開祖の寄行
開祖神人感合ありし時より忽ち言行一変して俗眼者等之を発狂者と誤認するに至りたり。開祖或る時広からぬ我邸内に万年青壹株を植へ大声を挙げ祝して曰く、此所は世界の大元になる吉祥の地なり。大本の教を開くぞよ、と。隣人之を聞いて倍々怪しみを重ね恐れて近付く者一人も無かりしが、亦た或る時開祖はハラン草十葉を曳来りて我邸内に植へ、東洋(十葉)の破乱来る因て今之を滅却せむ、と熱湯をハランの根に注ぎ枯死せしめ、以て東洋の災害を救ふ可く務められたり。一書に曰く、異を見ては必ず敬し怪を聞ては必ず戒む云々。凡て神明の所行は人心小智の窮知し得る処にあらず。只慎しみて神意に戻らざらむ事を努めざるべからざるなり。本居翁の玉鉾百首に
あやしきをあらじをいふは世の中の あやしきをしらぬしれ心かも
しるといふはたれのしれものはかりても 世のことわりは底ひなきもの
あやしきはこれの天地うべなうべな 神代はことにあやしくなりけむ
しらゆべき物ならなくに世の中の くしき理わり神ならずして
或時は仏像を持出て井戸端にて洗滌し、仏法は軈て神州の大本教に改めらるる時来らむ。其前提として斯く仏像の塗物を脱落すなりと謂、或時は家屋外に炬燵の櫓を持出て其上に吉原枕を積み重ね恰も城廓の形を装ひ大呼して曰く、正直なれ勤勉なれ信仰せよ忍耐せよ、神の御心に叶はば斯る城廓の内に住む身分ともならむ、と村人に教示し給ふこと再三にして止まらざりしが、開祖はかくして日夜村人を訓戒されたるに偶々近隣に失火ありければ、即ち開祖は大喝して、精神の悪ひ村や不徳の家には斯る災難の来るものぞ。世界の人民心を改めて神に従へ、今の世の人民の心では未だ未だ火事位で無ひぞよ、地震雷電火の雨洪水起して天地の神のより戒めあるぞよ云々。
此を聞きたる村人は素より信ずる者とて一人も無く忽ち怪乱狂妄取るに足ざる妖婦の言と貶するあり、流言浮説徒らに世人を惑はす空言と嘲るあり、安寧秩序に大害ありと為すあり、終には近隣なる安藤金助なるもの放火の嫌疑者として綾部警察署へ訴へ出たり。
吁開祖の言過激に失するの傾向ありとは言へ果して怪乱狂妄なるべき乎。世俗を惑はす妖言なる乎。古来聖哲の教にも天の世を戒むるや、必ず天変地異、疾病戦争等の災禍を以てすとあり。余輩は茲に慎んで、皇国列聖賢皇の御詔勅を引証して開祖の言辞の必ずしも怪乱狂妄ならず、流言浮説ならざるを証明せんとす。
人皇十代 崇神天皇は天災地変の屢々起るを見て政治の不良に帰し給ひ、
同天皇の七年二月に卜災詔を下し給へり。
詔に曰く
詔して曰はく、昔日我皇祖大ひに天津日嗣を啓き給ひき、其の後聖の業愈高く王の風博く盛なり、不意今朕か世に当りて数々災害有むことを、恐らくは朝に善き政事無ふして咎を神祇に取るや、神亀に命せて以て災を致すの所由を極めざらむ也。
人皇第三十三代 推古天皇の十五年二月神祇を祭祀するの詔を降し玉ひし時の辞に曰く
朕聞之曩日我皇祖天皇等の世を宰め玉へること也。天に躊まり地に跋して敦く神祇を礼ひ周ねく山川を祀りて幽に乾坤に通はす、是を以て陰陽開き和ひで造化ること共に調へり、今朕が世に当りて神祇を祭ひ祀ること豈怠る事あらむ乎、故に群臣等為に心を尽して宜しく神祇を拝み奉る可し。
右の外天災地異に対し列聖の神祇に祈願し玉ひて災害を除去し玉ひし例証は枚挙に暇無し。只茲には参考として二つの例を挙げたるのみ。