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皇道経済による農村国策の大要

インフォメーション
題名:皇道経済による農村国策の大要 著者:河津雄
ページ:730 目次メモ:
概要: 備考: タグ: データ凡例: データ最終更新日:2020-10-08 07:36:45 OBC :B195502c220409
初出[?]この文献の初出または底本となったと思われる文献です。[×閉じる]『神聖』昭和9年12月号
皇道経済による農村国策の大要

        昭和神聖会 河津雄

   一、農村窮乏の原因の点検

 農村の窮乏と其の救済に就ては、最早論究し尽され今はただ如何にして農村を救ふべきかの実行方法が残されてゐるだけになつた。ここに其の実行方法を考察するに当つて、これまで論議し尽された、農村窮乏の事情を列記して見る必要があらう。
一、人口が多過ぎて耕地が足らぬ。
一、これを救ふために副業を奨励したが、充分の効果がなかつた。
一、副業奨励に伴ふて農業が半ば商業化し従つて農業に投機的思想が混入した。
一、其の結果質実の気風が失せて虚栄の風が増長した。
一、副業中最重要なる蚕業が人絹に圧せられ、其他の理由も加はつて、収益が無くなつた。
一、欧洲大戦の影響であつた好況時代の癖だけが残つて其時に拡大された社会的一切の施設の維新が困難になつて来た。
一、特に教育費の膨脹に苦んでゐる。
一、これら一切の行がかふりを弥縫するために取つた手段は諸種の金融施設であつた。
一、其の金融機関は農工銀行とか信用組合とか云ふ形で農村に資金を供給した。
一、農村はその金を借りて諸種の改良施設、副業等に使つたが、其の借金のために父祖伝来の資産を担保に提供した。
一、結局借金の利息に追はれて、担保物を手放す外なく実質に於て元も子も失つて了ひつつある。
 大体右の様な成行で、農村の山野田畑は旧の如く農村に残つて居るけれども、それは山野田畑の形骸だけであつて其の収益を収得する権利の実体は都市の資本家の手に帰してしまつてゐるのである。斯くの如くにして『働けど働けどなほわが暮し楽にならざりぢつと手を見る』といふやうな一青年の歌が有名になつた、それ程農村は悲惨な実情に陥つたのである。
 都市の資本家といふのは何であるか、必ずしも大都会に住む大資本家と限られるのではない。資本主義的風潮は、農村に住む者の中にも浸み込んで、本人は何ら資本主義的自覚はないけれども、実は資本主義の為に直接間接大きい活躍を続けて来たのである。其の内容をここに点検して見るならば
一、田舎から代議士になつて出て利権を追ふ者及びそれに従ふ者。
一、県会議員、市町村会議員の類、並に都会に出て職を奉ずる一切の人々。
一、農村の風上に座つて、自らは酒色を楽しみながら農村の利得だけを収得しようとする人々。
一、上述の仲間入りをするために学問を追ふて都会に出る青年男女。
一、これらを高等な生活様式であるとして、農村の子女に対し無暗に上級の学校入学を奨励する地方小中男女学校の教師達。
一、これに追随する農村の公吏達や所謂有志等の態度。
一、これらの人々に追随する一切の父兄子女の思想。
一、質実なる農村生活を自ら営むことを欲せず、言を換へて言へば自ら土に親しむことを為さず、好んで銀行や信用組合等の吏員に就業する者。
 これ等一切の傾向其ものが、筆者の謂ふ所の都市の資本家、又は資本家側に従属する者、であるのである。此の点を農村の人々及び一般国民に深く考へて貰はねばならぬのである。

   二、農村救済の主要方策

 前項述べたところに依つて、農村が如何なる原因で今日の窮乏に陥つたかといふことは略ぼ判つて貰へたことと思ふ。然らばどうすれば農村は救はれるであらうか、それは自ら明かである。
一、都市の資本家の手に帰してゐる資金を農村に還元し、農村の負債を消却せしむること(これに依て利払ひの困却を救ふ)
二、農村の自給自足の方策を樹つること(これに依て農村の金銭支出を減ずる)
三、義務教育以上の教育は、地方の実情に応じて発達せしむること(特に選ばれたる者の外は他への遊学を禁じ、高等遊民の濫造を阻止する)
四、副業を農村本来の面目に復帰せしむること(蚕業の如き商業的農業を漸減する〉
五、主要産物の価格を公定すること(穀類納税の方法も講ずる)
 以上の方策中には既に諸方面に於て唱へられてゐるものもあるが、第二項及第三項の精神に於て聊か他と異るものがある。けれどもこれが論究は後段に譲るとして、これらの諸問題を実現するには、異常の決心と高徳明智の人物と、多額の資金とを必要とするのであるから、此点が今日解決せられず、徒らに喧々囂々(けんけんごうごう)の声のみ高い所以である。然らば如何にして前記の諸方策の実現を期するかといふ問題に帰するが、第一項に就て世に行はれてゐる説は、政府の力で数億の低利資金を農村に融通して、当面を救へといふのが、合法的な一番手近な説である。けれどもそれは高利を低利に借替へるだけのことであつて、利払ひの困難を少しく緩和する程度のものに過ぎない。これでは俗に謂ふ焼石に水の程度でしかない。
 救済を徹底的に行ふには、国家が豊富なる資金を以て無利息で農村の実質的復興を見るまで補償してやるより他に途はない。これを一歩進めたものが世に謂ふ借金棒引論である。借金棒引が実現出来れば至極結構なことであるけれども、これを断行し得るだけの大政治家が出て来なければ言ふべくして行はれない説である。仮にこれを断行するとして、其の資金は何処から得るか、現在の法制下にあつては、公債に依る方法より他はない。その公債に無利息で応ずる者がないとすれば、国庫の負担は何人がこれを償却して行くかといふことに落ちて行く。凡人の寄合では出来ない相談である。相談が出来ぬから掛声だけの農村救済であつて、見す見す窮迫は加重して行く一方ではないか。ここに於て蓋世的偉人の出現を待つ外はないのであるが天は決して我が農村を見棄てず、既に目前に大智者を見出したのである。其の人こそ昭和神聖会の創始者出口王仁三郎氏であると吾等は信ずる。先生は会の発起と共に、声明書、主義、綱領の外に、二種の小冊子を発行して、基本政策を世に問ふた。
 「祭政一致の大道」「皇道経済我観」
がそれである。その『皇道経済我観』に於て説く処の基本方策に依れば前に述べた農村救済の資金が、何らの不安もなしに得られて、而も国体精神其ものの発揚となり、国の上下を挙げて興隆するのである。以下その方策を摘録し、併せて聊か説明と敷衍を試みようと思ふ。

   三、御稜威為本土地為本の財政経済

 皇道経済に依る農村の立直しは、単に農村だけの問題でないことは申す迄もない。従つて真に農村救済策を立てるには、国家の財政経済の根本から、立直してかからねば、纏まりのつきやうがない。封建的な農村であれば、農村だけの方策で、或程度まで徹底した策が立てられるけれども、今日の如く中央集権的制度の下にあつては、国家の一切の施設方策と、農村の盛衰と、相関不可分の連鎖に置かれてゐるのであるからどうしても国策全体と相俟つて立なければ農村を救ふ方策は立てられないのである。であるから問題が非常に大きくなるから、農村問題が矢釜敷く言はれながら手の下しやうが無いといふ実情に在るのである。即ち前段に述べた都市の資本家の手にある資金を農村に還元する方法を実現するには、ここに奇想天外とも言ふべき、大策に依らなければならない。それが即ち皇道経済策なのである。曰く
『現代の経済は、総て外国流の金銀為本のやり方であるから、これを改めねばだめである。金銀為本のやり方は西洋でも既に行詰つてゐる。此のやり方が駄目であることは皇典古事記の中巻に明示されてゐる。
 ここに大后(おほきさき)に神がかりありて、(こと)教へ覚したまひつらくは、西の方に国あり、金銀をはじめ、目の輝く種種(くさぐさ)珍宝(うづたから)その国に(さは)なるを、吾今その国を()せ給はむと詔りたまひき
とある、此意味は金銀を以て本と為す国を我が国のやり方に帰せしめる、との意味であるから神意は即ち農を以て、本とせねばならぬのである、日本には金銀より尊い皇室の御稜威がある、この御稜威が本となつて紙幣が発行さるれば、国民は安心して使はして貰へる。外国では一寸真似が出来ないが、日本では出来る、それは、普天の下、率土(そつど)(ひん)に至るまで皆悉く皇室のものであるからである、その土地を一旦全部皇室にお還し申上げる、その土地が皆皇室の御財産となるから、皇室の御稜威に依つて紙幣をお下げ頂けば、どれだけでも伸縮自在に調節が出来るわけである、即ち御稜威を本と為し、皇室の御財産たる全土地を本と為しこれを以て経済の基本とすればよいのである、一方に於ては其土地を更めて民間に借下げて頂くことにすれば、万代不易に安心して生産に従事することが出来る。担保に取られて、父祖伝来の田地田畑を失うて、失望するやうな事柄は起つて来ないのである』
 右の説に対して、そんなに自由に紙幣を発行したらば、物価が無暗に騰貴するであらうと言ふ者がある。それは一を知つて十を知らざる者で、紙幣の乱発をするのではないから、調節の方法を講ずればよい。さうして別に物価を公定すればよいのである。これに反対の声を上げる者は、つまり投機的に自分一人だけ儲ける事が出来ずに、真面目にやらねばならぬから何とか彼とか反対説を考へて、矢釜しく言つて見るだけのものである。真剣な心持で国民全体の幸福を考へる者には、直ぐに解る道理である。
 前述の方法は、皇室の御稜威に依て、借金棒引を実行して頂くことになり、発行した紙幣は自然、その貸主たる都市の資本家の手に回つて来る。さすれば自然銀行に納まる、銀行の手を経て皇室の御稜威に依つて再び農村に回してやる。これを繰返せば、農村の資本は完全に農村の手に還元するのである。資本家は何うなるかと言へば、皇室の御稜威に依る証書(此証書には利息を付せず其の代りに身分保証とか子孫の生活保証とかを付せば妙であらう)を手に握つて、これ亦安心此上もないのである。斯くて誰の腹もいためないで、農村問題が解決するのである。
 資本主義的個人経済制度に習慣づけられた頭脳で考へると、一寸狐につままれた様な話であるが、実は何の不思議もないのである。それは丁度、大金持の一家の家長の財布の金、が、先づ妻君の手に渡り妻君が子供の借金を払つてやり、払はれた者がもとの家長に金を預け、預かつた金を再び妻君に渡し次々に回すのと同じことである。家長の信用が厚ければ出来る話である。
 実を言ふと、農村が窮迫してゐるといふのは蚕業を偏重したり、其他特種の副業に重きを置いた地方が、特に窮乏してゐるのであつて、差当つて真に衣食に窮してゐる者は、特別な区域を除けば左程多いとは言へない(本年の凶作は別問題)。其点になると都会の中小商工業者や所謂高等ルンペンと言はるる失業者の方が、其日に迫つて窮乏してゐるとも言へよう。ただ吾等の深憂は、人心の頽廃して、享楽を追ひ、農村の青年子女は農村の生活に安住せず、無暗に資本家を呪詛し都会生活に憧憬(あこがれ)て軽佻浮薄の気風が滔々として堅実なるべき農村に浸透しつつあるの一事であらねばならぬ。由来日本は農本の国である。この国家の礎である農村に、堅実なる思想が失せてしまふことは、真に由々しき大事であつて、如何に軍需工業が起つでも、如何にインフレ政策に依つて、一時的殷賑(いんしん)が見られても、それは恰も欧洲戦争後の反動的好況と同様に、人生の基本的必要から発したものでないから、文弱的自由享楽的の表面的方面が進むだけであつて、真に国家の安泰でもなければ、人類の幸福を増進するのでもないからして、此所に亡国的気運が胚胎するのである。我軍部方面に於て、邦家の危急と、国防の充実と、農村の実情とを照し合せて、非常に憂惧(いうぐ)してゐるのは此点に存する訳である。何故に農村はしかく暗澹としてゐるか、今直ちに食へないと言ふよりは、一般文化の進運に比して、農村の前途に光明がないといふ失望的意味の方が深いのである。此の意味に於て皇道経済の説は左の如くである。
『皇道政治は、先づ軍農中心から始まらねばならぬ。これも亦皇典古事記の明示し給ふ所であつて、細矛千足の国とは、農を本とし、衣食住の堅実にして、国本国防充ち足らひ、世界万邦を指導帰服せしむる如き、世界の中津国でなければならぬとの謂である。此故に皇道経済に依つて
一、農民全部の債務を国家の手に依つて皆済する事
一、軍民の生活安定を国家に於て保証する事
一、凡ての税は皇道経済の確立するまで免除し国民の更生をはかる事
等を先づ実行し、国の基礎を鞏固にしなければならぬ』
といふのである。

   四、天産自給の基本政策

 而して又『皇道経済我観』は皇道経済と、金銀為本経済との差異に就き帝道国(立憲君主国)と王道国(専制君主国)と覇道国(弱肉強食国)とを比較対照的に列記し、而も現代の日本国民が、日本国をも帝道国即ち立憲君主国なりと誤認してゐる現状を指摘し、我日本国は上記の何れの政道にも相当せず、実に皇道国(天立君主立憲国〉であると喝破し、其処に皇道の絶対権威を説き、皇道政治、皇道経済が天定の大政道であり、大政策であることを説いてゐる。世人は此点に最大の注意を払はねばならぬのである。即ち『日本帝国』といふ呼び方からして根本的に誤つてゐるといふのである。この大思想から流れ出たものでなければ真の農村救済策にはならぬのである。茲に於て記者が前に掲げた所の方策第二項の『農村の自給自足』の問題が出て来るのである。自給自足とは農村自体が個々の立場に於て小細矛千足の国でなければならぬとの謂である。これは単に武備の意味でなく衣食住其他一切の充実した国と云ふ意味に於て、さうあるべきが本質であるからである。国々が山野河海の天然に於て、一区画を形成してゐる事が、其儘天意に出て居るので夫々国魂の神の御守護の下に分在してゐるのである。斯るが故に、夫々自給自足の出来る様になつてゐるのが千足の国の本然の姿である。故に地方分権とか地方自治体といふことも、外国流の政治的方便でなく厳粛なる意義に基くものである。神の定めし国魂神の守護区域は、現代に於て多少の混合があるらしいが、それは或時期迄遠慮することとし、原則として右の様な次第であるからして日本皇国内に於ける各地方が自給自足の本則を無視し、謂ゆる自由競争的に将又弱肉強食的に、金銀為本の外国流の分業に気を入れて、目前の利に走るを以て能事足れりとするのは、其根本に於て、已に皇道政治、皇道経済の大精神に背戻してゐるものである。近来米価の高低に苦しめらるる現象を救ふために唱へ出された一説に米麦本位の単一農業を排して多角形方式に改むべしと為すものがあるが、これが既に金銀を本位とした説であつて皇道経済とは正反対の考へ方である。此弊政は遠く、貨幣制度輸入の時から始まつてゐるのであるけれども、近くは明治維新の当初に於て、明治大帝の御思召に従ひ奉らなかつた事に胚胎してゐるのである。即ち神を知つて居つた西郷隆盛が引退させられたり副島種臣の言が軽視せられたりして、当時の軽薄才士等が一にも二にも西洋の制度を採用したことに始まつてゐるのである。右の如き深き理由あるが故に皇国の政治経済は先づ其根本を天産自給の本則に復さねば駄目である。金の利息に苦しみ、それを政府に補助して貰ふ如き、絆創膏を貼つた様な応急対策では、何等の効果はないのである。
 けれども、直に本来の面目に復ることは困難なことであるから、多少は現状に即した、枝葉の方策も止むを得ないであらうが、既成政党の人気取り政策程度では百年河清をまつに等しき結果に終るのは必然である。或時、政務官にもなつた事のある某党の代議士が記者に向つて、マルクスの理論は正しいのだが、代議士として、そこは国体といふ歴史的鎖があるからネ、と語つた事がある。此思想は独り彼代議士だけの思想でなく、所謂知識階級の通念とさへなつてゐるのである。これが今日の農村窮乏の真因をなす抑々の過誤の始まりであるのである。

   五、教育制度の根本改革


 一切の政策の誤りは前記代議士の言説の如く、誤れる教育、謬れる読書から流れ出て来るのであるから、記者が救済対策の第三項に掲げた如く、教育制度の改廃から始めねば断じて農村の更生は出来るものではない。マルクス主義の盛んに唱へらるる以前の、英、米、独、仏諸国に興隆した重農主義も、重商主義も、自由貿易主義も、保護貿易主義もこれ等外来経済学的国家政策の一切からして、根本的に立直さねばならねのである。如何に立派らしく尤もらしく見える経済学説も、国土創造の神の方針に悖戻(はいれい)するに於ては、断然行詰る様になつてゐるのである。天則に違反してゐるからである。皇道の御稜威がお許しにならぬからである。此大切な点に気がつかぬから気のつくまで、農村も救はれぬのである。農を以て本とする国柄と神約せられた国で、農村が救はれぬといふことは、国策が確立してゐないといふ結論になるのである。
 土地本位を徹底的に理解する事に依て、自給自足の国策を立て其国策の一分担区画として、農村更生の策を立なければならぬのである。農村の子女をして、土に親む事を厭ひ、サラリーマンになりたがつたり、タイピストになりたがつたり、甚だしきは三文文士や活動俳優や、拳闘土や、スポーツの選手、山登りの名人や、ダンサーやになりたがる者を、不思議とも思はぬ、所謂似而非文化の発達を推奨するが如き、都会羨望の思想を絶滅し、剛健にして高佳なる郷土哲学を復興せねば、千万円や億万円の補償金の支出の如きは末の末の問題であるのである。吾等の(おそ)るる農村問題とは、既成党人の寝言見た様な農村問題でなく、もつともつと深刻な、大日本皇国の興隆に関する根本問題である。土を厭ふが如き風潮を助長する、思想的なものに存するのである。
 斯く云へば、そんな迂遠なことで窮迫せる農村の現状を何うするかと、青筋を立てる青年があるかも知れぬが、そんな近眼な、勇気の欠乏した青年では、農村救済の道伴れはむづかしいであらう。それは魂が腐敗してゐるのであるから、先づ魂を取り返してからの問題である。魂をとりかへすには、長い時間は要しない、皇道教育に耳を傾けた瞬間から、彼等は直に大日本皇国の基本農村青年となり得るのである。
 併し乍ら、国家はまた国家として、且つ農村の親として、それに対するだけの方策を立て、施設を設けてやる義務があるのである。一切の大学も専門学校も帝都中心主義を改廃し、どしどしその特色々々に従つて学校を地方に移動することである。農村中心の学校制度を確立すべきである。さすれば知識は農村に移り名誉は農村に帰し、幸福も憧憬も帰農するのである。かくて陸海軍の予備将軍も、名誉ある学者も、農村に帰つて行ける様な施設を施すならば、帝都には大政治家を養成する特設の最高学府ただ一つを置くことにて足るであらう。

   六、農村副業の根本観念の是正

 次には、農村の副業を農村本来の面白に復帰せしむることである。現在までに政府が発達を奨励し、農村自体も好んで走り寄つた、すべての副業は、農村本来の副業でなく、多くは金銀為本の経済制度に伴ふ自由主義的生存競争の必要からそれに刺激せられて発達したものである。これは大日本皇国本来の面目ではない。
 前段に述べた、自給自足の本則に立帰ると同時に、副業の性質は当然一変せねばならぬのである。故に先づ租税を減免し、酒、煙草、醤油、肥料、農具、織物、塩、砂糖等々農業に必要なる一切のものを農村に還元するのである。さすれば真正なる地方自治は大いに発達し、中央には、皇室を中心とする徳政の枢府のみが厳存することとなり、地方農村は、皇国本来のオホミタカラの興隆する楽土と化するであらう。
 斯くて都市に盲集したるルンペンは、楽しき田園に帰るであらう。然らば必ず、都市に集中した無益の国費は、分解作用を起して、農村興隆の諸経費に転じてしまうであらう。
 茲に今一つ問題がある。それは、外来文明に中毒した連中が、対外貿易は何うするかと問ふに相違ない。併しそんなことは屁のかつぱである。それは実行の場合が来た時に、皇道経済でやれば、案外易々たることであるから、ここには煩雑を避けてただ貿易局見た様なものを設置し、それには今の三井物産の如き経験ある方面からも人材を採用し、徳政の下に奉仕せしむればよいとだけ説明して置くに留めよう。
 最後に主要農産物の価格を公定する問題であるが、之とても皇道経済政策が確立して国民全体が其制度に馴れ、運用の道が定まる迄の便法であつて、困難な事でも何でもない。公定と言へば難かしくなるから、寧ろ標準価を定めると言ふ位に考へた方が理窟に陥らないでよいかも知ない。ただ実際問題としては暫定的に公定する必要が起るであらう。而も中間政策としては租税制度の存置せらるる間、或期間中、米穀其他の主要産物を以てする金銀に代る納税方法を認め最適の時期に国家が此を売却するの手段を講ずる等、種々の方策を立てねばなるまいが、それ等はさまで困難な業務ではない。
 以上の如き新政策を実現するに於ては、自然、華族制度、選挙法、司法行政、徴兵制度、刑務所制度、一般権利義務の行使等に於ても、すべて皇道政治の大原則の下に改廃せられねばならぬけれど、其方策は他日に譲ることとせねば却つて繁雑を感ぜしむるであらうからここには略することとする。

   七、皇道経済の実行と人

 以上述べ来つた如き、金銀為本経済の渡来以来未曾有の大改革を行ひ、これを神聖皇道政治の下に、御稜威正為本、土地副為本の経済政策に立直すには、相当大きな勇気と、大智と、大徳とを必要とするは勿論である。
 出口統管は、其声明書に於て『敢然身命を挺して聖慮を安んじ奉らむとす』と述べてゐる。のみならず本会地方本部の発会式後に於ける、大阪、金沢等、数度の座談会席上に於て、地方有識者達の質問に応じ自分の言つたことは必ず実現すると、力強く述べてゐる。ただ大風呂敷をひろげるだけであるならば、それは狂人じみたことであるが、先生は長い歳月の間、世の誤解と罵倒、嘲笑の中に隠忍を続け、四十年間一日の如く、皇道政治の真髄を研鑽して居たのである。さうして今や世界各国に其超凡さを信ずる者続出し、遂に東都に於て、昭和神聖会の創設を見るに至つた。これ実に時代の要求であることは今更申す迄もあるまい。発会直前のことであるが、先生は慎重の上にも慎重の態度をとり、一夕知名の士数名(一名を除く他は殆ど初対面)を招じて談話を交換した。来会者各位は昭和維新の提唱者として、出口先生を唯一無二の人なりと其奮起を慫慂(しようよう)したのであつた。
 十七年間先生に師事した記者は或時問ふた事がある『先生は一日に数十百の人々に対面せらるるが如き面倒なことがお好きですか』と。先生答へて曰く『否、わしは竹藪の中か何かに草屋根の家を建てて芋や大根を作り、余暇に好きな画を描いたり、歌を詠んだりしてゐたいのが本心である。けれどもそれでは神命に背くから、仕方がないのぢや。誰がこんな苦しい事を好くものか』と又或時『大本の神殿や其他の殿堂をお造りになれば、世間は誤解して、名誉心のためだ、彼も矢張り一種のブルジョアだと評しますが』と。先生曰く、『こんな建物はわしには必要はないが、神様が必要だと言はれるし、俗人は何も無しでは、わしの真相を知つて呉れる者が無いからのう』と。
 一世を導くやうな人は真に大智、大徳の所有者で而も真に無欲の士でなければならぬ。皇道経済の実行の如き大問題は、名誉や地位を欲しい様な、そんな程度の人物で出来るものでは無い。四十年と言へば殆んど一生である。国法に問はれ、世俗に罵られ、而も一念皇国の前途を憂ふるの大志があればこそ、遂に世の識者に推さるる日が来たのである。
 記者は思ふ。一片の野心なく、竹藪の中に芋を作りたいのが本心であるやうな人であつてこそ、真に救世的大業を托すべきであらうと。ここに皇国の志士仁人が集ひに集ふ日が来るならば、吾等の待望する皇道日本はいよいよ世界に最後の雄飛を実現するであらう。それには先づ皇国日本の基礎たるべき農村の真正なる青年が、皇道経済を理解して、この大立直しに馳せ参ずることである。
 (ああ)光輝ある大日本皇国よ。今目前に迫りつつある農村の窮迫は、次に来るべき大光明の日を招来せんとする天祖国祖の大神の御神意に出でたることを知るならば、何を以て泣言を列べる必要があらうぞ。小異を棄て大同に参じ、皇道農村の再建設に取りかからうではないか。
 手段は誤つてゐたとしても、五・一五事件の陸海軍青年将校の誠意、また血盟国事件の人々の熱意を、無益に終らしめず、同胞互に大覚して、国難打開の一路に邁進しようではないか。(終)

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