二十三四歳の頃
園部より逃げて帰れば吾が父は額の凸凹眺めておどろく
園部より五里の夜道を逃げ帰りほろりとなつた吾が家の軒
凸凹は如何して出来た直吉に叩かれたかと父は問ひけり
実状をあかせば父は憤慨しせがれの頭を打ちよつたと怒る
親でさへ打たぬ頭を直吉奴料簡ならぬと雄猛びなしをり
腹立てば煙管や棍棒で打つ父が腹立ちまぎれにこんなといふ
ともかくも様子は後でわかるから今日は休めと宣りて野に行く
大切な息子を打つた直の奴もうかへさぬと父雄たけびす
この夏は大旱魃ぢや幸に稲田に水かへさせんとよろこぶ
竪釣瓶水汲む途端に足場はづし井戸に落入り両腕ぬきたり
その時にぬきたる疵が六十の今になつてもものいう苦しさ
○
搾乳や配達出来ぬに困り果て叔父の清六を呼びによこせり
叔父なる佐野清六いろいろと父をなだめて吾を連れかへる
井上の家にかへれば夫婦ともプリンと面をふくらしてゐる
馬鹿らしいもう俺はいぬと言ひながら闇夜に館を駈け出しにけり
吾が叔父も従兄井上直吉もおどろきあとより追つかけきたる
いち早く闇にまぎれて藤坂の薬店に入りてひそみゐたりき
奥の間にひそみてをれば吾が従兄叔父諸共に藤坂に来る
藤坂の主人と叔父と井上と店の間に坐し論戦つとむる
藤坂はわたしが医者に仕上げると気焔万丈あたる術なし
夜を更かし談の結果うち解けて再び牧場に立ち帰りけり