問 出口王仁三郎に不敬の行為なかりしや。
答 私の見る所では出口王仁三郎に不敬の行為はありませぬでした。
問 被告人は予審に於て出口王仁三郎が統治者を以て自認し数々の不敬行為を為し居りし旨斯様に供述し居るが如何。
此の時裁判長は、
被告人東尾吉三郎に対する予審第八回訊問調書第三問答を読み聞けたり。
答 夫れは警察以来予審で度々言はれ其の様な調書になつたのでありますが、私は出口王仁三郎の行動には不敬の点は無かつたと思つて居ります、以下予審で問題になつた点に付順次申し上げます。
祭服の知識は私にはありませぬでしたが王仁三郎が祭服として着用して居た際服調製師の福知山の衣川装束店主が私に此の祭服は黄色なので陛下の御着用になる黄櫨染に間違ひ易いが私は充分調べて造つたのだから心配はいらぬと申して居りましたので何とも思はぬに居りました。
王仁三郎の行列は昭和神聖会になつてから仰々しくなり上つ方の行列に似て居ると聞き之は出過きて居ると私は思つて居りましたが参謀の下位春吉が飛鳥落す勢で切廻して居たので私の力では如何する事も出来なかつたのであります。
白馬の事は神馬の事の様に思ひ王仁三郎が乗つて昭和青年会を査閲したのは別に悪いとは知りませぬでした。
神器の事は穏当でないとは思ひましたが神様として御祭りするのですから悪いとは思ひませぬでした。
六合拝は大本でやつて居りましたが、岩田久太郎が御皇室で為される四方拝と疑はれるからと申し夫れより廃止し元朝祭か元旦祭かに替へたのであります。
昭和五年旧正月元旦の時王仁三郎が唱へた、
天が下四方の国々尽く 我が言霊に靡き伏すらんなる歌は宗教的意味のものであり別に不都合だとは思つて居りませぬでした。
岩戸開は筆先にもある通り我々の心を開く神様が此の世に現はれ日本の天皇が世界を統一し世界に君臨されるみろくの神様が此の世に現はれると謂ふ様な意味でやつたのですから別に不敬にならぬと思ひます。
問 被告人は予審に於ては王仁三郎が金輪王として日本及世界を統治する旨文献に基き斯様に供述し居るが如何。
此の時裁判長は、
被告人東尾吉三郎に対する予審第六回訊問調書第七問答の一を読み聞けたり。
答 私の主張に反する予審調書であります、警察で金輪王とは誰だと訊ねられ神様の事でせうと申したのですか、夫れが王仁三郎だとされて終ひ予審迄来たのであります、王仁三郎は私に金輪王とは神様の事だと申して居りました。
問 皇道大本の財政状態如何。
答 予審で申上けた通り相違ありません。
問 被告人は予審に於て斯様に述べ居るが如何。
此の時裁判長は、
被告人東尾吉三郎に対する予審第二十二回訊問調書第十問答を読み聞けたり。
答 其の通り相違ありませぬ。
問 現在の心境如何。
答 私は実質的では公明正大でありますが嫌疑を蒙つた事に対しては非常に申し訳無く思つて居ります、皇道大本等もう問題ではありませぬが皇道大本によつて培はれた敬神尊皇の精神は何時迄も忘れずに忠良なる皇民の一人として今後は進む心算であります。
富沢弁護人、
裁判長の許可を受け右被告人に対し、
問 出口王仁三郎の霊界物語口述は人間の業で無いと申せしが其の口述状況の詳細を述べられ度し。
答 今迄の被告人が申した通りてすが口述中考へる事が無くスラスラと口をついて出る丈けで私は斯様な事は人間業では出来無いと申したのであります。
問 みろく大祭には祭司が無かつたと申せしが同祭は大祭ぢやなく普通の祭に非ずや。
答 式の上から申せば簡単なもので大祭とは言へませぬ。
問 曩に裁判長より示されたる真如の光に大祭は重大なる意義あるとの記載されありしが重大なる意義とは大本の常套語に非ずや。
答 重大なる意義なる語は皇道大本の常套語になつて居り聞く信者の方でも関心を持つて居りませぬ。
竹川弁護人は、
裁判長の許可を受け右被告人に対し、
問 天照皇大神は天津神国津神の御両体を備へらるる神様なりや。
答 両体を備へられた神様であり天津神国津神の両霊を備へられて居ります。
問 左様な文献ありや。
答 あるかも知れませぬが私には判りませぬ。
問 王仁三郎は大正十年不敬事件に付予審で盤古大神に付如何に供述為したるが記憶なきや。
答 判りませぬ。
今井弁護人は、
裁判長の許可を受け右被告人に対し、
問 みろく大祭を期とし大本の活動上に何か変つた事があるか。
答 昭和三年三月三日一日無役になり王仁三郎が主たる役に就き役員一同は以後各一段宛役職が下つたのと十六神将の型をやつた丈けで活動の上では従来と別に変つた処はありませぬでした。
問 十二段返しの歌の存在せし理由を如何に考へるか。
答 先程申した通りで教祖や王仁三郎の筆先を真似て書いた地方の神憑りの者が王仁三郎から貰つたと言つて持歩いて居たのであります。
問 共産党員の様な者が大本へ這入つて来てやつたのではないか。
答 神懸りの者がやつたのであります。
問 被告人の供述は予審と公判とに非常な差異あるが皇道を説く者が何故予審に於て左様な供述を為さねばならなかつたか其の理由を腹蔵なく述べられたし。
答 警察で暴行を受け已む無く認め調書が出来たのです、予審では此の警察の調書を基本として大本は不敬不逞の団体なる事を懇々と説き聞かされ私が幾ら左様でないと申しても聴容れて下さらなかつたので、致し方なく諦め公判で真実の事を申さうと思ひ予審調書に署名拇印したのであります。
清瀬弁護人は、
裁判長の許可を受け右被告人に対し。
問 被告人が警察で拘束されたるは昭和十年十二月九日にして警察で第一回聴取書を作成されたるは昭和十一年二月二日なるが拘束受けたる日より二月二日迄は警察に於て如何に為し居りしや尚警察検事局に於ける取調べ模様の詳細を述べられ度し。
答 警察では昭和十一年一月十九日より京都府巡査講習所で始めて取調べが始まり二日間は倉本警部補が取調べましたので私は大本は尊皇敬神の団体であると申したが倉本警部補は何もかも判つて居ると言つて私の主張を認めて呉れず、床の上に坐らしスリツパで蹴つたり傍に居た刑事がストーブ十能で殴る様な事を致し、三日目から奥永警部が係長となり、四日目に五条警察署に送られ愈々調べが本格的となり奥永警部と倉本警部補とが王仁三郎が不逞の意をもつて居るとか統治者にならうとして居るとか申し、私に認めさせ様としましたが、私は人民としての魂は腐つて居ないと謂ふと竹刀で足を殴つたり手の平で頬を殴つたり暴行を加へたので、私は大本が斯く迄不敬な団体と思はれては致方無いと思ひ、一月二十五日頃から先方の言ふ通りにしたのです、処が調書を作り出しても奥永、倉本の両人は謄写版刷の原稿を持つて居て夫れを示し、大体斯う謂ふ風に纒めて書けと言つて原稿を書かせ気に入らぬ所は二人が書き直し夫れを写し上げて調書を作成したのであります。
尚外の人の調書を見せ誰々は斯う言つて居るとか王仁三郎は斯う言つて居るとか申しましたのであります、私は死ぬ以上の苦しみをしましたが王仁三郎は私以上の苦みを嘗めて居るだらうと思ひます、検事には一、二度私の信念を申しましたが聴容られないので私は諦め余り頑張りはしませぬでした、予審の調べは先程述べた通り精神も疲れ果て調書を作つて貰つたのであります。
問 高木との問答中に大本教義に付似た様な事ありし旨の供述を先程為したるが其の時高木と一厘組の事に付話したる事ありや。
答 私は忘れて居て知りませぬでしたが一厘組の者が不穏当な事をしたに違ひ無と思ひます。
赤塚弁護人は、
裁判長の許可を受け右被告人に対し、
問 一厘組の正体が判つて居るか。
答 四方平蔵、松村仙蔵を中心としたもので伊豆方面の信者であると思ひます。
問 何故一厘組と謂ふ様になつたのか。
答 一厘の秘密は誰も知らぬと謂ふので一厘組と名付けられたのであり、加藤明子も其の中に這入つて居りました。
問 一厘組と判つて居乍ら何故除名しなかつたのか。
答 悪人正機て済度してやらうと思つて除名しなかつたのであります。
今井弁護人は、
裁判長の許可を受け相被告人に対し、
問 大本では全然除名は無いのか。
答 除名は全然ありませぬ。
問 大本入会の手続は如何。
答 入会手続は無く誰でも直ぐ這入れる事になつて居ります。
共同被告人出口伊佐男の請求により、
裁判長は、
右被告人に対し、
問 曩に述べたる立替立直の実行は大本の役員信者の協力に依るとは如何なる意味なるや。
答 夫々任命され皇道大本の役職に就いて居る者が大命に応じてやるとの意味であります。
被告人出口伊佐男は発言を求め
先日御取調べの際申落した点があるので一言申上げます。
皇道大本の総務会議は毎年年始会の始めに行ひましたが有名無実の形式的なものでありました。
十曜の紋は皇道大本の神紋であります。
右被告人高木鉄男が手帳に書留て置いた「聖師に対しては絶対天子に対して批評的」なる文字は私が東京から帰つたら報告仕様と思つて覚書して置いたのじやないかと想像致します。
私は此の度の事件を転機として新しい生涯に更生し度いと思ひますが皇道大本に於て教へられた敬神尊皇の精神は今も変りませぬ、而して近き将来に皇道世界の実現する事を信じて居ります。
私の為多くの被告人が出来其の人達に誠に相済まぬと思ひ何とかして償ひをしたいと思ひます。
尚皇道大本再建運動する様な気持は全然ありませぬ。
被告人井上留五郎は発言を求め、
大本の一厘組は何時頃から出来たか知りませぬが之等の不良分子が居ると我々の耳に這入り出したのは大正八年頃でした、而して一厘組は男では松村仙蔵で女では加藤明子でありました、一厘組の者は不逞思想を抱いて居たのであります。
松村と加藤とは出口王仁三郎の一番側近者だつたのでありますが此の両名が一厘組だつたのであります、素盞嗚尊が大海原即ち地球を主宰される神勅取消の事は古事記に出て居ります、
と述べたり。
前田、川崎両弁護人は、
各被告人が予審に於て何故自己の意志に反する供述を為したるや。各被告人に腹蔵なく意見を陳述せられたし、と希望意見を述べたり。
裁判長は、
全被告人に対し予審に於ける供述と当公判廷に於ける供述との間に差異あるが其の理由に付意見のあるものは陳述すべき旨告たり。
被告人井上留五郎は、
警察で私を取調べたのは塩貝警部補で筆録者は滝野と謂ふ人でありましたが私の意見を申しても認められず王仁三郎は相済まぬと言つて認めた、そして外の人は何も知らぬから助けてやつて呉れと言つたと言ひ私が認めなかつたら口を捻つたり靴で蹴つたり頬を叩いたり後頚部を打つたりして暴行を加へ私の主張を如何しても認めて呉れず調書を作成されたのであります。
検事局の取扱は非常に叮重で嬉しかつたのですが警察の聴取書が基となり私が種々申しても結果は斯様になるではないかと言はれるので調書に拇印をしなければならなかつたのであります、
予審では判事が何も判つて居るから明日に申せと申され私が幾ら弁解しても如何しても聴容れて下さらず不敬不逞の証拠や浅野遙の証人調書や大深浩三、広瀬義邦、高木鉄男、出口伊佐男の調書を示され結局全部を認めなければならない様になつたのであります、然し暴行を受けた様な事はありませぬ。
三木弁護人は、
裁判長の許可を受け右被告人に対し、
問 被告人は予審に於ては幾ら言つても駄目だ何れ神様が裁いて下されるだらうと思ひ認めたのか。
答 左様であります。
被告人高木鉄男は、
警察で私を取調べたのは高木警部と小川福田の両警部補の三人で王仁三郎が盤古大神は瓊々杵尊の事だと言つたと言ひ王仁三郎が言つたのに何故言はぬと言つて頬を殴つたりして暴行されたので王仁三郎が其の様な事を言はれるのなら何かあるのだらう何事も斯うなれば成行きだと思ひ認めたのであります、検事局では鈴木検事が改心を迫られ出口伊佐男が大本信条は表看板だと言つたと言はれたので其の様であればもう皇道大本の信仰をやめ様と思ひ検事局の取調べではハイハイと認めて置きました、
予審では最初から証拠品や調書を示され東尾吉三郎や出口伊佐男は斯う斯う言つて居るとか言はれ私の主張は認めて下さらないのでもう斯うなれば成行きに任せ様と謂ふ気になり神様が附いて居られるのだから最後には判ると思ひ認めたのでありますが、予審では催眠術に罹つた様なもので引つられたのであります、先日も申し上げた様に今後も皇道大本を信仰すると謂ふ信念は動きませぬが皇道大本が今後如何にしても立つて行かないのなら致方ありませぬと述べたり
被告人湯川貫一は、
川端警察署で暴行を受け警察は罪人を造られるのだから致方無いと諦めて認めたのであります、
検事局は警察の事を其の儘されるのだと思ひ認めたのであります、予審では種々証拠を示され私が違ふと言つても聞いて呉れず調書が出来たのであります警察の事が頭に残つて居て如何しても私の信念が述べられなかつたのであります、
被告人湯浅斉治郎は、
私は昭和十一年三月二十七日検挙され中立売警察署ニ、三日程居て小室とか謂ふ人に取調べられました、始めは王仁三郎の婦人関係を調べ其の後教義に付正直に申せば軽く取扱つてやる様聞取つたので事実に付て申述べたらさうかさうかと聞いて居りましたが取調べに都合が悪い事を言つたと言つて非常に殴打され之は致方無いと思つて認めたのであります、
検事局の取調べは叮重でしたが種々説明され結局頭を下げたのであります、
予審では公判で申した様な事を申したのですが夫れは今迄の精神だと説明され証拠や東尾吉三郎、広瀬義邦、岩田久太郎、出口伊佐男等の調書を読み聞かされ夫々反対する丈けの力が自分にはなかつたので公判で申し上げ様と思つて認めたのであります。
裁判長は、
被告人湯浅斉治郎に対し、
問 被告人は公判準備手続に於ては暴行を受けたる事無しと申し居りしが如何。
答 今申した事が真実であります。
被告人出口伊佐男は、
警察検事局及予審の取調べの事は公判準備手続及前回の公判で大体申し上げましたがもう少し詳細に述べさせて戴きます、
警察で数日間は皇道の本義を述べましたが如何しても聴容れず板の間に座らされ暴行を受けたり父王仁三郎が認めて長髪を切つたと言はれました、私は父が認めさせられるのなら致方無いと思ひ頑張らうと思へば幾らでも頑張れましたが頑張るに付ては死を覚悟しなければならない死ねば男らしいが肝心の公判取調に私が居なくては事実が判らぬと思ひ警察で認めたのであります警察の取調べの言葉の様子から今度の取調べが京都府丈けの解釈で起つたものでなく内閣の様な高い所から皇道大本を弾圧して仕舞ふ方針の様に感じました、検事局でも私の主張が入れられなかつたのであります、
予審でも天津日嗣天皇が父王仁三郎だと解釈され幾ら私が信念を主張しても其の主張が入れられず今度の事件は一つの型に入れられ作り上げられるのだと思ひ公判丈は私の信念を言はせて貰へるだらうと思つたので認めた次第であります、
と述べたり、
足立弁護人は、
裁判長の許可を受け右被告人に対し、
問 予審では自分の主張を申したが予審判事之を入れぬと申したが予審判事は如何なる拒み方を為したるか具体的に申され度し、
答 私の信念を披瀝したのですが予審判事はそんな事があるものかと言つて予審判事の見解を説明され私の主張が入れられなかつたのであります。
今井弁護人は、
本件は後世に其の名を残す前古未曾有の大事件であり被告人等が予審に於て認めたる如き不敬不逞の事実ありとすれば弁護人は弁護を辞退するものでありますが被告人等の予審に於ける供述とが根本的に相反し公判調書に信憑力を置くか予審調書に信憑力を置くかに重点があると思ひます私の希望しましたる中心問題の為時間を御割き下され被告人等に腹蔵無く意見の開陳を御許下され厚く御礼申上げます我々弁護人は真実発見の為努力するものであります今後も裁判所に於かれましても此の中心問題の為時間を御割き下さる様御願致します、
と希望意見を述べたり。
被告人出口王仁三郎は発言を求め、
一厘組の松村仙蔵と加藤明子を私の側近に置いた理由は二人を外へ出せばどんな事をするか判らないから悪い事を外へ響かせず虎を檻に入れた様なもので私が側に置いて居たのでありますから誤解無き様願ひます、
高木鉄男、井上留五郎等の幹部は松村、加藤の二人を私の傍へ置く事を嫌つて居りました、
諸面諸菩薩は私が予審で申誤つて出来たもので真実は諸天諸菩薩であります、
と述べたり。
裁判長は、
本日は此の程度に於て続行す次回公判期日は追而指定すと宣したり。
昭和十三年八月二十日
京都地方裁判所第一刑事部
裁判所書記 南武雄
裁判長判事 庄司直治