霊界物語.ネット~出口王仁三郎 大図書館~
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1-1

インフォメーション
題名:1-1 著者:出口王仁三郎
ページ:
概要: 備考: タグ: データ凡例: データ最終更新日:2024-11-11 10:35:42 OBC :B113800c02
大本教の活歴史
百済博士稿百済博士は出口王仁三郎の筆名。
 大日本修斎会が宣教する皇道大本(だいほん)教は、大正維新の聖代に最も適当したる(しん)の宗教である。同教の開祖は出口直子と謂つて当年取つて七十八歳の高齢であるが、(なほ)生々(かくしやく)として壮年者も及ば無い(ほど)の元気で日月(じつげつ)の如き教理を日夜諄々(じゆんじゆん)として()まず屈せず国家社会の為に唱導して()らるるのである。開祖は元来の無学で()一丁字(いつていじ)も無かつたのであるが、去る明治二十五年に突然と神人感合の妙境に()り給ふて以来、(わずか)に平仮名を解さるる事と成つた。(そし)て社会の出来事は何時(いつ)も前日()な数年(ぜん)惟神(ゐしん)の筆を(ふる)つて予言し百発百中(ごう)も誤られた事は無ひのである。
 開祖は慈悲の権化とも謂ふべき御方(おかた)であつて又如何(いか)なる艱苦にも忍耐し得る特性を備へて居らるるのである。(いづ)れも一つの宗教を興す(ぐらゐ)な人は異常の精神を持つて居るものである。創開(そうかい)以来()()ほ浅きにも拘はらず今日(こんにち)既に数百の教弟(をしへご)と数万の信徒を数ふるに至つたのは全く開祖の荘厳なる人格の(ちから)と言はねばならぬ。開祖の無限の大慈悲心は今日の国家社会に必要欠く(べか)からざる(しん)の宗教を造るに至つた事を思へば、至誠の力は実に不可思議な(ほど)伸張発揮するものと感歎せざるを得無いのである。
 開祖の慈愛と一定不変公明正大の行為と神力(しんりき)とは、(かか)る大宗教を創立すべき充分の価値がある。宗教は理屈や学文(がくもん)では無いのだから宗教の事柄に詳しひ学者が必ずしも宗教家では無ひ。表面のみの宗教家やうそつきの神道家は今日は余り沢山に有り過ぎて困るのである。
 (そもそ)も宗教の本領は洋の東西を問はず人種の異同を論ぜず、地球上()りと所在(あらゆる)国土の人類は貴賎(きせん)貧富男女(なんによ)老幼を問はず如何()んな悲惨な状態に陥つて居る者でも之を救ひ上げて安心せしめ立命せしめ如何なる者に(つい)ても総ての方面に力を与へ、社会の幸福()ける人民総ての幸福を進め、国家の実力を進めて種々(しゆじゆ)天地に(かわ)るの効用を(あら)はさねばならぬ。此の功用を顕はすべき神変不測の惟神(ゐしん)の道は、天地宇宙到る所に充満(みちみち)てあるのである。
 道とは『天地(てんち)に充ち』という意義で、吾人(ごじん)(ちから)即ち真心(まごころ)が天地に充ちて天地の神と一致すれば絶対広遠な働きが出来て大活動者となるのである。即ち(いき)乍ら神と()れるのである。西洋の誰やらが言つたやうに何事も自己の脈搏の上に試みられたもので無くては千百の知解と(いへど)()一つの役にも立たぬ。大本(だいほん)教はどうだの開祖はどうだのと一回の研究も()ないものが到底大本(だいほん)教の真諦(しんてい)(あき)らむる事は出来ぬのである。
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