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安藤某の訴へは恐怖戦慄の余り、先夜の出火は必ず出口直の所為なるべし、彼は前後を弁知せざる全狂乱なり。一時も早く警察に拘留を乞はねば斯る狂人が何時如何なる椿事を惹起すも計り難し。村内は夜中安眠することも能はず、と虚実交々陳べ立てたり。即時に警史四名は開祖の宅に出張し有無を言はせず引致せんとしたりかば、開祖は、身に寸毫も悪事を為したる覚え無ければ警察へ出頭するの必用なし、併し嫌疑とあらば出頭の上弁解せん、暫らく神に伺ふ間猶予あれ、と言はせも果てず国谷刑事外三人は何の容赦もなく一枚の戸板に開祖を担ぎ上げ連れ帰らむとす。警吏怪しんで曰く、一人の婦人にしては非常に重量あり、と。開祖は満面に笑を湛えて曰く、妾一人にあらず、神明と共にあり、嘸重からむ、と。忽ち警察署に到れるに署長出て開祖を尋問すらく、先夜失火ありし家の者に汝は何か怨恨はあらざりし乎、又憎悪の念慮は無かりしか、と。開祖答へて曰く、妾は天下広しと雖も未だ一人として憎し怨めしと思ひしこと無し。妾は天下の蒼生悉く愛せむと欲する而已。妾今や忌はしき放火の嫌疑に依りて此所に引致されたり。然れど天道は公平無私なり。軈て青天白日の身とならむ。妾が言ふべき言葉は最早尽きたり、と泰然自若毫も恐怖の色無かりしが署長は一応取調べの済むまでと新たに建てられたる留置所に開祖を投じたり。開祖は余りの無実に憤慨して署員の手よりは一腕の飯も一点の茶も水も採らず殆ど三日間絶食絶飲せられしが、元来一点の身に疚しき処無ければ嫌疑は忽ち晴れて放免され玉へり。
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無実の嫌疑は晴れたれども、現在の親籍を始め村人は猶ほ発狂者と誤認し、協議の結果開祖の自宅東北隅に約一坪有余の牢屋を造り無理無態に押込め御身の自由を束縛したり。千里の名馬も伯楽を得ざれば駑馬に若かず、竜も時を得ざれば蚯蚓にも劣るとかや。天下唯一無二の大予言者、大宗教家も時に遇は〓らば亦た斯の如くなるものかと、当時の開祖の御心を拝察し奉れば御艱苦の程、今面のあたり見る心地して御悼はしく、命毛の筆採る手も震い覚えず粛然として泣下し、血涙腮辺に滂沱として止まらず、発狂人に食餌を給与する時は病勢高進の恐あり、と藪医者の言に迷はされたる親族なる大槻鹿造は、態と一食一飲をも進め参らせず、開祖は運命を天に任せて殆んど四十日間絶食の止む無きに至り給へり。
斯くまでも艱難を嘗尽し乍らも尚憂々身に重なり平素正義を確守し順直を事とするも未だ斯道開教の企望を貫徹するに到らず。大抵の婦人なりせば慨歎悲憤の極、終に自暴自棄の挙に出るは当然の行為なるべきに、元来変性男子の霊性を持したる開祖は只管神教を確信して意志倍々昌然一点の汚穢なく敬神の誠厳乎として一微の違変無く、勇気百倍天下蒼生の為に当初の目的たる救世済民の神慮の随に突進せんことを決意されたる也。二人の幼女は開祖の斯くも獄中不自由の身と成られしより如何ともすること能はず、食ふに糧なく只涕唾を呑んで空腹を医するの逆運悲境に沈むも孝心なる両女は開祖の心痛を掛念して一言をも之の次第を告げざりしは子供乍らも感ずるに堪えたりと謂ふべし。
大槻は、二人の少女は開祖に或は食を給へ或は湯水を与へて狂人の生命を長からしめんことを迷惑と為して、終に両女を我家に連れ帰り開祖の身辺に近づくべからずと厳命したり。吁此時の二人の幼女の心は如何ありしぞ。天にも地にも只一人の恋しき母上の困難を面の当り目撃し、攻めては言葉の上にても慰め奉らむと思ひし真情も一朝水泡に帰し去りしことの果敢なさよ。聞くだに涙の種ならざるは無し。
悪鬼に均しき大槻は言も荒らかに或る日両女に向つて曰く、汝等の狂母は斯の如く監禁し置きたらば軈て知死期も近かるべし。母の死後は汝等二人は我の指命に従ひ摂津の国の百姓に奉公人として遣はし、少々にもせよ給金を前借して母の葬式料その他これまで世話せし入費の勘定をなすべし、と血も無く涙も泣き大槻の言に両女は堪え兼ね、深夜陰かに大槻の宅を逃げ出て開祖が獄前に忍び寄り事情を告げつつ悲しき身に溢れて嗚咽歔欷久しかりしが、獄中の開祖は両女を種々慰め且つ訓戒し給ひつつ、母は必ず十五夜の有明の月を相図に出獄すべし、出獄の上は母が働きて汝等両人を養育せん。決して憂ふるに及ばず、と仰せられしを両女は頼みとし力として僅に心を慰め居たりしは実に憐然の至りなりといふべし。