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昭青・坤生会等の諸体制

インフォメーション
題名:昭青・坤生会等の諸体制 著者:大本七十年史編纂会・編集
ページ:131
概要: 備考: タグ:植芝盛平(植芝守高) データ凡例: データ最終更新日:2017-09-06 20:49:30 OBC :B195402c5225
 一九三二(昭和七)年一〇月三〇日、神示によって艮坤旗(金神旗)が鶴山織で制作されることになった。この神旗については、「この度神示により『艮鬼門大金神』『坤鬼門大金神』の両神旗を、本部を始め別院、分院、分所、支部などにそれぞれ備へつけさして頂く事になりました。これはいつ如何なる場合に、どういふ御用にたちますのか、そのへんの所は御神命によって通達させられるはずでありますから、この際一日も早く思召通りにこれを備へておいて頂き度いと存じます。愈々の時になれば『艮の金神』『坤の金神』の名によって神が現れるといふ意味の筆先などか出ておりました所から考へますと、余程深い御神意があると考へさして頂くのであります」という本部の通達であって、使用目的や、その意義については明らかにされていなかった。金神旗は長旗で長さ七尺(二・七メートル)の小巾で、それには白地のうえに黒く「艮鬼門大金神」「坤鬼門大金神」と聖師の雄渾な文字が染めだされていた。
 一九三二(昭和七)年の一一月一日には、昭和坤生会が、昭和青年会から分離して結成された。従来、本部および各地区の分所・支部には信者の婦人が青年会に属してそれぞれのグループをつくっていた。しかし時局が急転し、大本の諸活動が活発になるにしたがって、婦人活動の分野も拡大してきた。また統一のある組織的活動が要請されてきたもので、信者の女性を結集する組織体として昭和坤生会がつくられたのである。
 その目的については会規の第二条に「本会は地上に真の平和と幸福をもたらすため愛善の大精神にもとづきて最善の誠をつくし、歓喜に充てる明るき世界の実現を図る」とのべられ、第三条に「機宜に応じて諸種の愛善的事業をなす」と定められていた。総本部は綾部町本宮におき、本部は亀岡天恩郷におかれて、各地に支部が設けられることになった。会員は十五才以上の女性がなった。出口王仁三郎を総裁に推戴し、会長に二代教主出口すみ子、会長補に出口直日が就任した。
 一一月三日、綾部の五六七殿において「どれほど男子が活動しやうと思っても、女子がしつかりと目を醒まして、男子を立ち働き得るやうにしなければならないのであります。国を乱すも国を建てるも女の力が非常に大きく響くのであります。……この婦人会が全世界の婦人の鑑となってゆかれるやうに、皆様でしつかりやつて下さい。他人から注意をうけた時は、自分の心を省みて心得るだけの心にゆとりがなければなりません。其心得がなければ全体の統一がとれるものではないのであります。皆のよい所ばかり持ちよつて一つの団体を造りたいと思ひます。もう誠より外には何もない。誠のかたまりの婦人会をつくりませう」という挨拶が会長によってなされた。昭和坤生会では、高木孝子・御田村卓子が常務幹事をつとめ、西村雛子が専務幹事として事務を掌理することとした。
 なお坤生会の名称の由来については、「坤生」の坤は「ひつじさる」という字で、火と土と水という意味があり、昭和青年会は「うしとら」であって表を守ることになるのにたいし、昭和坤生会は「ひつじさる」即ち内を守る御用を意味すると説明されている。会旗は青地の中に梅と松を組み合せた紋様で、長旗式につくられている。会服は昭和青年会と同様の国防色で、開襟にネクタイ、ずぼんにキャハンをつけ、また制帽もきめられた。
 昭和坤生会は組織して二ヵ月もたたない間に、昭和青年会に歩調をあわせて、一一月二八日から団体訓練を開始した。一二月五日には、昭和坤生会の主唱のもとに「むすびの日」が設けられた。この「むすびの日」には、昭和青年会・人類愛善会・大本瑞祥会も同調した。その主旨は「当日は菜肴の食膳を廃し、握り飯に塩を以て食事を済ませ一切の副食物は摂らず。これによって生れる節約費を国防費として献納する」というものである。本部ではこの主旨にもとづいて、一二月五日から毎週月曜日の昼食を「にぎりめし」とし、当日は事務・作業の休憩時間も全廃した。さらに年末年始における慣例の無駄をはぶき、真に生活更生の実践をあげるよう全国支部に通達した。
 これよりさきの一九三二(昭和七)年八月には、「真の武は神より来るものであります。武は(ほこ)を止めしむるの意でありまして、破壊殺傷の術ではありません。……地上に神の御心の実現する破邪顕正の道こそ真の武道であります」という趣意によって、大日本武道宣揚会ができた。そしてその総裁には出口王仁三郎が推戴され、総裁補には出口宇知麿、会長には植芝守高植芝盛平のこと。、顧問には出口日出麿が就任していた。会員の資格は一五才以上の男女として同好の人々が入会し、亀岡に本部、綾部に主部を、そして全国に支部が設置された。
 こうして大本の信者は、大本瑞祥会を母体とする人類愛善会・昭和青年会・昭和坤生会・大日本武道宣揚会・更始会・明光社・エスペラント普及会・ローマ字普及会などのそれぞれに所属して奉仕活動をすることになった。時局の影響もあって、昭和坤生会は、一一月に創立してから翌年二月上旬までの間に、支部の設置は一八五ヵ所におよぶ勢いであって、たちまちの間に全国的な婦人団体となった。昭和青年会も一二月には本部の組織を改め、統務委員制を採用して、統務のもとに編集・弁論・航空・訓練・騎乗・音楽の六部をおき組織の強化がはかられた。そして伊藤栄蔵のあとをうけて大国以都雄が統務主任となり、同補に神本泰昭が就任した。このときの青年会の支部総数は三五九ヵ所の多きにのぼっている。
 大本の宣教活動や明光社の文芸運動もいささかの後退を示すことなく活発であり、人類愛善会・昭和青年会・昭和坤生会などの内外におけるはなばなしい活動とあいまって、大本内部には愛国的な思潮が高揚した。
 当時国内においては神道的な日本精神運動がさかんとなり、惟神の大道・皇道日本の主張が充満して、大本が大正一〇年以前に活発に唱道宣伝したところの「皇道維新」の叫びが復活したかの観があった。大本信者のなかにも皇道維新論の精神を回顧し、大本も「皇道大本」に復帰すべきであるという傾向があらわれてくるようになった。
〔写真〕
○艮坤神旗 p131
○昭和坤生会の結成 左から7人目 会長補出口直日 会長出口すみ子 総裁出口王仁三郎 顧問出口日出麿 p132
○モンペ姿で訓練がはじめられた p132
○昭和坤生会旗 p133
○大日本武道宣揚会 p134
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