霊界物語.ネット~出口王仁三郎 大図書館~
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1-2

インフォメーション
題名:1-2 著者:出口王仁三郎
ページ:
概要: 備考: タグ: データ凡例: データ最終更新日:2024-11-01 03:15:00 OBC :B113800c03
 開祖は頭髪純白にして容顔(ようがん)麗美(れいび)(あだか)も玉の如く、(くち)を閉づれば威儀高く英姿(おのづか)(そなは)り、口を(ひら)けば温柔の相貌(そうぼう)愛らしく善言美辞一言一句粗野の(おもむ)き無く、其の眼元口元ヨリ溢るる斗りの愛嬌を湛え以て不知(しらず)不知(しらず)の間に世人を引付(ひきつ)ける技倆が(そなは)つて居る。何人(なにびと)でも一度面談したものは終身その温容を忘るる事が出来ぬのである。之れ全く開祖の大慈大悲の真心が人を心底より感動せしむる故である。
 開祖は天保七年十二月十六日を以て丹波国福知山町一宮(いつきう)神社祭神は大己貴神。の氏子として降誕されたのである。同地の士族桐村(きりむら)五郎三郎(ごろざぶろう)の長女で家兄(あに)清兵衛(せいべゑ)と云ひ、桐村家を相続せられた。開祖は二十歳の花も恥ろうと云ふ妙齢の春は弥生の十五日、綾部町字本宮(ほんぐう)(つぼ)(うち)なる出口(でぐち)政五郎(まさごろう)と云ふ大匠(だいく)()し、一家極めて(むつ)まじく三男五女を挙げられた。長男竹造(たけぞう)、二男を清吉(せいきち)、三男を伝吉(でんきち)と云ひ、()た長女をヨネ、二女をコト、三女をヒサ、四女を(りやう)、五女をスミと云ふ。新斎主は末子(ばつし)の此のスミ子が継承して居るのである。
 政五郎は建築術に達した人で何時(いつ)(のみ)鉄槌(つち)(のこぎり)丁能(ちやうのう)鍬の一種とを手拭(てぬぐひ)(つつ)り付けて作事場(さくじば)へ行くので、その(ほか)には道具一切所持せなかつたと云ふ気楽な大工であつた。元来滑稽(こつけい)洒脱(しやだつ)にして家事には少しも頓著(とんちやく)無く、金銭は得るに従つて酒食に費消する而己(のみ)ならず、祖先伝来の田畑(たはた)も全部売払(うりはら)つて飲ん()まつた。
 或時(あるとき)破屋(はをく)の改築して之に住む事となつた。一切紅柄染(べんがらぬり)の瓦ぶきであつた。政五郎落成祝ひに(たわむ)れて(いは)く「稲荷の(やう)な家建てて鈴は無けれど(うち)はガラガラ」。貧困一家を襲ふも少しも意に介せず、常に奇声を放つては大笑(たいしよう)し、怪姿(くわいし)(もてあそ)んでは顛倒し、人の(あご)を解き、諧謔(かいぎやく)剽軽(ひようきん)限り無く、酒の為に(つひ)には紅柄(べにがら)新宅(しんたく)まで(また)たく(うち)に呑んで()まつた。政五郎()(たわむ)れて曰く『借金の尻ほど恐きものは無し、家打ち込めど穴は塞がず』。或る時また『隣家には餅()く音の(きこ)ゆれど(われ)青息(あをゐき)つく斗りなり』。大酒(たいしゆ)はその身に祟りして明治十八年の二月八日、六十一歳を一期(いちご)として冥土黄泉(こうせん)の旅に(おもむ)いた。開祖は時に五十二歳、八人の男女を教養すべき大責任は婦人の一身に(かか)つて来たのである。
 政五郎氏は酒毒(しゆどく)の為に(つい)中風症(ちうふうせう)に悩まされ、身体手足の自由を失ひ横臥すること三年、開祖は毫も倦怠の色無く、忠実に懇切に看護到らざる無く郷里の模範と賞されて居られた。政五郎氏は開祖の小商売(こあきなひ)(いで)らるる後姿を寝床(しんじよ)より見送り、常に涙を流し合掌して、現在の女房(つま)を神の如く其の(うる)はしき貞操(みさを)を感謝された。帰幽の当日、開祖及び八人の()枕頭(まくらべ)呼集(よびあつ)め、永年間(えいねんかん)開祖の厚き看護と親切と貞操とを呉々(くれぐれ)も感謝し、(かつ)(また)(わが)死せる(のち)の開祖の心労の一層加はる()きを思ひては涙に戸を曇らせ、又八人の愛児に対しては勤勉正直を以て(その)身を立て家を(おこ)し、独立独歩必ず人の救助を受くること(なか)れ。父は誤つて一生を酔生(すゐせう)夢死(むし)(うち)(すご)したりと(いへど)も、汝等(なんぢら)は必ず父の素行を見習ふこと無き(よう)呉々(くれぐれ)も頼みおく。(わが)亡き(あと)は母も嘸々(さぞさぞ)心細く世を送るならん。汝等父の今の(ことば)を肝に銘じて母に孝養を(つく)し家名を汚さぬ様にせよと(をし)ふる声も次第々々に細り行きて、眠るが如く上天(せうてん)せり。
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