父は昔から進展主義を以て座右の銘としてゐる。何事にかけても唯「前進」の一点張りで六十一才の今日までを前進しつづけて来てゐる。ものをやり始めたら一瀉千里で全霊をそれに集注してやつてゆくから何にでも「マツタ」なしである。従つて途中から後戻りしてモ一度やり直すなんといふことは絶対にやらない。絵を描くにも字を書いても書き直しを決してしないし、原稿を書くにも書きつ放しのそのままで、決して後から筆を加へることをしない性質である。
現在出来てゐる沢山な著述も絵も皆その一手であるが、本歌集の歌も矢張りすべて詠みつぱなしであつて、後から一字一句も手を入れたものは一つとしてない。
本集を見られる如く、現在父は歌壇六十有余の結社に加入してゐる上に、自分の歌の雑誌明光及大本本部の機関雑誌数種類に、毎月欠かさず詠草を出してゐて、月少くとも二千に余る歌を詠んでゐるであらう。
これが毎日の多忙な仕事の外に持つた余技の一部であつて、毎夜就寝前寝床の中から口ずさむのを側近の者が筆記するのである。時には最後の一首の半にして、いつの間にか寝入つてしまふことも屢々ある。その位呑気に詠んでゐるのである。これだけ詠むには随分苦しいだらうなぞと思つたら大ちがひである。父は本当に歌が好きで、いつも笑ひ笑ひ楽しんで詠んでゐるのである。
未だ二三十の結社に加入してもいいと言つてゐるから、時間的に百箇所位は大丈夫出詠の余裕を持つてゐるであらう。よく人が父にモウ少し歌を推敲されたらどうかと言はれるが、そんな時間があつたらモ一ついいのを別に詠むと言つて笑つてゐるのだ。
私は往年飛来した独乙ツエツペリン伯号を父のおもかげに見る。
突如歌壇の上空に飛び来つて、悠々六十余結社の頭上を旋回飛行するその銀灰色の巨体を思ひ描く。
二五九一年五月一日 編輯を了へて
出口寿賀麿