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開祖途中神人に逢ふ
明治二十一年春は弥生の中旬頃、開祖は所用のため八木の親族福島家に出行かれしに船井郡鳥羽の村外れ八木島の手前にて一人の偉丈夫に逢ふ。渠は開祖の容姿風采を熟視して、御身は実に偉人なり。肉体こそ婦人に坐せど其霊性は全く男子なり。世に所謂変性男子とは御身の事なり。御身はこれ七人の女なり、吁珍らしき婦人なるかな。数年の後不思議の神縁にて必ず天下に大名を揚ぐる事あるべし。又御身には八人の児女あるべし。而して長男は云々、長女は云々、次男、次女は云々と八人の児の身の上まで途々語り玉ひしに一々適中して毫も誤たず。開祖は其神異に感じて、貴下は人間にては有ざるべし、如何なる神に坐ますや、と問ひ玉へば、我名は後に判明すべし、神命を蒙りて丹波の元伊勢に参詣し且又比沼真奈井神社に神跡調査し為出張したりし者なり。随分自重自愛せられよ。併し十年の後に御身を助くる異人尋ね行く事あらむ、と言葉も早々に其姿は何時か見えずなりけり。
扨偉丈夫は開祖の住所姓名を記して別れたりしが是ぞ王仁三郎が王子の梨木阪にて出会したる霊学の研究者本田九郎親徳先生なりしなり。本田氏の慧眼なる、途上一見して開祖の偉大なる人格を看取せしなり。英雄を知る者は亦英雄ならざる可らず。本田先生の此行鳥羽にて開祖を知り梨木阪にて王仁の性格を看取されたるなり。