霊界物語.ネット~出口王仁三郎 大図書館~
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第四回公判調書(4)

インフォメーション
題名:第四回公判調書(4) 著者:
ページ:494
概要:大本が活動を活発化させた節目である昭和3年3月3日の「みろく大祭」と、その後の組織運営について、被告人出口伊佐男は述べている。王仁三郎が「みろく菩薩」として下生したとされるこの祭典は、宗教的な「愛の宣伝使」としての活動開始を祝うものであり、政治的組織の結成ではない。瑞祥会や人類愛善会、昭和神聖会などの各外郭団体は、それぞれ特有の目的(エスペラント普及や武道宣揚など)を持ち、大本とは別個の組織でありつつも、皇道精神の普及という点では一致していたと伊佐男は述べる。また伊佐男は、自分が大本の最高幹部として事務の全責任を負い、教義の宣伝や信者の指導にあたっていたを認めている。 備考: タグ: データ凡例: データ最終更新日:2026-06-17 08:37:51 文字数:9300 OBC :B195503c220324
  大本に於ては昭和二年五月二十七日開窟奉賽祭昭和2年(1927年)5月17日、大赦令により原審破棄免訴となったので「大本事件開窟奉賽祭」を執行した。開窟とは岩戸が開けたということ。を執行したるや。
  左様であります、先日の公判に於て父王仁三郎が申した通りでありますが、私は其当時旅行をして居りましたから詳しい事は知りませぬし、其の後に於ても詳しいことは聞いては居りませぬ。
  出口王仁三郎は大正十年二月に不敬事件等に於て検挙せられ、昭和二年五月十七日大審院に於て免訴の判決を受けたる事は間違ひなきや。
  それは御訊ねの通り相違ありませぬ。
  右事件で免訴になりたる為同祭を執行したるに非ずや。
  其の点に関しては判然した記憶はありませぬから何とも申上げる事は出来ませぬ。
 裁判長は、
   被告人出口伊佐男に対する予審第二十七回訊問調書第一問答を読み聞け、
  被告人は予審第二十七回訊問第一問答に於て開窟奉賽祭を執行したる目的等に付き斯様に供述し居るが如何。
  其の通り申上げた事にはなつて居りますが、私には詳しい記憶がないのでありまして、判然した事は判らぬのであります。
  出口王仁三郎は自己が五十六歳七ヶ月に達したるときみろく菩薩として出現しみろく神政を成就せしむへきことを予言し居りしや。
  其の通り相違ありませぬ、大本の文献にも其の趣旨の事を書いて居りました。
  大正八年八月十五日発行の神霊界に右趣旨の事が掲載せられ居るが如何。
  其の頃から御訊ねの如く予言して居りました。
  昭和三年三月三日は王仁三郎の五十六歳七ヶ月に相当したりや。
  相当して居つた様であります。
  右みろく大祭を執行するに付き準備し居りしや。
  準備はして居つた事と思ひます、先日の公判に於ては私も其の準備を命ぜられて居つた如くでありましたが私は準備を命ぜられた記憶はありませぬ。
  昭和三年三月三〔二の誤か〕日夜被告人出口王仁三郎より教主殿に出口元男、遙、井上留五郎、高木鉄男、岩田久太郎、東尾吉三郎、御田村竜吉、桜井同吉、湯川貫一、栗原七蔵、湯浅斉治郎、出口慶太郎、四方平蔵、梅田信之、中野岩太、西村昂三の十六名と共に招致され出口王仁三郎より三月三日行はるるみろく祭の事に付話ありたるや。
  其の席には兄元男、遙、私の三人は出席して居りませぬでした。
 裁判長は、
  被告人出口王仁三郎に対する証拠品中、証第三、八四一号大本総合日記中、昭和三年三月二日の分を読み聞け、
  大本総合日記によれば斯様に記載せられ居るが如何。
  三月二日に亀岡から綾部に帰つて来た事は間違ありませぬが、私は其の席には出席して居りませぬ。
  王仁三郎より右話のあつた後教主殿に於て総務会議が開催せられ被告人も出席したるに非ずや。
  私は同夜総務会議の開かれた事は少しも知りませぬ、従つて総務会議にも出席して居りませぬ、昭和三年二月兄元男が婿養子となり披露がありましたので私は教主補佐を辞任し兄元男が教主補となりました、夫れで私は夫れ以後は人類愛善会の仕事をして居り大本には関係して居りませぬでした、而して其の当時は大本総務ではありませぬでした、尤も昭和四年四月頃以後は更始会瑞祥会に関する限り大本総務ではありませぬでしたが総務会議に出席して居りました、総務になつてから後は私は王仁三郎の言葉を伝達して居りましたので昭和三年頃にも其の通りであつたと思ひ違ひをせられて予審調書には私も総務会議に出席して居つた如く書かれたのであります、斯る明瞭な事柄に於ても私の主張は容れられなかつたのでありますから教義等に於ておやであります。
  然らは三月二日夜は何処に居りしや。
  私は出席する資格はありませぬでしたから教主殿内の一室に寝て居りました。
  三月二日の夜王仁三郎より招致せられたる約十七名に対し王仁三郎は、
  ㈠同月三日愈みろく菩薩として諸面諸菩薩を率ひ此の世に下生しみろく神政成就の為め現界的活動を為す事となりたる旨
  ㈡諸面諸菩薩は右十六名及西村昂三の十七名なる旨
  ㈢王仁三郎及右十七名は従来の役職を返上し同月三日一日間無役となるべき旨
を云ひたるに非ずや。
  只今御訊ねになりました内㈡の事項は聞いた様に思ひませぬが㈠及㈢の事は三月三日のみろく大祭当日内事課長から聞いたか又は其の翌三月四日高熊山に行つた際井上留五郎から聞きました。
  然し被告人は公判準備手続の際は右三事項共聞いた旨認め居りたるが如何。
  夫れでは公判準備手続の際は私の注意が足りなかつたのであります、本日申述べたのが正しいのであります。
  昭和三年三月三日みろく大祭を執行したるや。
  執行致しました。
  みろく大祭の状況如何。
  三月三日朝父王仁三郎は出口家の家族一同と共に教祖の墓に御詣りし、次いで同日午前九時三十分頃より綾部町本宮山の大本弥勒殿に於てみろく大祭を執行しました、而して弥勒殿奥の至聖殿には出口家の家族全部と其外に先刻御訊ねになりました大本の幹部十三名が昇殿し、父王仁三郎と母スミが中央に座り其の両側に二、三列に昇殿者一同が座りました、夫れから父と母は至聖殿の階段を上つて内陣の上段に座して一同と共に神言を奏上し、次で父が黙儔か祈願か感謝をして居りました、多分父は五十六歳七ヶ月を迎へましたので感謝の祈願をしたものと思ひます、夫して私等は只頭を下げて居つたのであります、夫れが済んで今度は大祓の祝詞を奏上する事になりましたので、昇殿者並に参列の信者一同大祓の祝詞を奏上しました、夫れが済むと父が、
  「万代の常夜の暗もあけはなれ
    みろく三会の暁きよし」
と云ふ作歌を朗詠し次で神饌物を昇殿者一同に下渡しました。
 私は大根と頭芋を一個宛貰ひました、夫れが済んで式は終つたのでありまして、一同退下しましたが、私等は教主殿に行つて父王仁三郎に御目出度うと御祝を申したのであります、当日父から参列の信者に対しては挨拶も訓示も致しませぬでしたが翌三月四日高熊山に行つた際井上留五郎より信者一同に挨拶をしました。
  王仁三郎はみろく神政成就を祈願したるに非ずや。
  みろく神政成就は大本の根本目的でありますから、当日王仁三郎もみろく神政成就の祈願をした事は間違ありませぬ。
  他の昇殿者もみろく神政成就の祈願したるや。
  他の人は何をやつたか知りませぬが私は黙て居りました、父が先達て祈願して居りましたから一同がみろく神政成就を祈願した事になります、私としては五十六歳七ヶ月を御祝する意味が大であり他の事は考へませぬでした。
  右十七名はみろく神政成就の為め本格的活動を為す事を誓ひたるや。
  其の様な誓ひはして居りませぬ、右みろく大祭は父王仁三郎がみろく菩薩として下生したのが御目出度いと云ふ御祝の意味であつたのでありますから其の様な誓はして居りませぬ。
  王仁三郎の朗詠したる作歌の意味如何。
  夫れは愈々みろくの世になつて気持が良いと云ふ意味でありまして右みろく大祭は大本としてのみろく神政成就と云ふ意味になるのであります。
 裁判長は、
  被告人出口王仁三郎に対する証拠品中、証第四、二一五号昭和三年三月五日及同月十五日発行真如の光を読み聞け、
  みろく大祭の状況は此の通りなるや。
  其の通り相違ありませぬ。
  みろく大祭終了後王仁三郎に挨拶の為め教主殿に行きたる際、王仁三郎は神饌物下渡の意義を説明し且みろく神政成就の為め本格的活動する事を慫慂したるに非ずや。
  其の様な事は聞いて居りませぬ、予審調書に書かれてあるが如き意義があるのでありましたら、私は下渡して貰つた神饌物を私が料理して喰へて居つたのでありませうが、其の様な意義は知りませぬでしたから私は少しも喰へませぬでした。
  王仁三郎がみろく菩薩として諸面諸菩薩を率ひ此の世に下生しみろく神政成就の為め現界的活動を為す事となりたるとは如何なる意味を有するものなりや。
  釈迦は入滅後五十六億七千万年後に再度して宗教的活動をすると仏書に書いてあります、菩薩は宣伝使でありますから王仁三郎は愛の宣伝使として此の世に下生して活動する事になつたから諸面諸菩薩になつた者も宣伝使として活動させて貰ふと云ふのであります。
  出口家以外の者を至聖殿に昇殿せしめた事に付ては重大なる意義ありたるに非ずや。
  父王仁三郎の誕生祭には出口家の家族は全部昇殿して居りますがみろく大祭は父王仁三郎が五十六歳七ヶ月に達した大祭であり、父の誕生祭より重大な御祭りでありますから、出口家の家族以外に大本の幹部役員を昇殿さしたのであります。
  三月三日一日間王仁三郎以下大本幹部役員一同無役となりたる意義如何。
  私は詳しい事は知りませぬが大本の幹部役員等を一日間無役としたのは、心機一転せしめる為であつたと思ひます、気持を新たにして愛の宣伝使として活動させる為だつたと思ひます、みろく大祭後父は大本総裁とか会長とかに就任して居りますから、此の点から見ましても其の前提であつたと思はれます、従来は聖師として祭られて居つたのでありますがみろく大祭後は表に表はれて愛善の精神を宣伝して居ります、之れが本格的の活動でありみろく菩薩として下生した意味でもあるのであります、幹部役員等に一度やめて貰つたり一段宛役職を下つて呉れと云ふよりも一旦無役になつて置きますと総裁とか会長に就任するに都合が良いのみならず一同も気持よく勇んで仕事をする活気を立てる考へから無役になつたものと考へて居ります。
 裁判長は、
  被告人出口伊佐男に対する予審第二十八回訊問調書第一問答を読み聞け。
  被告人は予審第二十八回訊問第一問答に於てみろく大祭の意義の状況、みろく神政成就を一同祈願し本格的活動を誓ひたる点、王仁三郎の朗詠したる作歌の意義の王仁三郎以下無役となりたる意義、神饌物の下渡の意義等に付斯様に供述し居るが如何。
  本日の御訊に対して申上ましたのが真実であり、本日の供述に反した点又は相違して居る点は私の信念に異なつて居るものであります、予審判事は私の訊問調書を作成するに付て力を入れて居られ他の人の申して居つた事を私の調書の中に入れて居られました、十六神将と云ふ事は父が述べて居つたらしく予審で初めて聞かされたのであります、又之れを警察では十六天使と云はれて居つたのでありますが十七名になつて居りますので元男は王仁三郎の後継者であるから別であると云はれ私の云ふた事ではないのであります、尚此の際申上げますが下生或は菩薩と云ふのは宗教的でありまして政治的意義は全然含まれて居らぬのであります、
 昭和三年一月頃であつたと思ふて居りますが、父は平渡信を通して大本を公認宗教にする事の運動を起して居つた事を聞いて居りました、従つて、父はみろく大祭当時追々大本は公認せられるものと信じて待遠しく思ふて居つたのであります、斯る事実から見ても大本に於ては政治的に活動する考へはなかつたのであります、又公認せられて居らぬ大本としては遠慮勝に活動して居つたのでありますが、宗教として公認せられますれば公々然と活動が出来ますから之を本格的活動と申して居つたものと思はれます、現界的活動と云ふのも社会一般に普及が出来ると云ふ事であると思ひます、従つて父としては其の吉報の来る事を信じて待つて居つたのであります、
 父はみろく大祭当日は役員信者等に対し訓示は致しませぬでしたか、四月行はれた春の大祭には訓示をして居ります、私は此の訓示は最も重要視すべきものであると思ふて居ります、其の訓示の趣旨は大正十年事件の為め活動をせずに居つたが事件も既に解決したから、愈々活動し度いと申して居り、且つ筆先の趣旨を取り違へてはならぬと申して居り、不祥事件を起してはならぬと云ふ趣旨の事を申して居ります、私は此の訓示は印象が深かつたので良く記憶して居ります、而して大本に於ては大正十年事件以来皇道と云ふ文字を使ふ事が出来ませぬでしたから惟神とか愛善とか云ふて居りましたので事件が解決した事は役員信者一同嬉しく感じたのであります、其後私は昭和四年八月大本瑞祥会会長になりましたので其の後は皇道大本の拡大強化に努力して居つたのであります。
  右みろく大祭によつて王仁三郎、スミ及ひ至聖殿に昇殿したる元男外十六名は大本なる政治団体を組織したるに非らずや。
  其の様な事はありませぬ。
 裁判長は、
  被告人出口王仁三郎に対する証拠品中、証第一四四号昭和三年三月十一日発行の瑞祥新聞第一頁「大本とは神意を実行する団体である云々」の記事を読み聞け、
  昭和三年三月十一日発行の瑞祥新聞第一頁「大本とは神意を実行する団体である云々」の記事によれば、大本は所謂宗教に非ずして世界を立替立直する団体である如解せらるるが如何。
  其の様に解する事は出来ませぬ、大本は所謂宗教団体でないと申しますのは之迄に出来て居る様な団体ではないと云ふ意味であります、既成宗教は神仏をだしにして金儲をして居るが大本は其様な事をする団体ではないと云ふ意味であり、精神界の立替立直をする団体である事を云ふて居るのであります。
 裁判長は、
  被告人出口伊佐男に対する予審第二十八回訊問調書第一問答を読み聞け、
  被告人は予審第二十八回訊問第一問答に於て右みろく大祭に於て皇道大本と称する我国体を変革する事を目的とする団体を組織したる旨斯様に供述し居るが如何。
  御読み聞けの通り申上げた事にはなつて居りますが、夫れは私の信念に反するものであります。
  大本に於てはみろく大祭後積極的活動を為し総ての点に於て拡大強化したりや。
  其の通り相違ありませぬ、訓示の趣旨に基いて積極的に活動しましたので総ての件に於て拡大強化しました。
 裁判長は、
  被告人出口王仁三郎に対する予審第三十七回訊問調書第一問答を読み聞け、
  昭和三年三月三日当時に於ける大本の主なる役職員に付き被告人出口王仁三郎は予審第三十七回訊問第一問答に於て斯様に供述して居るが如何。
  御読み聞けになりました通り相違ありませぬ。
 裁判長は、
  被告人東尾吉三郎に対する予審第十二回訊問調書添付の第一表乃至第六表を展示し、
  昭和三年三月三日以後昭和十年十二月上旬迄の大本の組織及び役職員の氏名に付き東尾吉三郎は斯様に表を作成し提出し居るが此の通り相違なきや。
  其の表に書いてあります通り相違ありませぬ、只昭和十年十月現在の大本々部の統理は私ではなく兄元男であります、此点丈が間違であります。
 裁判長は、
  同上第七表を展示し、
  大本総本部及本部の右課の担当事務並に支部分所の使命に付き被告人東尾吉三郎は斯様に表を作成して提出し居るが、此の表に記載しある通り相違なきや。
  御示しの表に書いてある通り相違ありませぬ。
 裁判長は、
  同上第八表を展示し、
  大本総本部及本部の総統以下役員の担当事務に付被告人東尾吉三郎は斯様に表を作成し提出し居るが此の表に記載しある通り相違なきや。
  其の通り相違ありませぬ。
 裁判長は、
  同第九表を展示し、
  大本の人類愛善会其他大本外廓団体の創立時期及目的に付き被告人東尾吉三郎は斯様に表を作成し提出し居るが此の通り相違なきや。
  其の通り相違ありませぬ、然し昭和神聖会を大本の外廓団体と称すべきか何うかは私には判りませぬ、昭和神聖会の組織及会計は全然別でありまして、大本信者でない人が沢山会員になつて居ります。
  右九表に記載せられある以外の更始会、大日本武道宣揚会、エスペラント普及会、明光社等の大本関係の団体あるに非ずや。
  御訊ねの通り相違ありませぬ。
 裁判長は、
  被告人出口王仁三郎に対する予審第四十七回並に第四十八回訊問右第一問答を読み聞け、
  大本瑞祥会、天声社其の他以上述べたる各種大本団体の本質と大本との関係に付き被告人出口王仁三郎は予審第一問答に於て斯様に供述し居るが此の通り相違なきや。
  皇道大本は何処迄も宗教団体であります、大本は他に団体を拵へましたのは宗教的団体以外に夫々特種な意義を以て造られたのでありまして、ローマ字普及会、エスペラント普及会、昭和神聖会、大日本武道宣揚会等は大本で創立したものではありますが大本とは密接な関係を有して居らず、大本とは別個の団体でありまして、之等には宗教的色彩は少しもなく文字に現はれて居る如く組織も違つて居ります、主義主張は同一であると云はれて居りますが、大本は何処迄も宗教的団体であり宗教的団体として活動して居り将来に対する方針も宗教的であつたのであります、
 王仁三郎は大本を宗教団体として公認して貰ふべく奔走して居り、昭和七年頃であつたと思ふて居りますが、安岡京都府警察部長は大本は将来宗教団体として貰つて行くかと云はれましたので其の通り相違ないと申しました処夫れでは公認して貰ふ手続をしたら何うかと云はれた事がありました、此の事は日誌に書いて居る筈であります、夫れで父は何うかと意見を聞きました処父は元から公認して貰ひ度いと考へて居る事で今も其の考へに変りはないと申し公認をして貰ふ準備をせよと命ぜられましたので、私は大本の最高幹部と数回協議して教規を造る事にしたのでありまして其の際は昭和三年公認の申請をした時の原稿がありましたから、之れを基礎として作つたのであります、而して其の手続は井上留五郎がして呉れたと思ふて居ります。
 其後昭和八年一月大本を皇道大本と復称し、皇道大本信条及規定を発表しましたので磯田を通して其の旨届出せしめました処警察部長より皇道大本に於ては宗教的団体として貰つて行たのかと諮問せられましたので、大本としては皇道大本なる名称に復称したる点には他意なく又政治的団体として活動する意思はなく、宗教的団体として貰つて行く考へでありますと云ふ返事をして置きました、其の後井上は満洲へ赴任しましたし警察部長も更迭しましたので警察部の空気も変つて来ましたので公認して貰ふに付ては時期を待つべきではないかと思ふて居りました。
 昭和九年昭和神聖会が成立しましたので王仁三郎は其の統監となりましたが王仁三郎が政治的に野心があるのではないかと疑を持つて警察が目を付ける様になりましたので王仁三郎は大本が宗教団体として公認せられるのに自分が昭和神聖会の統監をして居つて差支るのであつたら日出麿に大本を譲つて自分は昭和神聖会に専念したいと思ふて居ると申して居りました、之によつても大本は宗教的団体であり、其の他の団体は大本とは別個の団体である事が判るのであります。
 裁判長は、
  被告人出口伊佐男に対する予審第三十三回訊問調書第二問答を読み聞け、
  被告人は大本と外廓団体との関係に付予審第三十三回訊問第二問答に於て斯様に供述して居るが如何。
  御読み聞けの如く申した様になつて居りますが、其の内外廓団体の活動は尽く大本の信者獲得の手段の様に書いてあるのは相違して居ります、而して之等活動も総て皇道の大義に基いて貰つて居つたのであります。
 裁判長は、
  被告人東尾吉三郎に対する予審第十三回訊問調書第三問答を読み聞け、
  大本機関紙並に其の発行の目的に付被告人東尾吉三郎は斯様に供述して居るが此の通り相違なきや。
  御読み聞けの通り相違ありませぬ。
 裁判長は、
  被告人出口伊佐男に対する予審第三十三回訊問調書第五問答を読み聞け、
  被告人は予審第三十三回訊問第五問答に於て機関紙の配布部数に付斯様に供述し居るが此の通り相違なきや。
  其の通り相違ありませぬ。
  大正十四年以後昭和三年三月三日迄の被告人の大本の役職関係如何。
  予審で御取調を受けた際申上げた通りであります。
 裁判長は、
  被告人出口伊佐男に対する予審第三回訊問調書第八問答を読み聞け、
  被告人は予審第三回訊問第八問答に於て被告人の大本に於ける役職に付斯様に供述して居るが此の通り相違なきや。
  其の通り相違ありませぬ。
  被告人は昭和三年三月三日以後大本宣伝使、大本瑞祥会長、大本総務、大本々部統理の職に就きたるや。
  其の通り相違ありませぬ。
 裁判長は、
  同被告人に対する予審第三回訊問調書第九問答を読み聞け、
  被告人は予審第三訊問第九問答に於て最近の役職に付き斯様に供述し居るが如何。
  其の通り相違ありませぬ。
  被告人は大本の最高幹部として昭和十年十二月上旬頃迄綾部町及び亀岡町に於て井上、高木、東尾等と数十回最高幹部会及総務会議を開催し大本の組織及活動方針を協議決定して之を実践に移したるや。
  其の通り相違ありませぬ、私は昭和四年以来父王仁三郎の許に居つて最高幹部として大本全部の事務に携はり、大本全部の必要なる事項の計画立案を為し之を実行に移す為めに役員を任命して居り最高幹部以外の人事は私が決行して居つたのであります、而して私は出口家の一員として父母の代理をして居りましたから大本の全責任者は私であります、従つて大本の主なる仕事は私の手で遣つて居つたのでありまして、父の携はつて居らなかつた事も沢山あり、又総本部の統理補として兄元男が居りましたが兄元男は宣伝に行つて居つた丈でありまして事務上の事は私が最高幹部と協議して貰つて居つたのであります、最高幹部と協議しましたのも極く重要な事のみで、二、三の幹部と協議し私が決裁して居つたのであり、然も私が其の原案を提出して居つたのでありまして最高幹部に於いて原案を添削せられた事はありませぬでした、従つて私以外の最高幹部の責任は少ないのでありますから此の点御考慮願ひ度いのであります。
 裁判長は、
  同被告人に対する予審第三十六回訊問調書第一問答を読み聞け、
  被告人は予審第三十六回訊問第一問答に於て大本の拡大強化を図る為め昭和三年三月三日以後に斯様に活動したる旨供述し居るが斯様に活動したる事は間違なきや。
  其の通り相違ありませぬ。
 裁判長は、
  被告人東尾吉三郎に対する予審第二十回訊問調書第四問答中、最高幹部会議及ひ総務会議に付いては昭和五年四月以降の分を読み聞け、
  最高幹部会議及昭和五年四月以降に於ける総務会議に於て協議決定し実行に移したる重要事項に付き被告人東尾吉三郎は予審第二十回訊問第四問答に於て斯様に供述し居るが此の通り相違なきや。
  其の通り相違ありませぬ。
  分所支部等の指揮監督方法如何。
  予審で御取調を受けた際申上た通りであります。
 裁判長は、
  被告人出口伊佐男に対する予審第三十三回訊問調書第十問答及同第三十四回調書第二問答を各読み聞け、
  予審第三十三回訊問第十問答及び同第三十四回訊問第二問答に於て被告人は分所支部等の指揮監督の方法に付き斯様に供述して居るが如何。
  御読み聞けの通り相違ありませぬ。
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