界が大調和して、地上の理想世界が出現すれば、それが即ち吾々のいう宗教的世界統一の実現である。』と説いて、武断主義を排し宗教的世界統一の意義とその具体的なあり方とを明確に指示したのである。
要するに宗教的信仰は人間個々の内在的自由意志の所産であり、万人万様である。故に一宗一派を以て、之を全人類に強制するが如きは、画一的形式主義であり、統一せんとして統一を破るものである、戦争中日本軍部が、占領地域の異民族に日本民族の民族信仰たる天照大神を強制的に崇拝せしめようとした如きは、宗教、信仰の何んたるやを知らない拙劣極まる大愚策であったと言うべきであろう。
(二)
扨て以上の引例は出口聖師の教説の中ほんの九牛の一毛に過ぎない。要するに宇宙創造の独一真神たる主の神の「絶対愛」の大精神を以て全人類を救済し、闘争なく、戦争なき万人和楽の地上天国を打樹てる事が聖師終生の大悲願であり、大本の大使命である。しからば、かかる信仰と信念とを実現するために出口聖師は如何なる具体的運動を行ったのであるか。大正十二年二月十三日、払暁、聖師は数名の従者と共に日本を脱出して満蒙に向ったものである。当時の満蒙は馬賊の巣窟であり、赤手空拳を以て、此処に向うことは文字通り命懸けの壮挙といわねばならない。併し座して善男善女の御世辞と御追従を聴いている事は聖師の本領ではなかった。
理想世界は天から自然に天降るものではなく、人類の救済は観念的教説のみで達成出来るものではない。
必ずそこには神人合一の経綸がなければならぬ。聖師は先ず宗教と医術をもって蒙古を救い、興安蒙古の大平原に理想的宗教王国を実現せんとしたものである。この破天荒の大壮図は遂に張作霖軍閥の嫉視する所となり、聖師の夢は見事に失敗した。大本史に特筆すべき「蒙古入り」それは形の上に於ては失敗である。併し武力を用いず人類愛の大精神に基いて理想社会を出現せしめようとしたその平和的方法は果して永遠の失敗であろうか。過去に於ける人類の歴史は一面確かに闘争の歴史であった。革命に次ぐに革命を以てし、戦争に次ぐに戦争を以てする、それでは世界の平和と人類の幸福とは永遠に来ないではないか。暴力と武力以外に社会、国家的諸問題を解決する方法を人間が発明しないならば、全人類は遠からず、革命と戦争によって全滅するであろう。
宇宙万有一切を創造し玉える主の神の絶対無限なる真愛の大精神を理解し体得し、主神の下、全人類は兄弟にして同胞なりとの大自覚が万人に徹底するならば、世界のあらゆる問題は談笑の内に解決すべき筈である。人類の理性は自然科学において原子力の発明に成功した。しかも人間の野獣的闘争本能はこれを人類自殺の破壊的方向に使わんとしている。
人類の宗教心は社会科学に於てかかる世界の大矛盾を解消し、地上永遠なる平和への道を発見せねばならない。そこから人類の歴史は新しく出発する。
闘争に終始した人類前史を吾々は一日も早く葬って、神の慈愛に満ち充てる平和と幸福な融和相愛の世界を全人類の平和的総努力に依って建設せねばならない。
出口聖師の武力に依らざる平和国建設の運動方法は、今後に於ける人類史の方向を決定するであろう。
さて入蒙壮挙の後、聖師の採られた運動は世界宗教連合会の設立であった。全人類が大和合する為には、融和を阻害する有形無形のあらゆる障壁が撤廃されねばならない。
そうしてその基幹となるものは矢張り各国各民族の精神的対立の除去にある。しかもその精神面を受持つているのは世界の宗教であり、宗教家であるが全世界の宗教や宗教家は各々一宗派に拘泥して門戸を築き醜悪な縄張り競いに全力を挙げている。こんな有様では全人類の精神的統一等は永久の夢である。そこで聖師は先ず宗教界の障壁を撤廃する意味に於て、大正十四年正月世界宗教連合会を北京に於て設立せしめ、東亜本部を亀岡天恩郷に設置して運動を進めたのである。集り来るもの、中国の道院、紅卍会をはじめ、仏教、喇嘛教、道教、回々教等であった。続いて聖師は大正十四年六月九日、人類愛善会を創立し、世界的大活動を開始したのである。
聖師は自ら総裁となり、総本部を亀岡天恩郷に、アジヤ本部を東京に欧洲本部をパリに設置し、海外各地に連合会、分会、支部等百ケ所以上を設置して、人類救済の世界的猛活動を展開したのである。風を望んで提携又は指導を求めて来た団体はアジヤ方面では、世界紅卍会、在理会、喇嘛教、シベリヤ教会等々であり、欧洲方面ではブルガリヤの白色連盟、ドイツの白旗団、ロシヤの新心霊協会其の他であった。チェッコスロバキヤ、南米ブラジル等に於ては特に愛善堂設立計画もあったのであるが昭和十年の大本弾圧事件により、人類愛善会の活動も倶に政府当局の禁止する処となり今日に至ったのである。
大本と人類愛善会とを弾圧、破壊した日本の支配階級は、国民を煽動し、武力手段を以て、天人倶に許さざる中国侵略の戦争を開始したのである。勢の激する処太平洋戦争へ突入し、遂に敗戦を招いて日本民族を今日の大不幸に叩き込んだのである。前後十年間大本と人類愛善会を弾圧し、武断政策をとった日本は、連合国のより強大な武力に依って叩きのめされて終った。
武断主義のもたらしたものは国土の惨憺たる荒廃と国民生活の悲惨なる破壊であった。
今こそ全日本民族は、神を惧れざる僭上慢を反省し、戦争のもたらす惨害と武断主義の誤謬とを真剣に考え出口聖師の提唱せる人類愛善の平和主義に目覚めるべき秋ではないか。人類愛善会の主旨とし、目的とする処は宇宙創造の大主神の下、全人類は人格的に平等であり、兄弟同胞であるとの自覚である。従って全人類は国家、民族等の障壁偏見を突破超越して、神の大愛に目覚め、互いに敬し、愛しつつ協力提携して、闘争なき地上永遠の神の国、人類一家の理想世界を実現せんとするにある。日本国民は間違った国家主義、誤った民族主義の迷夢から醒めるべきである。
そうして主神の普遍的絶対愛を心として、全人類と共に真善美愛の地上天国建設に八千万の団結した情熱を注ぐべきである。そこにのみ、然り真にそこにのみ全人類と共に生き、倶に栄え得る日本民族の唯一の活路があるのではないか。
吾々は失望すべきではない落胆すべきではない、有史以来未曾有の大敗戦は、日本民族に対する偉大なる神の試練であり、大愛のむちである。思い上った独善的国家主義は、世界平和への道ではなく人類発達史の方向でもない。
日本人は戦争と破壊に傾倒した全精力を人類の文化的建設面に注入すべきであり人類愛善の大義に根ざした真民族主義を発見して再出発すべきである。かくする事により、必ずや日本民族は人類文化史上に偉大なる足跡を印するに至るであろう。
民族個性の発揮は必ずしも戦争挑発の原因ではない。独善的民族至上主義の国家的武装が、戦争と世界的動乱の根因である。