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五 私の蒙古入り

インフォメーション
題名:五 私の蒙古入り 著者:出口王仁三郎
ページ:21
概要: 備考: タグ: データ凡例: データ最終更新日:2026-05-06 14:37:47 文字数:2258 OBC :B122200c06
 私は大正十三年二月十三日、責付(せきふ)中の身でありましたが、数名の同志と共に満蒙に入らうと決して日本を出発しました。
 皇道大本は既成宗教の如く、現界を厭離(えんり)穢土(ゑど)となし、未来の天国や極楽を希求するのみの(をしへ)ではありません。国祖の神の仁慈無限なる神勅により、日本神洲の民と(うま)れた我々国民はこの尊き神示を拝し、(かみ)御一人(ごいちにん)に対し(たてまつ)り、(しも)は同胞の平和と幸福の為めにのみならず、東亜諸国(ならび)に世界の平和と幸福を来すべき神業に奉仕しなくてはならぬ責任をもつてゐます。
 私は日本建国の大精神を天下に(あきら)かにし、万世一系の皇室の尊厳無比なることを(あまね)く天下に示し、且つ日本の建国の精神は征伐にあらず、侵略にあらず、善言美詞の言霊を以て万国の民を神の大道に言向(やは)するにあることと堅く信じてをります。凡て世界の人類を治めるのには武力や智力では到底駄目であります。結局は精神的結合の要素たる凡ての旧慣に囚はれざる新宗教の力に依るより外にないと考へ、又日本に於ける人口問題の解決と日支の国交を一層円満ならしめ、支那をして赤露の手から解放し、日支の提携によつて満蒙開発の実を挙げようといふ計画でありました。
 この入蒙に就き、私は(あらかじ)め奉天の張作霖の諒解を得て、彼の部下の一人なる盧占魁を案内者兼護衛として行くことにしたのであります。この時に於ける張作霖の立場は、奉直戦後兵力の足らぬことを自覚してゐる際とて、内外蒙古に於て誰でも構はない、有力な運動をやつて北京の背後を牽制さへして呉れるものがあれば、奉直戦の再挙は出来ないのであるから、うまく行けば内外蒙古を手中に収めることが出来、うまく行かなかつたところで、牽制運動になるといふ一挙両得の策であるから、部下の一人、盧占魁を使つて私の案内役に当らしめたので、武器などもあとから必要に応じて張作霖の手で送つて呉れる約束であつたのであります。
 ところが、私()の一行が進んで行くと、(ふう)を望んで(きた)(あつま)るものが非常な人数に達し、瞬く間に大軍になつて了ひました。私は一切の徴発掠奪を固く戒め、病人があれば病気を治してやり、貧窮者には米塩(べいえん)を与へつつ進んで行きました。
 かやうにして、非常な(いきほひ)を以て進んで行つたために、今度は張作霖が驚いて騒ぎ出し、武器の供給どころか、反対に我々の一行全滅の目的を以て討伐軍を差し向けて来たので、勢ひこれと戦はねばならぬ破目に陥り、戦つた結果、弾丸の不足となり、パインタラ入りとなつて、遂に支那官兵のために捕へられました。
 旧五月二十日パインタラの鴻賓(こうひん)旅館といふ宿屋へ泊つてゐると、そこへ官兵が来て、否応なしに我々を捕縛し、又盧占魁の幕僚は敵の奸計に陥り、官兵から御馳走になつて酔つたところを引つくくられて、片つぱしから銃殺されて了つたのであります。我々日本人は、盧占魁の幕僚部下等が(すで)に銃殺されて大の字になつてごろごろ倒れてゐるのを見ながら、長い町を引き回され、銃殺の場所へ引つぱられて行きました。
 やがて夜が更け旧五月二十一日午前一時頃になつて、愈々(いよいよ)銃殺の段取となつた時、機関銃の具合でも悪かつたと見え、手元で爆発し、あべこべに射手が引つくりかへつて了ひました。私はこの時、死を決して辞世の歌を詠みました。
   身はたとへ蒙古の野辺にさらすとも日本(やまと)男の子の品は落さじ入蒙記に記されている歌は「よしや身は蒙古のあら野に朽つるとも日本男子の品は落さじ」で、多少文言が異なる。
   いざさらば天津御国にかけ上り日の本のみか世界守らむ
   日の本を遠く離れて我は今蒙古の空に神となりなむ
 我々は最後に日本帝国の万歳、大本万歳を三唱したが、急に銃殺は今晩といふことになつて、二人づつ繋ぎ(あは)せられ、更に六人を一つに縛られて、通遼公署付属の監獄へ連れ行かれ、厳重な死刑囚の取扱(とりあつかひ)をされました。
 話が(かは)つて、パインタラの鴻賓旅館で一行が捕縛された時、丁度泊り合せてゐた鄭家屯(ていかとん)稲田(いなだ)袈裟義(けさよし)といふ日本人がありました。まさか捕縛されたのが日本人であるとは知らなかつたのであるが、旅館の中に遺棄されてあつた竹の杓子(これは表裏に私が歌を書き、王仁(わに)として拇印を押したものである)を拾つて見ると、初めて日本人であることが解り、夜明けを待つて一番汽車で鄭家屯の日本領事館へ屈け、昨夜日本人がパインタラの鴻賓族館で支那官兵のために捕縛されたと報告したので、領事館ではそれは大変であるといふので、早速土屋書記生が飛んで来て、引渡し(かた)を交渉したのであります。
 支那惻では、蒙古人として、例の機関銃で其晩銃殺することに決めてゐたのであるが、日本領事館から公式の交渉があつたので、国際関係上銃殺する訳に行かす、七月五日一行を日本領事館へ引き渡したのであります。実に危機一髪でありました。
 かくして旧六月二十五日、我々一行は内地へ護送されたのであります。
 私の蒙古入りはこれで一段落を告げたのであるが、当時人々は私か失敗したやうにいひました。しかし、私は非常な大成功であると信じてゐたのであります。何となれば私が満蒙に蒔いた種子(たね)は、ずんずん成長して、その後青海王(せいかいわう)雅楞丕(ヤーロンペー)は廿九()(国)を代表して、わざわざ私を日本に訪ね来り私と師弟の約を結んだ位であります。又従来満蒙問題に無関心であつた国民に一つの刺戟剤になつたと信じてゐるのであります。私の入蒙後八年を経て満洲事変が勃発したのであります。私は既に大正六年に私の著『瑞の神歌』に於て、日清、日露、世界の戦争が一番叟、二番叟、三番叟であり、愈々(いよいよ)初段となればシベリヤ線を花道として悪魔が神国日本に攻め(きた)ることを警告してあるのでありまして、私が蒙古に行つたのも今日あるを前知してゐたからであります。
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