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三 皇道大本と十年事件

インフォメーション
題名:三 皇道大本と十年事件 著者:出口王仁三郎
ページ:14
概要: 備考: タグ: データ凡例: データ最終更新日:2026-05-06 14:37:01 文字数:1823 OBC :B122200c04
 私が綾部に落ちつくことになると、私に対する反対運動がさまざまの形を変へて起つて来ました。皇道大本の最も困難な最初の時代、私が如何にバカバカしい、理不尽な誤解や排斥や侮辱や圧迫を蒙つたかは、とても筆舌の能く尽し得るところではありません。
 その後、明治三十九年に私は単身京都に上り、皇典講究所に入学し、卒業後建勲神社の主典となり一時御嶽教に関係してゐたこともあります。
 かくしてゐる(うち)に、皇道大本は隆々たる(いきほひ)を以て発展してゆきました。内部の秩序も段々整ひ、信者は追々増加し、神殿の建設、宣伝機関の設備等諸種の準備が着々として整へられてゐる間に、世界の形勢は筆先通りに寸分の相違なく実現して来ました。そして皇道大本は天下の問題となるとともに、其(すぢ)の誤解、宗教家の迫害、新聞雑誌単行本の熱罵、嘲笑となり、大正七年旧十月三日開祖は八十三歳を以て昇天されましたが、それから三年を経て、大正十年二月十二日彼の大本十年事件が勃発したのであります。
 それは丁度私の五十一歳の時であります。当時私は大正日々新聞社に起臥して、毎日新聞に筆を執つてゐたのでありますが、突如武装せる讐官二百五十名によつて水も(もら)さぬ大捜索が綾部の大本を中心に行はれたのでした。
 これは、大正八年発行の雑誌『神霊界』の記事の中に、不敬と考へられるべき記事があつたといふので、不敬罪及び新聞紙法違反といふ罪名のもとに、その事件となつたのであります。これがために私は予審中京都の監獄へ入つたのですが、その後責付(せきふ)となつて帰つて来ました。
 元来この十年事件なるものは、錯覚から始まつた事件であつて、事の(おこ)りは加藤確治(かくぢ)といふ一狂人の内申(ないしん)がその原因をなしてゐることは、新聞記事解禁当時に発行された全国各新聞の号外を見ても明かな事実であります。
 加藤確治は、自ら大本の幹部にならうといふ野心を抱いて、大正九年頃大本へ来たのでありますがその野心が容れられず、そのため、大本は竹槍を十万本用意して謀反の計画をしてゐるとか、十人生埋(いきう)めの地下室を実見したとか、爆弾を隠匿してゐるとか、大正の世にあり得ないやうなことを、いろいろと吹聴したのであります。然るに読者をして面白く読ましむれば、我事(わがこと)足るといつたやうな無節操な商品化した新聞は、常識を忘れて狂人の錯覚報告を(まこと)しやかに書き立てたものでありますが、そんな罪状が大捜索によつて(あらは)れよう筈がないのであります。泰山(たいざん)鳴動して鼠一匹といひたいが、鼠一匹も出なかつたのであります。
 同年旧九月五日京都地方裁判所の第一審に於て有罪の判決を受け、控訴しましたが、(とき)(とき)開祖の奥津城の改築は命ぜられる、本宮山の神殿は官憲の手によつて破壊される、──皇道大本としては多事多難でありました。
 しかし、これも皇道大本の如き新しい宗教的運動の初期に於ては(まぬが)るべからざる順路でありませう。
 (ことわざ)()ふ、『巨大なる器には巨大なる影がさす』と。又曰く、『敵無きものは味方もなし』と。今日(こんにち)の社会よりの攻撃は実に止むを得ざるものと思ふのであります。
 本宮山の神殿が官憲の手によつて破壊されたのは、大正十年十月二十日から一週間にわたつてでありましたが、私は十月十八日より本宮山の麓にある松雲閣に於て『霊界物語』の口述を開始することになりました。
 勿論神示のままを口述するのでありますから、参考書も何もある訳でなく、口述するのを(そば)に数名の筆録者がゐて筆記するのであります。
 これは明治三十一年旧二月九日から一週間、高熊山に於て修行した時、私の霊魂が霊界に逍遥して見聞したことを基礎として口述したのであります。はじめは綾部で致しましたが、その後は各地に旅行して口述しました。そして第一巻が発行されたのが、大正十年十二月でした。一巻は四六判三六〇頁乃至五○○頁で、全百二十巻の予定で現在既に八十巻を終へ、目下引続き口述中であります。
 私が『霊界物語』を口述する目的は、開祖の筆先の(しん)精神を詳説して、皇道大本の教を真解せしめ人群万類を安心立命せしめむがためであります。それ故、私は現代人の批難や攻撃なぞは余り意に介しないので、(ちやう)年月(ねんげつ)の間に於て無限なる人群万類のために師範たるを得ればよいのであります。そして『霊界物語』は百二十巻全部を読了しなくては分らないといふものではなく、非凡の精神の持主なれば一巻の或る一点を読んでも、全巻の精神が判るのであります。凡て物は個体によつて全体が摂取され得るものであります。
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