[#昭和9年(1934年)8月21日(旧7月12日)聖師生誕祭の際の鶴山山上表賀式における出口王仁三郎の訓示。]
本日は残暑厳しい折にも拘らず六十四回の私の誕辰に就きまして、遙々遠方から御来会下さいましたことを有難く感謝する次第であります。
時は将に非常時に際会して居ります。国家の前途は、国民の心得一つに依つて、如何なるか解らん様な、危急存亡の場合に立ち至りました。故に吾々は今迄、皇道大本其他の諸団体を率ゐまして、国家の為めに力限り尽して来ましたが、尚是では足らない気がいたしますので、愈よ昭和神聖会なるものを組織して、我が神聖なる国体の精華を発揮し、御皇室の御繁栄と、皇道の大道及び皇道政治、皇道経済の実行をやらねばならなく迫つて居ることを感じまして、愈々昭和神聖会の首途を初めた処でございます。
どうか昭和青年会の諸氏も坤生会の諸氏も、武道宣揚会の諸氏も此私の六十四歳をお祝ひ下さると共に、昭和神聖会の為に大々的活動あらんことを希望致します。
私は愈々乗出した以上は、進展主義で、後には退かない、如何なることがあつても、如何しても進まねばおかん主義を以て三十七年間を終始して来たのであります。それで何んなことがあつても、之はもう国家の為に今日より建替、建直しを仕上る迄は一歩も退かない考へであります。
どうぞ諸氏に於きましても其御考へを有つて、私等と共に御覚悟下さることを希望して已まない次第であります。