皇道大本の信仰に就て知るのには、先づ皇道大本とは何ぞやといふことが真に理解されなければならぬのであります。そして皇道大本を真解せむがためには、開祖出口直子刀自の閲歴及び之に伴へる神がかりの大要を知る必要があると同時に、私が二十八歳入道して、はじめて開祖に会見し、今日に至つた経路を大略知る必要があるのであります。
京都府何鹿郡綾部町に於ける皇道大本の発端は、明治二十五年旧正月元日を以て開祖出口直子刀自が神がかり状態になつた時からで、今日既に四十年余りの歴史をもつてをります。
開祖は、天保七年十二月十六日を以て、丹波国福知山桐村五郎三郎氏の長女として生れ、二十歳の時、綾部町字本宮村の出口政五郎氏に嫁したのであります。政五郎氏は大工を職とし、建築にかけては非凡の腕前をもつてゐたのでありますけれども、性質は至つて恬淡無欲、少しも家事を顧みず、請負仕事は何時も損ばかり続くにも拘らず、更に心配らしい様子もなく、飯より好きなのは酒で、芝居よ浮れ節よと兎角陽気な道楽に凝り、終ひには先祖伝来の財産全部を蕩尽し去り、明治二十年二月六十一歳で死去しました。
時に開祖は五十二歳、八人の子女をかかヘて一家を支へて行かなければならなかつたのであります。開祖は健気にも飲食店と饅頭屋を始め、身を粉に砕いて働かれたのであります。しかし、夫政五郎氏の死去の前後から、生活の脅威は其極に達して、開祖は紙屑買ひを始められるやうになり、明治二十年の正月の如きは、世間並に餅を買ふ余裕がないので、握り飯を餅の代りに子供に与へられたといふことであります。
そればかりではなく、災厄はそれからそれへと開祖の一身に降りかかつて来たのであります。政五郎氏の死亡に次いで間もなく、長女は無頼の悪漢に誘拐され、長男は脱走して姿をくらまし、次男は近衛兵となつて入営したが、後台湾で行方不明となり、二女、三女は他に嫁したが、明治二十四年になつて、三女先づ発狂し、長女はこれに続いて狂乱するといふやうな訳で、まことに目もあてられぬ有様でありました。
開祖はこの逆境に処して、泰然自若、天を恨まず、人を恨ます、形ばかりの祭壇を破屋の神床に設けて、一心不乱に信仰を励まれ、朝夕三回の水行を欠かせられたことは無く、四女五女の幼児を労りながら儚ない生活が続けて行かれました。
かくして開祖が五十七歳になつた明治二十五年旧正月元旦の夜のことであります。機縁円熟せる開祖の身は忽然として神人合一の境に入り、荘厳美麗な神秘の大神殿が開祖の眼前に展開せられました。そして開祖は尊き神姿を拝し、親しく神示を伝へられると共に、又亡くなつた夫政五郎氏と久し振りに対面し、四方山の話しをして時の移るのを覚えられぬ程であつたが、此時忽然として夢は醒めたのであります。そして翌日も同様の現象が起り、数回引き続いて同じ夢を見たのであります。これが開祖の神がかりの始りであります。
しかし、開祖は初めからこの不可思議な現象に対して盲目的に信じられた訳ではなかつたのであります。開祖は驚かず騒がず、これ果して正しき神の懸られたものか、人霊の憑依か、それとも狐狸の類の悪戯かと、あらゆる手段を尽して、自己批判を忘れなかつたのでありますが、結局帰神の妙境に達し、正しき神の懸り給へることを自覚されたのであります。
開祖に懸り給へる神は国祖国常立尊で、その神懸り給ふや、一道の霊気湧然として開祖の気海丹田に起り、呼吸迫り唇自ら動いて荘重な声となり、開祖の意志でない事柄を絶叫されるのが常でありました。その最初の大獅子吼は、
『三千世界一度に開く梅の花、艮の金神の世になりたぞよ。梅で開いて松で治める神国の世になりたぞよ。この世は神が構はな行けぬ世であるぞよ。今日は獣の世、強いもの勝ちの、悪魔ばかりの世であるぞよ。世界は獣の世になりて居るぞよ。邪神にばかされ、尻の毛まで抜かれて居りても、まだ眼が覚めん暗がりの世になりて居るぞよ。これでは、世は立ちては行かんから、神が表に現れて三千世界の立替立直しを致すぞよ。用意をなされよ。この世は全然、新つの世に替へて了ふぞよ。三千世界の大洗濯、大掃除を致して、天下泰平に世を治めて、万古末代続く神国の世に致すぞよ。神の申したことは、一分一厘違はんぞよ。毛筋の横幅ほども間違ひは無いぞよ。これが違ふたら神はこの世に居らんぞよ。云々』
といふのでありました。
開祖の神がかりに引続いて、その身辺に大小無数の事件が起りました。それらの活歴史はその一端を捉へて記しても、意義深遠な教訓を含んでゐるのでありますが、ここに詳述する遑がないので、その一二を摘記するに止めておきます。
開祖の神人合一と同時に、その言行は自ら以前とはすつかり変つて参りました。
例へば、或る時のこと、開祖は庭に万年青一株を植ゑ、大声で
『ここは世界の大本、大本の教を開くぞよ』と叫ばれました。又或る時は、十葉の葉蘭を曳きぬき来つて、邸前に植ゑ、
『東洋の波瀾は神が陰から鎮めるぞよ』
とて、熱湯をその根元に注いで枯死せしめたことがあります。
思ふに、開祖のなされたことは謎で、実物に寓して簡明に村人等を教へ訓さうといふ神慮であつたのでありませうけれども、村人等はさういふことは解らず、これがためにかへつて誤解と嘲笑とを招いただけでありました。人々は、
『お直さんは気が違つた、狐狸に憑かれた』
といつて嗤つたり気の毒がつたりいたしました。
丁度その頃綾部に放火が流行つたので、その放火は開祖の仕業と勘違ひして警察署へ訴へた者があり、署内へ留置されたことがあります。留置中も開祖は依然神がかり状態で叫び続けられましたが、その中に放火の真犯人が知れ、開祖の嫌疑は晴れましたけれども、狂人として取締るやうに申渡されたので、親戚を始め、村人等一同は協議の上、家の隅に一坪ばかりの座敷牢を拵へ、嫌がる開祖を無理に押込め、監禁することになりました。開祖は牢内に於ても、頻りに叫び続けられましたが、追々静かになつたので、出牢されました。
この頃から開祖の神がかりの形式は一変して、神命のまにまに筆を執られることになつたのであります。開祖は元来眼に一丁字なき無筆の人でありましたが、筆を執つて紙に対へば、一種の平仮名文字がすらすらと書かれて行つたのであります。心霊学者の所謂自動書記の形式であります。これが皇道大本の『筆先』であります。
この『筆先』こそ皇道大本の宝典であつて、開祖が大正七年旧十月三日昇天されるまで約二十七年間にわたつて書かれたのであります。ただ何気なく筆先を見れば、俗調平語、別にどうといふことも無いのですけれども、一度活眼を開いてその中にこもれる真意義に触れむか、宇宙の神秘、世の真相、幽玄の真理、痛切の教訓、到底人心小智の窺ひ知り得られるものでないことが解ります。而かも筆先に示された予言警告は、悉く実現し来つて毫末の誤りがなく、筆先の権威は既に試験済みであるといつてよいのであります。