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大槻は毎夜両女に我肩を打たせつつ語るらく、母は非常に衰弱したり。汝等既に十三歳に及ぶ。妹も既に十歳。物の道理は多少弁知するならん。汝等二人を我家にて養育せんは安き事なれども人間は苦労せざれば一人前の人間となること能はざるべし。依而近日に弥々摂州へ奉公に行らん。母のこと心に掛けず一日も早く得心なし我が指図に任せよ。否とあらば今日限り一食一飲も与ふること相成ずと、鬼の如き大槻の言に両女はちぢみ上り何と応答もなく斗りなりしが彼は、ええ辛気な女郎と言ひつつ蝶螺の如き鉄拳を振つて頭部面部の区別なく力任せに打据えたれば、両女は悲鳴を上げて泣き叫ぶ声近隣に聞えけれ共、誰一人として中に入り挨拶等を為すもの無かりしは皆彼の恐しき因縁付けなるを知り居ればなり。
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開祖獄中に端座し一心不乱に神祇を崇敬し、且つ一日も早く出獄させ給へと祈願し給へるに、一朝俄然眠気頻りに催し来りて数分時の間無我の境に入りしに、夢に威風厳然たる大神現はれ玉ひて、我は天照大神なり。昔日の剣より今の菜刀と世俗は貶すれど軈て日本神刀必要の時節来るべし。此神刀は汝に授く。汝此の神刀を以て世の所在悪鬼邪神を平定すべし、と御手づから開祖に授け玉ひしかば、恐れ畏こみ拝受せしと見しは瞬時の夢にてありしが、不思議なる哉、大神の夢裡に授け給ひし神剣の刃先七寸五分の短刀、鞘は無けれど現然開祖の前に置きありしかば、其霊夢の事実なりしに驚喜し直ちに獄中ならば汚染するの恐れありと恭しく押戴だき懐中に秘蔵し、出獄後は神床に祭りて神体と為し給ひけり。此の神剣目下大本教の神宝として大切に保存しあり。
斯く述べ来らば世人或は言はむ。
かかる奇怪至極なる事実のあるべき理なしと。
これ幽理の深奥に透徹せざる浅学者流の偏見なり。
本居翁の玉鉾百首にも
奇しきをあらじといふは世の中に あやしきしらぬしれ心かも
余輩は我皇室の宝典たる古事記に明記せる顕著なる例証を左に引証し、以て神異を拝する凡俗の疑問を解かむ。古事記中の巻、神武天皇乃ち神日本磐余彦之命の段、御東征の記中に
故神倭伊波礼毘古命従其地廻幸。到熊野村之時。大熊髪出入。即失。爾神倭伊波礼毘古命。急忽為遠延。及御軍皆遠延而。伏。此時熊野之高倉下。賷一横刀。到於天神御子之伏地而。献之時。天神御子即寝起。詔長寝乎。故受取其横刀之時。其熊野山之荒神。自皆為切倒。爾其惑伏御軍。悉寝起之。故天神御子。問獲其横刀之所由。高倉下答曰己夢云。天照大神高木神。二柱神之命以。召建御雷神而詔。足原中国者。伊多玖佐夜芸帝阿理那理。我御子等。不平坐良志。其足原中国者。専汝言向之国故。汝建御雷神可降。爾答曰。僕雖不降。専有平其国之横刀。可降。降此刀状者。穽高倉下之倉頂。自其堕入。故建御雷神教曰穽汝之倉頂以此刀堕入。故阿佐米余玖汝取持。献天神御子。故如夢教而。且見己倉者。信有横刀。故以是横刀而献耳。於是亦高木大神之命以。覚白之。天神御子。自此於奥方莫使入幸。荒神甚多。今自天。遣八咫烏。故其八咫烏引道。従其立後応幸行。云々。
かれ神倭伊波礼毘古の命、其地よりり幸でまして、熊野の村に到りましし時に、大きなる熊、髣髴に出で入りてすなはち失せぬ。ここに神倭伊波礼毘古の命忽にをえまし、また御軍も皆をえて伏しき。この時に熊野の高倉下、一横刀をもちて、天つ神の御子の伏せる地に到りて献る時に、天つ神の御子、すなはち寤め起ちて、「長寝しつるかも」と詔りたまひき。かれその横刀を受け取りたまふ時に、その熊野の山の荒ぶる神おのづからみな切り仆さえき。ここにそのをえ伏せる御軍悉に寤め起ちき。かれ天つ神の御子、その横刀を獲つるゆゑを問ひたまひしかば、高倉下答へまをさく、「おのが夢に、天照らす大神高木の神二柱の神の命もちて、建御雷の神を召びて詔りたまはく、葦原の中つ国はいたく騒ぎてありなり。我が御子たち不平みますらし。その葦原の中つ国は、もはら汝が言向けつる国なり。かれ汝建御雷の神降らさね」とのりたまひき。ここに答へまをさく、「僕降らずとも、もはらその国を平けし横刀あれば、この刀を降さむ。この刀を降さむ状は、高倉下が倉の頂を穿ちて、そこより堕し入れむとまをしたまひき。かれ朝目吉く汝取り持ちて天つ神の御子に献れと、のりたまひき。かれ夢の教のまにま、旦におのが倉を見しかば、信に横刀ありき。かれこの横刀をもちて献らくのみ」とまをしき。
ここにまた高木の大神の命もちて、覚し白したまはく、「天つ神の御子、こよ奥つ方にな入りたまひそ。荒ぶる神いと多にあり。今天より八咫烏を遣はさむ。かれその八咫烏導きなむ。その立たむ後より幸でまさね」と、のりたまひき。かれその御教のまにまに、その八咫烏の後より幸でまししかば、吉野河の河尻に到りましき。時に筌をうちて魚取る人あり。ここに天つ神の御子「汝は誰そ」と問はしければ、答へ白さく、「僕は国つ神名は贄持の子」とまをしき。其地より幸でまししかば、尾ある人井より出で来。その井光れり。「汝は誰そ」と問はしければ、答へ白さく、「僕は国つ神名は井氷鹿」とまをしき。すなはちその山に入りまししかば、また尾ある人に遇へり。この人巌を押し分けて出で来。「汝は誰そ」と問はしければ、答へ白さく、「僕は国つ神名は石押分の子、今天つ神の御子幸でますと聞きつ。かれ、まゐ向へまつらくのみ」とまをしき。其地より蹈み穿ち越えて、宇陀に幸でましき。かれ宇陀の穿といふ。]
是れ即ち神武天皇の妖神に悩まされ給ひて、引卒し給へる軍隊までも害悪に困しみ進退維谷まるの難境に陥りしを天神の神剣を下し給ひて妖邪を平定し御軍を佑け給ひし確証なり。亦た八咫烏を遣はして皇軍を導き大勝利を得奉らせ賜ひしも神異の測るべからざる好適例ならずや。