[#『真如の光』昭和9年(1934年)5月25日号p13]
総て言葉と云ふものは政治的にも、生活上にも最も必要なものである。又日本は昔から言霊の幸はふ国、言霊の助くる国、言霊の生ける国、或は言霊の天照る国と云うて非常に、言葉の正しい事を誇りとしてゐる国であります。
何事にも、言葉の中には魂が這入つてゐる。今日の日本の言葉で『山』と云ふことを云へば直ぐ高いものを連想する事が出来る様に、『ヤ』と『マ』の言葉の中に或る意味が含まれてゐるのであり、『川』と云へば直ぐ『川』と云ふ事が解る。之は『カ』と『ワ』の字に其意味が含まれて居るので『カワ』だけで総てのものが説明の出来る様になつてゐます。それで言霊の幸はふ国と云ふのでありますが、此頃の言葉になると、漢語が交つたり、或は英語が交つたりいろいろして日本語の中にも何国の言葉か解らん様に乱れて来てしまつたのであります。其為に日本の風俗が乱れてくる、或は政治なり宗教なり一切のものが、皆混乱状態になりまして、本当の中心と云ふものは無くなつたのであります。
最も必要なものは言葉であります。日本は先づ言葉を統一し、そして海外諸国に迄日本語を宣伝したい、どうしても海外に日本の言葉が用ひられん様な事では日本の国威を何処までも拡充することは出来ません。それで先づ国際語なるエスペラントを私は採り入れて、そしてエスペラントからローマ字を解釈さして、そして日本語を世界に拡めたいと云ふ考へを持ちまして、エスペラントを普及して、ローマ字を研究する事になつたのであります。
それで海外の方へローマ字に拠つて日本語を伝へる必要がなければ、別にローマ字をやらなくても、国語改良会と云ふものを拵へて、イロハを用ひても、其目的を達せられると思ひますけれども、そういふ抱負を以てどうしてもローマ字を用ひて日本語を世界に拡めたい、其先駆として先づエスペラントをと、こういふ考へを以て私はローマ字を研究する事になつたのであります。