霊界物語.ネット~出口王仁三郎 大図書館~
×
設定
URL:
印刷用画面を開く [?]プリント専用のシンプルな画面が開きます。文章の途中から印刷したい場合は、文頭にしたい位置のアンカーをクリックしてから開いて下さい。[×閉じる]
話者名の追加表示 [?]セリフの前に話者名が記していない場合、誰がしゃべっているセリフなのか分からなくなってしまう場合があります。底本にはありませんが、話者名を追加して表示します。[×閉じる]
表示できる章
テキストのタイプ [?]ルビを表示させたまま文字列を選択してコピー&ペーストすると、ブラウザによってはルビも一緒にコピーされてしまい、ブログ等に引用するのに手間がかかります。そんな時には「コピー用のテキスト」に変更して下さい。ルビも脚注もない、ベタなテキストが表示され、きれいにコピーできます。[×閉じる]

文字サイズ
行間
ルビの表示


アンカーの表示 [?]本文中に挿入している3~4桁の数字がアンカーです。原則として句読点ごとに付けており、標準設定では本文の左端に表示させています。クリックするとその位置から表示されます(URLの#の後ろに付ける場合は数字の頭に「a」を付けて下さい)。長いテキストをスクロールさせながら読んでいると、どこまで読んだのか分からなくなってしまう時がありますが、読んでいる位置を知るための目安にして下さい。目障りな場合は「表示しない」設定にして下さい。[×閉じる]


宣伝歌 [?]宣伝歌など七五調の歌は、底本ではたいてい二段組でレイアウトされています。しかしブラウザで読む場合には、二段組だと読みづらいので、標準設定では一段組に変更して(ただし二段目は分かるように一文字下げて)表示しています。お好みよって二段組に変更して下さい。[×閉じる]
脚注[※]用語解説 [?][※]、[*]、[#]で括られている文字は当サイトで独自に付けた脚注です。[※]は主に用語説明、[*]は編集用の脚注で、表示させたり消したりできます。[#]は重要な注記なので表示を消すことは出来ません。[×閉じる]

脚注[*]編集用 [?][※]、[*]、[#]で括られている文字は当サイトで独自に付けた脚注です。[※]は主に用語説明、[*]は編集用の脚注で、表示させたり消したりできます。[#]は重要な注記なので表示を消すことは出来ません。[×閉じる]

外字の外周色 [?]一般のフォントに存在しない文字は専用の外字フォントを使用しています。目立つようにその文字の外周の色を変えます。[×閉じる]
現在のページには外字は使われていません

表示がおかしくなったらリロードしたり、クッキーを削除してみて下さい。

第四回公判調書(3)

インフォメーション
題名:第四回公判調書(3) 著者:
ページ:488
概要:被告人出口伊佐男は、大本教義の根幹をなす「国常立尊の退隠と再現」について、当局側の「皇統否定の仮託である」という疑いに対する反論を行っている。伊佐男は、天照皇大神と天照大御神の関係を言霊学上の解釈として説明しつつも、信仰上は同一神として祀るべきものであるとしている。また、盤古大神の統治が現在の皇室を指すという予審の解釈を否定し、これらは太古の「エルサレムを中心とする世界一体の時代」の霊界の出来事であって、現界の移写関係をそのまま当てはめることはできないと主張する。これらは王仁三郎の「神懸り」による神示であり、不逞な作意によるものではないと弁明している。 備考: タグ: データ凡例: データ最終更新日:2026-06-17 08:35:46 文字数:9487 OBC :B195503c220323
 裁判長は、
  被告人出口伊佐男に対する予審第三十一回訊問調書第一、二問答を読み聞け、
  被告人は予審第三十一回訊問第一、二問答に於て暴力に訴へて立替立直をするものなる旨斯様に説明し居るが如何。
  其の通り私が説明した事にはなつて居りますが夫れは私の信念主張に反するものであります、私は予審判事の御取調に際して色々申上げたい事がありましたが、判事様よりは立替立直に関する資料手段方法統治権に関するものを出せとの事でありましたから、私は大本文献中から探し出して提供しました、夫れで夫れ等の資料によつて訊問せられたのでありますが、私の考へと判事の考へとは一致せぬ処があり、私の提供した資料丈では不満がありましたので判事が作つて居られた索引によつて文献と照応せられ、夫れによつて文献を指摘せられましたので私が夫れに基いて又文献を探し出して提供しました、夫れに基いて訊問せられたのでありますが私は余りにも恐れ多い事を申されましたので、私からは恐れ多い事は口に出す事が出来ませぬでした、従つて一方的な解釈によつて調書は作成せられたのであります、
 尚又予審判事は統治者に関するものを出せと命ぜられましたので、私は統治者とは立替立直の事に当るもの即当事者であると思ふて居りましたので立替立直に奉仕する者即父王仁三郎及開祖直に関する文献を探して提供したのであります、処が後に統治者である事に気付いたのでありまして、予審調書に書いである事は一方的に解釈して作り上げられたものであり私の信念に反するものであります。
  右予審調書中に指摘せる往生さすとか成敗するとかとあるのは誰を指して云へるものなりや。
  地上霊界に於ける悪神悪霊を指して云ふたものと思ひます。
  尚同問答に於て兵糧が必要である云々と述べ居るが、立替立直には暴力を用ひるに依り兵糧が必要なるにあらずや。
  夫れは国内に於ける立替立直に付て暴力を用ひる為に兵糧を貯へて置くのでありませぬ、世界の立替立直に付ては大戦争が起るから此の時には兵糧も要る、夫れで粗末にせぬ物質を大切にせよと云ふて居るのであります。
  尚立替立直は天災や戦争では出来るものではないとあるは如何。
  立替立直に最も必要なのは心の立替立直でありますから、立替立直は戦争や天災地変等によつて出来るものではないと書いてあるのであります。
  皇道大本に所謂立替立直の時期如何。
  筆先によりますと立替立直は明治二十五年より三十年後であると書いてあり、次で其の時期が十年延びたとか云ふ筆先が出て居りまして、立替立直の時期に付ては判然した事が書いてありませぬから、私にも判然した事は判りませぬが、父王仁三郎存命中には実現するものと思ふて居りました。
  大本に於ては如何なる神様を主祭神となし居りしや。
  皇道大本の主祭神は天照皇大神であります。
  天照皇大神と大本皇大神とは同一神なるや。
  大本皇大神は天照皇大神を始め八百万神を総称して居るのでありまして万神の帰一するところは天照皇大神と大本皇大神とは同一神に帰着致します。
  天照皇大神及大本皇大神は大本に於てのみ説き居るものなりや。
  大本皇大神は大本丈で説いて居る神であります、天照皇大神は世間一般で申して居る処でありまして、神皇正統記にも天照皇大神と書いてあります。
 裁判長は、
  被告人出口王仁三郎の証拠品中証第四、九八二号を展示し、
  之れは如何なる神様なるや。
  私は扉を開いて見た事がありませぬから、何処に祀つてあつたのか判りませぬ、父が申した通りであると思ひます。
  天照皇大神は如何なる神様並神業を為さるる神様なるや。
  宇宙の大元霊を天之御中主の大神と申して居り其の御精霊の体化されましたのが天照大御神であり天之御中主の大神の極徳を顕現せられたのが天照皇大神であります。
  天照皇大神と天照大御神とは御神格御神業に於て差異ありや。
  言霊学上天照大御神と天照皇大神とは御神格御神業に於て差異があると説いて居ります。天照大御神の御神格上天照皇大神と申しますのが大本の主張でありまして皇は統べると云ふ事になつて居り、天照大御神は天之御中主大神の顕現神であり其の極徳を発揮せられるのでありますから、天照大神の事を天照皇大神と申上げべきものと私は思ふて居ります。
  大本に於ては天照皇大神と天照大御神とは別神の如く主張し居りたるにあらずや。
  私は其の様な事は知りませぬ、私は切り放して考へた事はありませぬ。
  然し霊界物語第四十七巻には別神の如き書き居るにあらずや。
  夫れは言霊学から説いて居るのであります、言霊学上から申しますと天照皇大神は宇宙の主宰神天照大御神は天界の主宰神であると説いて居り天照大御神が天之御中主大神の御神格御神徳を発揮せられた際を天照皇大神と申し天之御中主大神の別名になるのであると説いて居ります。従つて之れは公判準備手続に於て申上げたと同一であります、従つて天照皇大神は現幽神の三界を統一せられて居るのであります、何時であつたか記憶して居りませぬが、地方の信者から伊勢の皇大神宮の御札を貰つたが如何に扱つたら良いかと問合せて来ましたので伊勢の天照皇大神と大本皇大神とは同一神であるから御一緒に御祀りして差支ないと申して貰つた事があります。
 裁判長は、
  被告人出口伊佐男に対する予審第十八回訊問調書第一問答の四を読み聞け、
  被告人は予審第十八回訊問第一問答に於ては斯様に別神の如く供述し居るが如何。
  其の通り申した事になつて居りますが夫れは私の意思に反した供述であります。
  大本に於ては立替立直みろく神政成就を必要とする理由即ち大本の根本理論として国常立尊の退隠及再現並豊雲野尊の退隠及再現を説き居るや。
  其の通り相違ありませぬ。
 裁判長は、
  被告人出口王仁三郎に対する証拠品中、
  証第一六二号神諭天之巻及火之巻、証第九三号大正七年二月十日発行神霊界九頁及十頁並に四十頁及四十一頁の「太古の神の因縁」
  証第三、六五八号中霊界物語第一篇の内第十八章「霊界の情勢」
  同第一篇第二十二章「国祖御隠退の御因縁」
  同第二篇総説中の第九頁「盤古大神塩長彦命云々」
  同第四十七篇総説
の記事を各展示し且読み聞け、
  右国常立命の退隠及再現の理論は右神諭天の巻及火之巻に断片的に記載しある外右読み聞けたる「太古の神の因縁」「霊界の情勢」「国祖御隠退の御因縁」「霊界物語第二篇総説中の盤古大神塩長彦命云々」「同第四十七篇総説」等の記事中に於て説かれ居るや。
  其の通り相違ありませふ。
 裁判長は
  被告人出口伊佐男に対する予審終結決定書記載の大本教義要旨㈠を読み聞け、
  右述べたる文献によれば右根本理論として説く所の要旨は斯様に
なるにあらずや。
  其の様な解釈は出て来ませぬ、私の申上げた事を改めたり附加せられたりして其の様な理論を予審判事が作られたのであります、只今御読み聞けになりました要旨は霊界の事を書いて居るのでありまして只今御読み聞けになりました内から間違つて居る点のみを申しますと、第一に「天之御中主神は天之御先祖みろく菩薩至仁至愛の神にして」とありますから此の内のみろく菩薩と云ふのは間違ひであります、
 次に「国常立尊は地上の主権を帯びて国上を統治し給ひ」とありますが、国常立尊は霊界を統治せられる事になつて居つたのでありますから此の点は間違ひであります、次に「盤古大神即ち瓊々杵尊」とありますが盤古大神と瓊々杵尊は同一神でありますから「でありますから」は底本通り。前後の文脈から見て「でありませぬから」の間違いではないか?之は間違ひでありますから「即ち瓊々杵尊」を削除せねばなりませぬ、
 「現御皇統に於て日本を統治し給ひたる為云々」とありますが、之れも間違ひでありまして、盤古大神の施政方針が悪かつた為に体主霊従悪逆無道の現社会を招来したのであります、
 次に「撞の大神は艮に退隠せる国常立尊に対し再び地に地上の主権を付与し給ひ」とあり、其の次に「同尊は豊雲野尊と共に綾部に再現し」あるのは地上現界の事を申したのではなく、霊界の事を申して居るのでありますから、当然間違ひであります、其の他の事実は其の通り相違ありませぬ。
 裁判長は、
  被告人出口伊佐男に対する予審第十八回訊問調書同第二十一回訊問調書同第二十二回訊問調書及同第二十三回訊問調書を読み聞け、
  被告人は予審第十八回訊問に於て「太古の神の因縁」同第二十一回訊問に於て「霊界の情勢」第二十二回訊問に於て「国祖御隠退の御因縁」同二十三回訊問に於て「盤古大神塩長彦命云々」記事の各説明を斯様に為し居るが、之等の説明を綜合すれば右予審終結決定書記載の大本教義要旨㈠の通りとなるにあらずや。
  只今御読み聞けになりました通り申上げた事にはなつて居りますが、予審判事から決定書に書いてある教義に関する資料を出せと命ぜられましたので大本の文献から其の資料を探し出して提供したのであります、夫れによりて予審判事は苦心と努力をして其の調書を作成せられたのでありまして、私の信念に反する事が書かれて居るのであります。
  右国常立尊及豊雲野尊の退隠再現に関する大本の根本理論は、神界霊界のことに仮託して地上現界に於けることを説きたるものにして盤古大神の事は同神の意志を藉りて瓊々杵尊の御事を説きたるにあらずや。
  左様ではありませぬ。
  現界の事は明に云ふ事が出来ぬにより神界の事に仮託して説き居るにあらずや。
  左様ではありませぬ。
 裁判長は、
  被告人出口伊佐男に対する予審第十九回訊問調書第一問答を読み聞け、
  被告人は予審第十九回訊問第一問答に於て国常立尊は大国主命の事であり豊雲野尊は少名昆古那命の事であり、之を云はそとして云ふたものであると斯様に説明し居るが如何。
  私は予審で御取調を受けた際予審判事から国常立尊の退隠は日本書紀、古事記に照せば何に該当するかと問はれましたので私は国常立尊の退隠は古典には出て居らぬ筆先には出て居るが之れら古典に当て嵌める事は出来ぬと申しました、すると大国主命の史料を出せと申されましたので其の史料を探し出して提供しましたら、夫れを筆先に結び付けて右読み聞けの如き調書が作られたのでありまして、其の調書に書いてある事は私の信念に反して居ります。
  此の理論は被告人が初めて予審に於て云ひ出したるものこして予審判事に於ても準備して居らざりしにあらずや。
  其の様な事はありませぬ、私の調書全部を通してでありますが、何れも予審判事に対して私から進んで申上げた事になつて居りますが、之れは全部間違でありまして、私は皇道に反する事を申した事はないのであります。
 裁判長は、
  右予審終結決定書記載の大本教義要旨㈡を読み聞け、
  然らば右予審終結決定書記載の大本教義要示㈡は全面的に否認する事となるや。
  只今御読み聞けになりました内の「盤古大神即ち瓊々杵尊云々」以下は、大本の主張に反する事であります、夫れ以外は古事記に書いてある通りでありますし、大本の文献にも書いてありますから、此の通り相違ありませぬ、右主張に反すると申しました点に付て申上けますが、右決定書には国常立尊は即ち大国主命であると書いてあります、天地創造の当時大地を修理固成せられたのが国祖即ち国常立尊であります、従つて之が大国主命でありとすれば根本から間違つて来るのであります、大国主命には国常立尊の御事蹟はありませぬ、国常立尊は霊主体従であり厳格剛直でありましたが、大国主命は体主霊従であつたと文献に書いてあります、従つて国常立尊と大国主命と結びつけて考へる事は出来ぬのであります。
  大本に於ては大本教義の一として素盞嗚尊の神逐及再現の経綸を説いて居るが。
  説いて居ります。
 裁判長は、
  右予審終結決定書記載の大本教義要旨㈢を読み聞け、
  其の教義の要旨は此の通りなるや。
  只今御読み聞かせになりました大本教義要旨㈢の内「伊邪那岐尊の神勅に依り天照大御神は高天原即ち太陽界の主宰神と定まり天津神と国津神の区別歴然と神定まりたるを以て日本は勿論全地球「素盞嗚尊之を統治すべきものなること右神勅に依り明瞭なり」とありますが、本文には「日本は勿論」と云ふ事は書いてなかつたと思ふて居ります、仮令日本と云ふ文書があつたとしても深い意味は持つて居りませぬ、
 其次に「従つて同尊及其の御神系に於て日本を統治し給ひたらんには、天孫瓊々杵尊御降臨の必要なかりしものなり」とありますが、之れは大本では主張して居りませぬでした、
 尚又其の次に「元来国津神の御系統に於て統すべき日本を天津神の御系統に於て統治し給ふは、右伊邪那岐尊の神勅に背反するものにして、之が為め現代の如き優勝劣敗、弱肉強食の紛乱状態を呈するに至り」とありますが、之は大本に於ては主張して居なかつたのでありまして、現代の社会が優勝劣敗弱肉強食の紛乱状態を呈して居る事は間違ひありませぬが、其の原因が決定書に書いてあると違つて居るのであります、
 次に「因て至仁至愛の神素盞嗚尊は出口王仁三郎を機関として顕現し云々」とありますが「顕現」とありますのは「神意を表現せる」と訂正すべきものであり、尚其の次に「現代の紛乱世界を立替立直して云々」とありますが、此の「紛乱世界」とありますのは「紛乱せる精神界」と訂正すべきものであります。
  右㈢の教義は王仁三郎全集第一巻中の至聖殿落成所感中に掲載しありや。
  左様であります。
 裁判長は、
  被告人出口王仁三郎の証拠物件中証第二、〇五八号中王仁三郎全集第一巻中至聖殿落成所感の記事を読み聞け、
  此の通り掲載せられ居る事は間違なきや。
  其の通り相違ありませぬ。
  右記事に依ては天照大御神は高天原、素盞嗚尊は大海原を知食せ云々とあり、天津神と国津神とは歴然たる区別ありと書かれてあり、更に同記事中に「天孫が御降臨なさらないでも此の国は、伊邪那岐、伊邪那美の神様の御神勅が行はれて居つたならば天孫の御降臨の必要はないのである」と記載してある点よりすれば恐れ多い事でありますが現御皇室の御統治は右伊邪那岐尊の神勅に背反し居るとの趣旨を暗示し居る如く解せられる様なるが如何。
  私は其様には感じて居りませぬでした、素盞嗚尊は伊邪那岐尊の神勅によつて大海を知食せられる事になつたのでありますが、素盞嗚尊は其の御命令に従はれず大海原を知食めされませぬでしたので、伊邪那岐尊より国を去れと命ぜられて退隠せられたのであります、従つて神勅違反にならぬと解して居つたのであります。
  大海原は国津神で統治せらるべきを天津神で統治せられ居るに付き伊邪那岐尊の神勅に反し居るにあらずや。
  左様な事はありませぬ、皇大神として統治して居られるのでありますから、神勅には違反して居りませぬ、私は之れが皇道の本義であると確信して居りました。
  世界の立替立直は精神界にあらずして現界の立替立直にあらずや。
  左様であります、立替立直は紛乱世界の立替立直でありますから、現界の立替立直も為されるのではありますが、至仁至愛の神としては精神界の方面が主でありまして、父王仁三郎も亦心の立替立直を行ふものであります。
  右㈢の大本教義は霊界の事なりや又は現界の事なりや。
  私は現界の事であると思ふて居ります、然し立替立直は父王仁三郎の使命であると云ふ事になりますと精神界の事であります。
 裁判長は、
  被告人出口伊佐男に対する予審第二十回訊問調書第一問答の八を読み聞け、
  其の点に関し被告人は予審第二十回訊問第一問答の八に於て斯様に供述して居るが如何。
  御訊ねの通り私が申した事にはなつて居りますが夫れは私から申した事ではありませぬ、夫れは私の信念に反することでありまして私の言はぬ事が書かれて居るのであります。
  然し大本に於ては右㈠㈢の教義を主張し居りしことは相違なきや。
  御訊ねの通り㈠㈢の教義を主張して居つた事は間違ありませぬ。
  右二つの教義を主張し居りし理由如何。
  夫れは私には判りませぬ。
 裁判長は、
  被告人出口伊佐男に対する予審第十九、二十一、二十四回訊問調書の右一問答及被告人出口王仁三郎に対する予審第九回訊問調書第三問答を読み聞け、
  右㈠及㈢の両教義を主張する理由に付て被告人及王仁三郎は予審に於て斯様に供述し居るが如何。
  夫れは私には判りませぬ、私は夫れは神懸りによる結果であると思ふて居り作意があるとは思ひませぬでした。
 裁判長は、
  被告人出口伊佐男に対する予審第六回訊問調書第一問答の田の⑴の⑸以下を読み聞け、
  被告人は予審判事に対し斯様に供述し居るが昭和二年頃王仁三郎より神勅違反の事実を聞き居りたるにあらずや。
  夫れは私の信念に反する供述であります、夫れは警察で御取調を受けて居つた際であつたと思ひますがみろく神政成就後天皇陛下には伊勢神宮の祭主になつて戴くのであると父が申して居つたとの事を聞きました、夫れを誰かが申したとしますと夫れを対照せられて記憶にせられたのではないかと思ひます、御読み聞けになりました事は私が申したのではありませぬ。
  王仁三郎は如何なる神の霊代なりと主張し居りしや。
  父の申した通りであります。
 裁判長は、
  被告人出口伊佐男に対する予審第二十四回訊問調書末尾添付の第五表を展示し、
  被告人は予審第二十四回訊問の際王仁三郎及直の霊代関係に付斯様に表を作成提出し居るが此の表の通り相違なきや。
  只今御示しになりました表は私が作成したものでありますが間違つて居る点があります、御示しの表に天地と分けて書いて居りますが之れは深い意味があるのではありませぬ、尚其の表の内国常立尊が大国主命である点、国武彦命が大国主命である点、稚姫君命が天照大神である点、豊雲野尊即ち坤の金神が少彦名命である点は間違であります、而して其の表中に天地を配して居りますが之は総て抹殺して貰ひ度いのであります、又神政成就後の分として書いて居る点も間違であります。
  神の霊代顕現とは如何なる事なりや。
  神の霊代とは神懸りせられる身体を云ひ神の顕現とは霊代を通して神意を表はしたものであります。
  王仁三郎が国常立尊の霊代なりと主張したるは教祖ナカの死亡後なるや。
  左様であります。
  王仁三郎が国常立尊の霊代なりと主張するに至りし事情如何。
  先日の公判に於て父王仁三郎が申して居つた通りであります。
  大本に於ては変性男子変性女子なる事を云ひ居りしや。
  申して居りました、之れも先日の公判で父王仁三郎が申して居つた通りであります。
  王仁三郎の霊代関係から説明すれば王仁三郎が現代の世の立替立直を実行し日本の統治者となるに非ずや。
  御訊ねの様にはなりませぬ、王仁三郎は神の霊代でありますから御訊ねの様にはなりませぬ、神懸りは一時的のものでありまして神と人間の肉体とは別であり混同して云ふ事は出来ませぬ、国常立尊が此の世に再現せられたのでありますれば、国常立尊は其の肉体を持つて来られねばなりませぬ、然るに国常立尊は神意を表示せられる丈であり王仁三郎は肉体を以て神に奉仕して居る丈であります。
  大本に於ては移写関係を主張し居るや。
  左様主張して居ります、移写関係とは霊界の状況が現界に映出せられる事を申すのでありまして、霊界が悪くなつたら現界も悪くなつて来ると云ふのであります、霊界は空間時間を超越して居るのであり、霊界の事が現界に移写せられる場合は相応したところがあり因縁に依て移写せられるのであります。
  王仁三郎は移写関係とは合せ鏡の如くであると供述し居り、尚大本の文献にも同様記載せられて被告人の供述と相違して居るが如何。
  私は今申した通りであると思ふて居り、霊界で起つた事が其の霊の姿で現界に移写せられるとは思ふて居りませぬ、又大本でも右の如く主張して居ると思ふて居ります。
  霊界に於ける国常立尊の退隠により盤古大神が其の後を襲ひ統治せられる事は被告人の認むる処なるが、右の事実は地上現界には如何に移写したりや。
  国祖国常立尊の御退隠の最後の事情に付ては霊界物語第一巻に示されて居りますが、神々の因縁等同所に記載してある事は寧ろ序文とも云ふべきものでありまして、其の本論は第一巻以外の第四巻乃至第六巻に詳述して居ります、第一巻には総ての事を示して居りますので表示の仕方に無理があります、私等は国祖御隠退の因縁を説くときは右述べました本論を読んで居ります、
 霊界物語第一巻によりますと、国祖御隠退後の事情に付ては支那に生れたる盤古大神が日本に渡来せられた事になつて居りますが、右本文には小亜細亜のヱルサレムとあります、従つて日本に渡来せられたと云ふ点が誤解される恐がある様に思はれますが盤古大神が国常立尊を襲はれて統治せられたのは右ヱルサレムの事であり日本ではないのであります、
 尚盤古大神は善良温順な神であると示されて居り部下の神々が悪霊の為めに遣られたので泥海の如くになつたのであると書いてあります、夫れで伊邪那岐尊が修理固成せられたのであります、此の事は日本書紀、古事記にも書いてある通りでありますから間違ないと思ひます、
 此の当時は神人同一時代でありまして、神が人体化されて居らなかつた時代でありまして、今日で云へば地上霊界に相当するのであります、此の点から考へても盤古大神の時代とは大分日時が経過して居り時代が違つて居り盤古大神が国常立尊の後を襲はれた当時は未だ霊界現界の区別のない時代であり、神人同一時代でありますから霊現移写の関係があり得べき筈がないのであります。
  盤古大神は支那に生れ日本に渡来せられたものなることは相違なきや。
  夫れは間違ありませぬ、然し其の当時の日本は現在の日本ではなく現在の小亜細亜のヱルサレムを中心とする日本であつたのでありまして当時は日本世界は一体であつたのであります、従つて盤古大神は現在の日本に渡来せられたのではありませぬ。
  然らば国常立尊は現在の日本に居られざりし事となるや。
  左様であります、国常立尊はヱルサレムを中心とする日本に居られたのでありまして、ヱルサレムから艮に当る現在の日本に押込められたのであります。
  艮は冠島を指すにあらずや。
  綾部から申しますと冠島は艮に当るのであります、其の当時の艮は日本に当るのであります。
  大本に於ては大本信条大本規程を設け居るや。
  左様であります。
 裁判長は、
  被告人出口王仁三郎の証拠品中証第一、〇九六号皇道大本事務便覧中の大本信条大本規程を読み聞け、
  大本信条及大本規程と此の通りなるや。
  其の通り相違ありませぬ、大本信条は筆先及霊界物語の根本精神を表現したものであり教義の主要なものが掲けられて居ります、之れは文書通り読んで解釈して頂き度いと思ひます、次に大本規定は第一条に大本の根本目的を掲げて居るのでありまして、みろく神政成就と同意義であります、第二条以下は大本の組織役員の任命等大本なる団体としての規則が掲げてあるのであります。
このページに誤字・脱字や表示乱れなどを見つけたら教えて下さい。
返信が必要な場合はメールでお送り下さい。【メールアドレス
合言葉「みろく」を入力して下さい→