霊界物語.ネット~出口王仁三郎 大図書館~
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1-5

インフォメーション
題名:1-5 著者:出口王仁三郎
ページ:
概要: 備考: タグ: データ凡例: データ最終更新日:2024-11-01 03:15:00 OBC :B113800c06
神懸(かんがかり)の実験(一)  長沢翁が神懸(かんがかり)の作用の偉大なることを知りしは明治二十一年の夏、静岡市浅間(あさま)山宮(さんぐう)麗山(れいざん)神社「麗山神社」は浅間神社の境内にある神社。「山宮」とは山の中にあるお宮のこと。の拝殿に於て、翁の審神者(さには)となり故本田翁の教養せし其(ぢよ)本田馨子(かほるこ)なる(わづか)に十一歳の少女をして神懸(かんがかり)を執行せしに、(かか)らせ給ふ神霊は木花咲耶姫命なり。翁は(これ)屈竟(くつきよう)の材料なりと思惟し、(かね)てより研究中なりし古事記、日本書紀の難題より、英国のスペンサーの原理総論中の疑問(とう)(あわ)せて三十六題を質疑せしに、其解釈の(すみや)かなること立板に水を流すが如く、其論理の整然明瞭(めいせき)なること、到底世上(せじやう)博学者と称するものの企及(ききふ)する所にあらず。翁(ただ)唖然たるのみにして一の論難を加ふるの余地なかりき。(ここ)に翁は始めて神懸(かんがかり)は学術の難題疑問を解釈するには屈竟(くつけふ)の材料なることを知得せり。
神懸(かんがかり)の実験(二)  長沢翁が自ら養成せし門弟中に宮城嶋(みやぎじま)金作(きんさく)以下、底本では「宮城嶋」が「宮城島」と表記されている場合があるが、霊界物語ネットでは「宮城嶋」に統一した。なるものあり。年齢(わずか)に十五歳にして学は尋常学校卒業の程度なりしが神懸(かんがかり)せし時揮毫(きごう)するに於ては王義之の書体あり、橘逸成の書体あり、空海の書体あり、其他揮毫の達筆優秀なること実に人智を以て端倪(たんげい)底本では「端睨(たんじ)」だが「端倪(たんげい)」の誤字だと思われる。すべからざるなり。
神懸(かんがかり)の実験(三)  高田(たかだ)順作(じゆんさく)なる者あり、詩作家を以て(きこ)環南(くわんなん)と称す。宮城嶋(みやぎじま)神懸(かんがかり)の時、詩を()して(たがひ)次韻(じいん)をなす。高田が一詩を作る間に神懸(かんがかり)せし宮城嶋(みやぎしま)は十詩を作る。(しかう)して(その)詩作の優雅なること専門の大家(たいけ)(ごう)も譲らざるもの多し。其他和歌に於けるも(また)()くの如し。()る者、聞く者一驚(いつきよう)(きつ)せざるはなかりき。
神懸(かんがかり)の実験(四)  明治二十六年の事なりき。清水港に軍艦寄港の時、海軍の将校十数名、県社御穂(みほ)神社に参詣し社務所に休息す。将校中に薩州人(さつしうじん)あり。(よつ)て長沢翁は故本田翁の神懸(かんがかり)の事を語る。(あだか)宮城嶋(みやぎしま)座中に在り。忽ち神懸(かんがかり)して(らい)明治二十七年日清開戦の避くべからざること、陸戦海戦の情態(とう)を詳説す。将校()一同恐懼(けふく)し之れ全く神意ならんと拝謝せり。(はた)して翌年(よくねん)日清の開戦あり、戦闘の状況は概ね当時の予言に符合せり。
 帰神(きしん)の実験(五)  京都府南桑田郡西別院(にしべついん)(あざ)犬甘野(いぬかんの)石田(いしだ)小末(こすゑ)といふ婦人あり。彼は二十二才にして眼疾(がんしつ)(かか)盲目(めくら)となりしが、或る時王仁(をに)三郎の鎮魂を受け(たちま)片眼(へんがん)(めい)を得たりしより神恩の深きを感激し、(つゐ)王仁(をに)の門に()り霊学を修行し帰神(かんがかり)となれり。明治三十一年の夏の事なりしが石田に男山(をとこやま)八幡宮の眷属小松林(こまつばやし)なる霊神懸(かんがかり)て曰く、近年の(うち)北清(ほくしん)に大事変あり世界各国出兵する事ある()し。此時(わが)日本帝国の軍隊の世界無比なる強兵たる事を世界へ発表さる()し。また日露の開戦も到底避く(べか)らず。(あるい)は三十五年(ちう)ならんか、若し同年中に開戦に到らざる時は明治三十六年より(たん)(ひら)き三十七年には必ず開戦す()し。其結果(わが)軍は連戦連捷(れんせう)なれども軍艦七八隻は沈没す可し。(この)戦争の結果として朝鮮支那の海岸地に(おい)(わが)所領に()()しとの神託ありしが、教信徒等も石田のの無学なるを見て其時は容易に信ぜざりしが、(はた)して其如くなりし。
 帰神(きしん)の実験(六)  明治三十二年十月王仁(をに)三郎静岡県下清水(しもしみづ)の長沢翁の(もと)に霊学研究のため参館(さんかん)したるに偶々(たまたま)一世の怪傑(かいけつ)(ほし)(とほる)星亨(ほし・とおる、1850~1901年)は弁護士、政治家。氏、(をう)(しき)りに時事問題に就き意見を(たた)かはすあり。王仁(をに)(かたわら)にありて(しづか)に其(はなし)を聞き居たるに、(たがひ)に談論風発(ふうはつ)果しも無く見えしが翁は不図(ふと)王仁を(ゆびさ)し星氏に(むか)つて曰く、此の人は京都府下に(じゆ)する神道家にして()(いち)の門弟なり。霊学の研究に熱心にして社会の出来事は()く予言し()帰神(かんがかり)には上達せり。試みに聞き給はずやと。茲に(ほし)(とほる)は奇怪なる面持(おももち)にて王仁に先づ一礼し(やが)て世界今後の成行(なりゆき)如何(いかん)を問ふ。王仁は(ただ)開祖の予言せられし(まま)を告げて曰く、来年は北清(ほくしん)に騒乱あり。数年の(のち)には必ず日露の開戦あり、将来に於て清韓(しんかん)二国は我国(わがくに)に併合さるべし。(つい)で全地球上の国土は万世一系の(わが)天皇陛下の統治さるるに(いた)る可し。又経済界に大変動あり云々(しかじか)と、天下の大勢上(たいせいぜう)より(きき)及びし事ども大略述べたるに、元来剛腹(ごうふく)(きこ)えある星氏は半信半疑、五里霧中に彷徨せる思ひにて、(つい)に出口開祖は所謂(いわゆる)誇大妄想狂ならんと(あざけ)り、神諭を(ごう)も念頭に置かざるのみならず、無学無識の婦人の妖言なりと一言(いちごん)(もと)に葬り去らんとせり。神明赫怒(かつど)し給ひしか忽ち王仁(をに)神懸(かんがかり)ありて(ほし)(とほる)氏に幽界の玄理は人心(じんしん)小智(せうち)の窺知すべき処にあらざる旨を諭し、(かつ)(また)世界将来の成行(なりゆき)(わが)帝国の前途、光栄ある国力(とう)を歴史的方面より地理的方面より経済的方面より諄々(じゆんじゆん)として説明し給ひしに、星氏も初め両三回は反抗質問の態度に(いで)しが、論理整然たる神諭には抗争し得ず、(つい)に霊学の幽玄微妙にして学理の高遠なるに感服し、()も今后数年間皇道霊学を研究の上、斯道(しどう)の為国家の為につくさんと欲すと誓ひたるに、大神は汝は最早研究の(いとま)無し。来年は汝の身に大事(だいじ)ありとて引取り玉ひしが、(はた)して其翌年、伊庭(いば)惣太郎(そうたろう)凶刃(きようじん)に非業の最後を遂げたり、(をし)()し。
神懸(かんがかり)の実験(七)  明治廿七年の春なりき。静岡県庵原(いほはら)(ごほり)江尻(えじり)(むら)紺屋(こんや)(てう)(なにがし)が同県富士郡へ(まゆ)の買出しに(おもむ)底本では「趣き」。十円の紙幣を渡せしに、本紙幣は(ぼう)は知らざりしも意外にも贋札(にせさつ)にして転々して山梨県へ渉り(その)出所(でどころ)を探りて某の手より(いで)たる事を知り、山梨県警察署の令状に依りて某は拘引せられ甲府の監獄に投ぜられたり。某の妻(これ)を憂慮し神懸(かんがかり)に其結果の神託を請ふ。其神託に曰く、最早予審は終結し公判に移されたり。其所以(ゆえん)は予審調書の何枚目に不利益の陳述二ケ所あり。公判廷に(おい)て弁護士が充分(この)項を弁論すれば必ず無罪となるべしと。(よつ)て直ちに甲府の某弁護士に依頼して其神託を告ぐ。弁護士は予審調書を調査せしに(はた)して神託に示す所の不利益なる陳述あり。弁護士は公判廷に於て此点を熱心に弁論して被告の罪無き事を主張す。(さいわひ)に法官の()るる所となり某は無罪の宣告を与へられたり。当時弁護士も(おおい)神懸(かんがかり)の霊妙に感服せり。
神懸(かんがかり)に就ての雑感  神懸(かんがかり)の実験に就ては枚挙に暇あらず。以上は(ただ)に其一例を示せるのみ。()にも世界の大勢、日本の国運等に就て神懸(かんがかり)にて知るを得たるもの数多あるも、(いたづ)らに(げん)を誇大にし一の浮言(ふげん)怪説と見倣(みな)さるるの(うれひ)あれば、或る時機までは暫く是等(これら)緘黙(かんもく)を守るベし。本田翁は神懸(かんがかり)、鎮魂の二法は学術中の学術中の物として之を霊学と名づけたり。回顧すれば明治二十年の頃、元老院議官故海江田(かいえだ)信義(のぶよし)丸山(まるやま)作楽(さくら)の二氏、憲法編製に就き取調(とりしらべ)の要務あり。欧洲に特派せられスタイン氏の(もと)に在ること二閲年(えつねん)、二氏帰朝後(おほい)に感ずる所ありて曰く、物理学、科学等形而下の学術は既に究極に達す。欧洲の碩学(せきがく)と呼ばるるの士は孜々(しし)として、形而上学の研究に努められつつあり。(わが)邦人が霊学の研究を冷視するに於ては、形而上の学説は又々(またまた)欧洲人に先鞭(せんべん)を打たれ一世紀の(のち)(まさ)に形而上学隆興の気運を見るに至るべし。(わが)(くに)には古書(こしよ)典例(とう)欧洲人の知る能はざる材料に富む。(しか)るに率先研究の士に乏しきは遺憾なりと、(けだ)し古事記、日本書紀其他(そのた)国史の(うち)には到底哲学(もし)くは理科学の(ちから)のみにては解釈する(あた)はざるもの多し。例之(たとえ)ば延喜式(はち)(まき)出雲(いづもの)国造(くにつこ)神寿(かむほぎ)(ことば)の中に『和魂(にぎみたま)大物主神を太玉串に取付けて』云々(しかじか)の如き、又日本書紀に是時(このとき)大己貴命()はし給はく、然らば即ち(いまし)は誰ぞや、(こた)へて宣り給はく、(われ)(これ)(いまし)の幸魂奇魂なり。大己責命(のたま)はく、(はた)して(しか)らば則ち(いまし)(これ)(われ)の幸魂奇魂なり、今何処(いづこ)(すま)んと欲し給るや云々(しかじか)の如きは霊学に依りて推究せざれば容易に解する能はざるなり。吾人は霊学の如きは(わが)国運の発達と共に(まさ)に攻究せざるべからざる枢要の学術たるを信ず故に、(わが)(くに)最高の学府たる帝国大学の研究問題として常に霊学部なる一の講座を設くるに至らん事を希望するものなり。
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