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宗教の生命

インフォメーション
題名:[4-1-10] 宗教の生命 著者:出口王仁三郎
ページ:230 目次メモ:
概要: 備考: タグ: データ凡例: データ最終更新日:2016-12-13 03:36:08 OBC :B195303c411
初出[?]この文献の初出または底本となったと思われる文献です。[×閉じる]『神の国』大正15年12月号(原題「伊都能売」)
 全体、神が地上に宗教を樹立したまうたのは、死せるがごとき人生をあわれんで溌剌たる生気を賦与せんがために、慈愛の御心より湧出したもので、あたかも水気の失せた人生に、瑞気を与うる霊の水を(そそ)ぎ、復活せしめんとして、天極至微宮(てんごくしびきゅう)より法爾(ほうに)として降したまうたものである。罪悪の淵に沈淪(ちんりん)し、五欲の痛手に煩悶苦悩するところの人生を救い浄め、種々雑多の境遇から悲惨の幕につつまれている可憐の衆生を撫恤(いたわ)り、かつ慰め激励して、一大光明界に向上安住せしめんために、神々の久遠劫来(くおんごうらい)からの御経綸である。神の無限無極の大慈悲より湧発せられたものである。
 さすれば宗教なるものは、人事とけっして没交渉なる無用の長物でも玩弄物(がんろうぶつ)でもないのみならず、じつに宗教は人生の光明であり、人生の生命であり、人生活動の大原動力である。
 昔のインドのバラモン教が儀式や呪誼(まじない)や苦業一辺に流れ、かつ一方には哲学のごとくになって、煩瑣(はんさ)的研究に流れてしまい、人生の活問題とはなんらの接触もなく、バラモンはじつにお祭りの役人のようなものになり、ぜんぜん宗教的生命を失ってしまったときに、仏陀の実際的、実力的宗教はおこったのである。このことを思いおこすたびごとに、今日の日本宗教のうちに、とくに真言、天台あるいは神道宗教等のうちにおいて、煩雑きわまる儀式や理由の分からぬ呪文を空誦(くうしょう)したり、また訓詁(くんこ)的註釈や、古めかしい研究にとらわれておるものがきわめて多いが、じつにはがゆきしだいである。一日もはやく、この種の外道が現社会より亡失しなくては、いつまでも世は妖邪の気につつまれ、衆生は迷蒙の淵に沈淪し煩悶せなくてはならないのである。
 大八洲彦命(おおやしまひこのみこと)の化身なる釈迦は、その時において、衆生済度のためにきわめて清新なる、直截(ちょくさい)的なる宗教を開始したのであった。その絶大無辺なる如来的、神的人格によって、まずインドの民衆を、新しき活きたる仏教に風靡(ふうび)せしめた。これがために、当時のインド人は真の生命をえ、現身光明常住の世界に復活し悦楽したのである。しかるに仏滅後ここに二千五百年、仏の説いた実際的宗教は、いたずらに戒律主義や学問的に流れてしまい、その涅槃(ねはん)観のごときも、灰身滅智(えしんめっち)の外道的邪見に堕落し、貴重なる人生をむなしく終わり、人事を厭忌しはじめたのである。
 そこで諸法実相、人事即仏法の大楽天主義の大乗仏教が、ようやく興隆しはじめたのである。『法華経』、『勝鬘(しょうまん)経』、『維摩(ゆいま)経』『観音経』などをみても、驚くばかりにその教理を説いているのである。この目的は人事いっさいの行事を挙げて仏事となさんがためにおこったものである。
 そもそも宗教なるものはいっさいの人事を理想化し、清浄化し、天国化し、一人一家、一国世界全体を向上せしめ、安穏ならしめ、強盛ならしむべきものでなくてはならぬのである。もし宗教にして右の主旨に反するならば、なにほどその教理が深遠でも、高妙でも、つまり無宗教も同然である。いわゆる無用の長物、害世の醜教となってしまうのである。そこで昔の高僧は、「裟婆一日の化益(けやく)は未来永劫の極楽にまざる」といったが、じつにおもしろい観察であると思う。宗教はあくまでも人生活動の源泉となり、生命となり、活力となるものでなくてはならぬ。ゆえに宗教の信者は、この信念と覚悟とをもって宗教をあじわい、これを人生行動の生命となさなければならぬ。
(伊都能売、「神の国」大正15年12月)
   
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