制度、組織を変革せねば、人類永遠の平和世界を実現することは、不可能であると主張し、その具体的方法論を提示し、且つ既に世界的実践運動に乗り出している共産主義者や連邦主義者のある反面いかなる制度もいかなる組織もそれを動かすものは人であるとの見解から、世界平和を実現するためには先ず人間の精神革命より出発せねばならぬとする運動がある。大体こうした考え方は、人道主義者や宗教家の共通した見解であり、殊に既成一切の宗教は、過去幾千年に亘って、たえずこうした運動を続けて来たのである。
かかる運動の中で今日最も盛んであり、全世界的規模で拡大しつつある運動は、MRA即ち道徳復興運動であろう。
このMRA運動の最初の提唱者は、三十余年前、極東に在住し、日本にも度々訪れたことのあるという、米宣教師フランク・ブックマン博士である。博士は、第一次世界大戦後の国際間の相互理解と平和の確立こそ、人類永遠の幸福であると叫び、如何なる軍縮も条約も、この運動を徹底しなければ有名無実だと主張したのであるが、当時の世界においては博士に共鳴する者は極めて少なかったのである。
その後、英国に渡った博士は、はからずも、オックスフォード大学の若い学生間に熱心な支持を得たのであった。そこに博士を中心とした、オックスフォード・グループなる運動団体が結成され、ヒットラーのナチズム運動に対抗して次第に共鳴者を拡大して行ったのである。
かくして第二次世界大戦後この運動は、欧洲戦災国を中心に世界各地へ急激に拡まりつつあり、現在既に百万以上の会員を擁するに至ったのである。この運動は最初クリスチャンのものであったが、現在では宗教、階級、職業を超越して、政治家も実業家も労働者も続々として入会しつつあるということであり、日本人として最初この世界大会(スイス、コー)に参列した人々は、前首相片山哲夫妻外九名である。最近民主党野党派幹事長北村徳太郎氏も、コーに向って出発したようであり、日本にもこの運動は輸入されるのではないかと思う。
しからばMRA運動の根本信条は一体何んであるか、この運動の、特質はキリスト教の信仰体験から出発しているということである。ブックマン博士は自己の体験を通じ、四ケ条の簡単な生活基準を提示する。即ち=絶対正直。絶対純潔。絶対無私。絶対愛=がこれである。
右の四ケ条を教憲として、各人は常に自己のあやまちを素直に認め、神に聴き従う祈りの中に、精神的自己革命を行わんとするものである。かくの如く個人の精神革命を通じて得られた融和は、個人を通じて家庭に、社会に、国家に、国家間に新しい空気を創り出す。かくして、全世界の人々が、人種、宗教、国籍等を超越して、相和し相結ぶ処に、戦争なき真の世界平和がおとずれるというのである。
博士はいう。『分裂は現代の特徴である。心の中の分裂、家庭内での分裂、産業界における分裂、国内、国家間の分裂………今すぐ必要なものは融和である…………分裂は則ち人間の心のおごり、憎しみ、肉欲、恐怖、貪欲の所産である。MRAこそ神によって総てが融和出来る大道なのである』またいう『私は私自身の体験を語ってみよう。四十年前、私の心は千々に乱れていたことがあった。物欲が私の心を支配しようとしていた。私はこれから逃れようとしてヨーロッパへ逃げた。しかし心の中の戦いは私について来た。ある日のこと、それはイギリスで起ったのだが、神が私の心のおごりと物欲とに対して私自身の払うべき代償を示し給うた。私は卒直にこれを認めた。これが第一歩であるまず素直に正直になることである。私は神に対して悪かったと詫びた。次に人々に対して謝罪した。これが第二の段階である。第三の段階として私は神に聴くことを知った。そして国々や、人々に正しい答えを持ち来たす使命を痛感したのであった。神は凡ゆる人々に対して融和をもたらす器とならせようと呼びかけ給うている。その融和は会議や、法規や、決意や信仰的な願望などで得られるのではなく、人の心の中の革命によって得られるのである』と。
更にブックマン博士は一九四九年(昭和二十四年)六月四日コー市マウンテン・ハウス・ホテルMRA世界大会の席上で演説して曰く。
「神は語った〝道徳的精神復興すなわちMRA〟そこに将来の希望がありMRAは百万の共鳴者を発見し、これらの人達に贈る重要なメッセージをもっている……………MRAは東洋と西洋における変化からくる驚くべき程の結合力をもっている、それは国家の運命を変えることのできる個人的見解をつくり出し、世界を作り直すに十分な力を有す、MRAは国家間の結合方法を示し、各国の家族、産業、内閣および国家の間に神霊に感じた民主主義を作り出す……………………人間が心から欲していることは、〝安全〟であり憎悪、恐怖、ドン欲から解放された世界である、そうした世界を組織するための難路は、人々が人間性は変えることが出来ないと考えている点にあるが、しかし人間性は変えることが出来る、さらに国民性をも変えることが出来るのだ………。』
以上ブックマン博士の所説によって明な如く、MRA運動の本質はどこ迄も精神主義である。人間個々の精神革命を行うことによってのみ、初めて、全人類は融和することが出来るのであり、そこにのみ真の世界平和が訪れると主張するのである。
こうした考え方は、何も新しい発見でもなければ独得の卓説でもない。釈迦も、孔子も、キリストもマホメットも、総じて古今東西の宗教家や聖人賢哲の説いて来た極めて陳腐な極めて平凡な常識論に過ぎないのである。
こうした宗教的な、道徳的な精神主義のみによって果して、ブックマン博士の力説する如く、地上永遠の平和が来るであろうか。人類社会における闘争と国際間の戦争とを絶滅することが果して出来得るであろうか。釈尊出でて、万物一体、四民平等の慈悲を説いて以来既に三千年。キリストが起って、エルサレムの野に、一神の下、万人は神の子、同胞なりとの愛を叫んで以来二千年、大地の上に闘争なく戦争なき、浄土も天国も未だ来ないではないか。制度、組織を無視した単なる個人救済的精神主義のみでは地上永遠の平和は絶対に実現しないということを過去幾千年の人類史は最も雄弁に物語っているのである。
唯物論の基礎に立ち、「存在が意識を決定する」との信念を持つ共産主義が、かかる意見と運動に反対することはいう迄もない。
ドイツ社会民主党スポークスマンは一九四九年(昭和二十四年)八月二十五日MRA運動を非難して次のように述べた。即ち「MRAは資本家の創作品である、MRAがドイツの国内問題に干渉する権利はない」と。また、連邦主義者も、単なる宗教運動や、道徳運動が決して戦争を絶滅し、世界平和をもたらす所以でない事を主張している。
リーヴスは「平和の解剖」の中で、「宗教の失敗」と題し、過去の人類史に於て、宗教家や宗教信者によって如何に残虐な、非人道な大殺戮が数限りなく繰返されたかを説き、組織された宗教信者に依って悲惨な戦争を防止する事を述べキリスト教(他の宗教も同じ)が人間の性質を変え、人間をして動物本能(野獣的闘争本能)に従う事なく道徳的原則に従わせようとして取った方法が全く不適切であった事を証明している。
キリスト教が人間の心に入りこみ、人間の性質の中に根を張る事が出来なかった事は否み得ないことである。キリスト教は道徳的行為のこわれやすい外飾や、文明の薄い殻を造っただけで、それは廿世紀の社会的噴火によって粉砕されてしまった、と喝破し、ブックマン博士の所説とは正反対の意見を述べているのである。
併し、連邦主義者は、「宗教は阿片なり」として排撃する共産主義者とはその見解を異にし、宗教や、道徳の重要性を認めている。
リーヴスはいう。『一神教たる三大世界宗教(ユダヤ教、キリスト教、マホメット教)は何れも、その本来の使命を忘れ、民族主義に堕落したということを認識することは人類の将来にとりて最も重要なことである。社会生活における人間の自由──民主主義──はユダヤ教、キリスト教、イスラム教の一神教的思想の深い影響なくしては決して建設、維持され得るものではない』と述べ、『ユダヤ、キリスト、イスラム教は神の心によりて造られ、神の前には平等である人間についての教えを説いて近代の政治的民主主義の思想を鍛錬するために十五世紀の歳月を費した』と宗教の功績を認め、だが
「一神教的諸宗教が、民族主義は、その根本教理と両立せず、ユダヤ教、カトリック教、プロテスタント教、ギリシヤ、オーソドックス教、イスラム教などの民族的、分派分裂は間もなくわれわれを破滅に導くものであることを認識することは極めて重要である』と、一神教の民族主義への屈伏とその危険を説き宗教家の反省を求め、更らに『人間の社会は、普遍主義によってのみ救われる。キリスト教が彼等の宗教のこの中枢的教義に帰り、この普遍主義をその実践の根幹とするにあらざれば彼等は民族主義時代の切迫せる崩壊のもたらす廃墟と苦悶の間から生れる普遍的宗教の強大なる力の前に消え失せるであろう』と喝破して既成一切の宗教に対し重大警告を発しているのである。
要するに連邦主義者は、宗教や道徳を否定する唯物的無神論者ではないが、民族主義や国民主義に屈伏して、戦争挑発の御先棒をかつぐ、既成宗教や、既成宗教家に世界平和への歴史的価値を認めないのである。従って世界連邦実現のための精神的裏付けを約束する超国家的な超民族的な、普遍的世界大宗教の出現を強力に待望しているのである。
かかる世界史の要求する歴史の流れに脚光を浴びて、全人類の前に登場した、一つの試みが、MRAの運動であると観る事は誤謬であろうか。
前述した如く、ブックマン博士の説く所は、極めて幼稚であり、極めて平凡である。雄大な哲学でもなく、深遠な教説でもない。しかも極めて平凡な常識論的なこの道徳復興運動が、全世界の人心をとらえつつあるのはどういうわけか。吾々はそこに「偉大なる時の流れ」を看取する。
二世紀前、トーマス・ペーンが『理性の時代』に説く所は、不思議にも、この偉大なる時の流れに触れている、『余は、ユダヤ教会、ローマ教会、トルコ教会、プロテスタント教会その他何れの教会によっていい表わされたにせよ、その教理を信じない、余自身の心が余の教会である。教会の国家的施設のすべては、ユダヤ教にせよ、キリスト教にせよ、トルコ教にせよ、余にとっては人間の発明したもので、人を威嚇し、奴隷にし、力と利益を独占するもの以外に想わないのである』と。
歴史は移り、時は流れつつある。全人類の日常生活が行詰り、不安動揺の中に、希望なき刹那的生活が営まれている今日、はんさ極まる、殿堂、教会の形式的儀礼は、最早や、働く人々にとっては何んの関係もない。古典的芸術の一種に過ぎんのである。職業宗教家の勿体ぶった独善的宗教々典の解説や、情熱なく、生命なき口先きの口頭禅をのんべんたたらりと聴いている余裕と時間とを、今日の大衆は持合わしていないのである。
生きた真の宗教は、トーマス・ペーンの云う如く広壮雄大な殿堂、教会や、古典的難解至極な宗教教典から去って、生きた働く人々の魂の中に打樹てられんとしている。
働きながら、実行出来て、然も安心立命し得る簡潔な教え、そうした全人類の切実な要望に答えて=絶対正直、絶対純潔、絶対無私、絶対愛=とMRAが答えるのだ。古今東西の宗教、道徳を集約して、全人類の暁望の前に簡潔明快な回答を与えたブックマン博士は、確かに「偉大なる時の流れ」を看破した世界的先達の一人といい得よう。
さて、こうした道徳復興程度の精神運動で、将に激発せんとする第三次世界大戦が防止出来得るとは私は考えない。しかし、人間が単なる物質の結晶体でなく、魂の自由と安心とを求めてやまない霊動体である以上、物質以上の魂の糧を求めている事は事実である。永い間の悲惨な闘争を繰返し、第一次第二次の世界大戦の惨虐さを身を以て体験した全人類は、戦争なく、闘争なき地上永遠の平和を求めている事も事実である。
こうした全世界人の要望に答え、物心両面の見地から、人類救済の具体的大経綸を提げて起ち上る、古今独歩の大聖雄は出ないのか。