霊界物語.ネット~出口王仁三郎 大図書館~
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玉串

インフォメーション
題名:玉串 著者:出口王仁三郎
ページ:563
概要: 備考:2023/09/25校正 タグ: データ凡例: データ最終更新日:2023-09-25 15:03:10 OBC :B121805c259
初出[?]この文献の初出または底本となったと思われる文献です。[×閉じる]『神の国』大正14年5月10日号
 お(まつり)の時に玉串を捧呈(ほうてい)してゐながら何の意味やら十分知らずに()る人が往々(わうわう)あるやうだが、あれは神様に着物をお供へしてゐる(かた)である。松や(さかき)につけるのは直接に神様にお手渡しするのは御無礼だから、ああして小枝に結びつけて置くのである。それは丁度(ちやうど)貴人に対しては扇子(せんす)に物を載せて手渡したりするのと同じ意味である。松や(さかき)の小枝に紙片(かみぎれ)を結び付けてお供へした所で何になるかと思ふ人があるかも知れぬが、すべて霊界は想念の世界であり、現界は型の世界であるから、吾々(われわれ)現界人が心の底から(うやうや)しく『お召物(めしもの)をお供へ致します』と云ふ気になつて、その型として玉串を捧呈しさへすれば、それが霊界ではチヤンと立派な衣服となつてゐるのである。これは一例であるが、何事でも吾々が(その)気になつて型をすれば、霊界では真物(ほんもの)としてお(うけ)取り下さるのである。小さい木の箱をお祀りしても本気で拝みさへすれば、想念の拡大延長によつて霊界では立派な宮殿となつてゐるのである。
 又いくら大きなお宮を建てた所でお祭りする人の心が間違つてゐたなら、要するに単なる木の(きれ)に過ぎないことになつてゐる。人間一切どんな行動でも内分(ないぶん)(おい)善美(ぜんび)でなかつたなら、いくら外的(ぐわいてき)に立派であつてもゼロである。又外的には粗暴な挙動でも、その内分に(おい)て無邪気であるならば何等(なんら)(とが)むべき点はないのである。この事が(しん)(わか)つて来れば社会はも少し(おだや)かな深みのあるものになるにきまつてゐる。(ただし)相応(さうおう)といふことは勿論あるのだから、内分(ないぶん)だけの外分(ぐわいぶん)(あら)はれるのが当然である。
(大正十四年五月十日号 神の国誌)
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