二十五歳の頃
ラムネをば製造販売せんとして園水社なる会社をおこせり
酒石酸単舎利別や硫酸やその他の薬でラムネをつくる
薬学を研究の結果飲料水ラムネ製造の技術をさとりぬ
硫酸を単舎利別とまちがへてぐつと呑みほし喉を焼きたる
すぐさまに単舎利別をがぶがぶと呑みて硫酸の害をまぬがる
単舎利を沢山のみて喉かわき水二三升をたちまちに呑む
そのために少しく喉と舌あれて六十の今に声かすむなり
ひと夏はラムネ製造販売にくれて大なる欠損をなす
算盤のうへでは利益ありながら呑みたほされて約り損失
働いて損をするよなラムネなら売らんがましと機械まで売る
二百円出した機械を見たほされ三十五円で人に売りたり
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霧の庄の上仲儀太郎氏と相ともにあらたに牧場建築を為す
また別に穴太で上田正定氏村上氏等と牧場をひらけり
このときは明治二十九年の一月一日の開業なりける
霧の庄の牧場開始も同じ日にあたりて五里の道をはせゆく
一ときに二つの牧舎はつとまらず上仲一人にまかせおきたり
雨の夕ベ雪の朝もいとひなく乳をしぼりて近村に売る