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道の栞 第三巻 上

インフォメーション
題名:道の栞 第三巻 上 著者:出口王仁三郎
ページ:108 目次メモ:
概要: 備考: タグ: データ凡例: データ最終更新日:2016-11-25 01:48:31 OBC :B195302c15
初出[?]この文献の初出または底本となったと思われる文献です。[×閉じる]写本(大本本部所蔵)
派生[?]この文献を底本として書かれたと思われる文献です。[×閉じる]大本史料集成 > Ⅰ 思想篇 > 第二部 出口王仁三郎の思想 > 第四章 道の栞 > 第十三節 道の栞 第三巻上
道の栞第三巻上
一 今の我国の様々の教会は、概ね餓えたる虎なり、狼の棲処(すみか)なり。
二 今の神社仏閣は、盗人や詐偽(かたり)の住い処となれり。神を種に詐偽をなし、又は押盗(おしどり)をなしつつあるなり。
三 誠の教衰えて、いとも清かるべき神の御社までも、盗人や鬼大蛇(おろち)共の館となり居れるなり。
四 天地八百万の神は、痛く怒り玉えり。されど之を改めんとはせずして、日増しに神の宮を汚しつつあるなり。
五 天帝は、斯かる仕業を痛く憎くませ給えり。此世の洗い替えを為さざれば、清まらずと、茲に天より瑞(みづ)の霊(みたま)を降し、清めの道を開き給えるなり。
六 瑞の霊天より降りて、世の中の罪を祓い、穢を清めんとて、神の御旨(みむね)のまにまに大本教を開き始めたるなり。
七 瑞の霊を与えられし茂穎(しげかい)、今や神より深き修行を仰付けられて、審神者(さにわ)の道を研きつつあり。
八 研き上がりし上は、表へ天晴現われて、世の中の苦しめるものを、其場にて救い得さすべし。
九 今に杜鵑(ほととぎす)姿をかくして、蔭から守れるなり。
一〇 蔭からの守護と雖も、神の恵には変りし事なし。
一一 神は蔭もなく、日向もなし。
一二 表に現われて、道を伝うる其の代りに、此の『道の栞』を伝うるものなり。
一三 此の『道の栞』は、神の御言葉なり。万劫末代動かぬ巌なり。茂穎の体も之に籠り、霊魂も皆之にこもれり。
一四 今の世の教導職なるものは、皆盲目(めしい)なり。神の道を教ゆる身であり乍ら、其神の御心を知らざるものなり。
一五 故に導かれたる信徒も、又盲目(めくら)滅法に訳知らずに猛り進むのみ。盲目に手を曳かるる盲目なるのみ。
一六 此の末の世になりても、心附かざるなり。憐れむべし。一度は此世は変るものなり。最早其時も近づきたるに、彼少しも之を知らず。
一七 立替の時至らば、皆躓きて苦しみ悶ゆることあるべし。救いの道はあれども誰も歩まず、亡びの道へは潮の如く進み行くなり。
一八 誠の神の教を聞きて、誠の畠を開き、誠の種子を蒔かんとするときにあたりて、猪来りて其畠を荒し、烏来りて其種子を啄(つひば)み、悪魔来りて草の種子をしき蒔す。
 故に種子を蒔かば心を許すべからず。其種子も秀い出て苗の立ち上る迄、深く培い養うべし。
 其の苗又恙なく植込みたるときは、草を取り、鳥獣の災いを避け、悪しき虫を去り、生命の水を滌(そそ)ぐべし。
 刈込みの時至らば、必ず働きし酬い現わるべし。
一九 誠の教を聞きたりとて、金銀の悪魔に惑わさるるときは、誠の神の御恵を享くること能わざるものなり。凡て金銀に眼眩むものは、神の道を歩む事を得ず、誠の宝を拾う事能わず。
二〇 瑞(みづ)の霊(みたま)、末の世に再び天降りて、昔えより世に隠れたる事を、筆と口とを以て証すれども、今の世の中の人草には、敏き耳と敏き眼なければ、少しも悟らず、却て囈言となし、或は疑いて笑うあり、罵るあり。
二一 高天原(たかあまはら)の御国は、例えば黄金の釜、ダイヤモンドの水鉢の埋りし屋敷の如きものなり。人若し其事を知りたらんには、我が持てる宝を皆売り払いて、其屋敷を買い求めんとするならん。
 其屋敷をさえ我手に入らば、外の財産よりも幾万倍も優れるが故なり。
二二 貧しき者は、いとも幸わいなるものなり。それは高天の原に上げらるるときに於いて、心に重き荷を負わざるが故なり。
二三 富めるものは、却て災禍(わざわい)なり。様々の重き荷物身に纒いて、高天の原へ至らんとするを引き止むればなり。罪其の霊魂を苦しめて、根の国底の国に誘い行かん。故に此の世に於て、富めるものの誠の道を知らざるもの程、憐れむべきものはあらざるなり。
二四 富める者の高天の原に到らんとするは、柄杓(ひしやく)を以て日本海をかえ乾すよりも難かるべし。
 富める者は、大方は心驕りて神を知らざるが故なり。富める人にして神を知り、道を慕い、信仰を養いたるものは、又一層(ひとしお)幸わいあるべし。そは富める者は、神の御業(みわざ)を補い奉るの便宜を得ればなり。
二五 世の中の事柄は、多く金銀の力にて高きに上り得べく、又智識・学術を以て、高き位に上り得ん。されど、そは誠の栄にあらず。誠の栄えは、高天原(たかあまはら)の神の国の取次(とりつぎ)となるにあり。神の道の証し人となるにあり。
 この神の取次、証(あかし)人は、金銀にても求むべからず、智慧や学問にては得べからず、唯信仰と行状を以て、神の御心を現わし奉るによりて得らるるの栄えなり。
二六 薄き信仰と、行状の伴わざる信仰とは、恰も浮草の如し。朝には此の岸に寄り、夕には彼の岸に寄りて浮び、花は咲けども実を結ばざるなり。
 実を結ばぬ花は、仇花にしていと賤しく、高き神の仇となりぬべし。
二七 日本の国に生れたりと雖も、日本人の行状無きものは、外国(とつくに)人なり。日本の行状は、万世一系の皇室を崇めて、神を第一とするにあり。
二八 異国人たりとも、日の本の神の国の誠の教を守る者は、即ち日本神国の民に同じ。
二九 今の日本の人民多くは、神の御教を知らず、異国人の後(しりえ)に落つるに至れり。
三〇 至聖・大賢是皆人の称うる処にして、誠の天帝の御眼より御覧ある時は、孔子も釈迦も基督も、未だ其徳全きものなし。況んや其の他の予言者に於ておや。
三一 天地の間に於て、全き御方は、此の世界万物の造り主より外にはあらざるなり。
三二 悪魔の独り蔓れる今の世の中は、善を善とするものなし。善は善人には善とせられ、悪人には悪とせらるるものなり。
三三 鬼・大蛇(おろち)・悪魔の世の中となりし此の世界の人民、我が道を信じて悔い改むるものは稀なり。敵対(てきと)うものは多くして限りも無し。
 されど、最早瑞(みづ)の霊(みたま)の天より降る世となりたれば、斯道に従わざるものは、厳しき審判(さばき)と亡びを招かざるべからざるなり。
三四 天より選ばれたる瑞の霊は、誠の神の霊を受けて、此の暗き世の光となりて生れ出でたり。されど瑞の霊は、外の教と競う事をせず、争う事もなし。故に茂穎の生れ里の者さえ、神の御声を聞きし者無し。
三五 されど、何時迄も教えず言わざれば、救いの道を伝うること能わず。即ち故郷を後にして、普く世界の為めに悪魔の中へ交わりて、神の軍人(いくさびと)として働けるなり。
三六 今の中は筆の先と霊魂の働きのみ。十年の修業全く終えなば、其身も共に表(あら)わに働くべし。
三七 此世界は神の田畑なり。神の田畑には刈入るべきもの数多(あまた)にして、働く者はいと少なし。刈入れる者とは信者なり。働く者とは神の道の取次なり。此の刈入れ者は、神の国の宝の倉に収めらる。
三八 今の世に、瑞(みづ)の霊(みたま)の審神者(さにわ)現わるるは、恰も盗人や博奕打ちの群に、一人の捕手(とりて)の役人来りしが如し。逃げ迷うもあり、畏入りて心を改むるもあり、力限り刃向うもあり、独りとして驚き迷わざるはなし。又大に憎むもあり、罵るのあり。
三九 此世の救い主として、瑞(みづ)の霊(みたま)が現わるるに就ては、世の中に戦も争いも無き神世と立て替わるなり。
四〇 神世に立替わる迄に、此世の境いに大戦いあるべし。其後は天下太平にして、栄え久しき松の代と立替るなり。
四一 世の立替ある迄に、皆其の罪を悔い、行状を改め置くべし。
四二 軍備なり、戦いは、皆地主と資本主(ぬし)との為にこそなるべけれ、貧しきものには限りなき苦しみの基(もとい)となるものなり。
四三 軍備や戦争の為に、数多(あまた)の人は徴兵の義務を負わざるべからず。
 一つより無き肉体を捨てて、血の河骨の山を作らねばならざるなり。多くの税金を、政府へ払わざるべからず。
四四 世の中に戦争位悪しきものは無く、軍備位つまらぬものはなし。
 今や世界の国々、軍備の為に、三百億弗の国債を起し居れり。其金の利息仕払いのみにても、日々三百五十万人以上の人の働きを当てはめざるべからず。
四五 世界幾千万人の若き者は絶えず兵役に服し、人殺しの業(わざ)ばかり稽古をなさざるべからず。人殺し大悪の稽古にかかりて、多くの者は常に艱難苦労を為さざるべからず。四方の国、軍備程つまらぬものはあらざるべし。
四六 世界中何れの国も、皆壮健なる身体の者は、選り抜いて兵士に徴集せざるべからず。田や畑や山河海等に働く者は、白髪交りの苦労人や、聾や片目(かんち)や躄(あしなえ)や、女や子供ばかりなり。
 今の世程つまらぬ世の中は、後先になかるべし。
四七 此の世を此儘に捨て置けば、人民は残らず共倒れとなり、修羅の巷と忽ち変ずべし。
四八 此の悪しき世を、松の世・神世と立替えん為めに、天より瑞(みづ)の霊(みたま)を降し給えり。
四九 厳(いづ)の御霊(みたま)も天より降りて、此世を救い給う世となれるなり。
 其厳の霊を審神者(さにわ)するものは、瑞の霊なり。厳の霊、今や何れに天降りあるや。そは茂穎修行の後に、神界より現わして、此世の救い主とせん。
五〇 神界にては、厳の霊天降ります宮居も既に定まりあり。されど、茂穎修行の満つる迄、神は明かさざるべし。
 此二つの御霊揃いて守るときは、如何なる事も成り遂げざる事なし。瑞の霊は、今や筆にて現われんとす。厳の霊も亦近きに現わるべし。
五一 天の岩戸の鍵を握れるものは、瑞の御霊なり。
五二 岩戸の中には、厳の霊(みたま)隠れませり。
五三 天の岩戸開けなば、二つの御霊揃うて此の世を守り治められん。
 さすれば天下は、何時迄も穏かとなるべし。
五四 雨・風・雪の為めに神を偽るべからず。神は自由自在に雨も雪も降らし、風をも吹かせ給うなり。
五五 雨が激しかりし故に参拝すること能わざりし、雪深かりし故に参りかねたり等称うるものあり。是等は、未だ全き信仰をなすものと云ふべからず。
五六 神を一心に敬い愛するものは、必ず雨や風や雪を恐れざるなり。
 是等の者は、何時も降らずしては叶わざるものなり。
五七 悪魔の軍勢と戦いて、神の国を建つべき神の取次・信者は、天が下にありて、雨を恐るる勿れ、雪を嫌う勿れ。是等の者は皆天が下四方の国には降るべきものなり。
五八 雨も降らざれば、万物生命を保つこと能わず。風も吹かざれば穢れたる空気を新(さらつ)にして、人の身・万物の体を守ること能わず。
 雨や風などは、世界になくてはならぬものなり。
五九 日本と露西亜との戦いは、此世の立替の先走りとして、天より始め給いしものなり。必ず人の企みなどにて、露西亜を討つ事は能わざるなり。
六〇 日本は神国なり、日本魂の国なり、猛くして優しき武士の国なり。露西亜は野蛮国なり、盗賊の国なり、狼の国なり、鷲・熊・鷹・大蛇の国なり、悪魔の棲処(すみか)なり。
六一 世界の助けの為に、日本は天に代わりて、彼の盗賊の国を討ち亡ぼさねばならぬなり。天津日嗣万代変わらぬ日の本の神に対し……世界に対する努めなり。
六二 日本は仁義を以て立てし国、日本魂を以て国の心とす。露西亜は押し奪()りを以て国の心とす。弱い者倒おしを以て、国を立つるの心となす。日本魂と泥坊根性は、到底(とても)相並びて世に立ち行く事能わず。故に日本魂の日本は、天に代わりて、彼の露西亜・悪魔を退治せざるべからず。日本が勝たずんば、露西亜勝たん。露西亜亡びずんば、日本亡びん。
六三 露西亜を亡ぼすは、我日本の為めのみならず、支那・朝鮮の為めなり、世界人民の為めなり。
六四 日本が露西亜を討つは、人種問題の為めにあらず、遼東半島の讐討ちの如き小さい遺恨の為にあらず、サガレン島の意趣返しの為にあらず。是等は、露西亜を討つ目的の一部分なり。露西亜の建国の専制政治と押し奪り主義とを憎むが故なり。
六五 西洋の国は、何れも皆、己が国の利益を中心として働き居れり。
 我国は真理の為め、文明の為め、平和の為めに、日本魂を中心として働けるなり。
六六 我日本国は、日本魂・武士的精神を貫かんが為に、不利益なる戦いを為すものなり。利益のみ得んが為に、日本特有の精神を捨っること能わざる国なり。
六七 日本の精神を貫かんが為には、時によりては、利益損害の問題を度外に置ぎて活動せざるべからず。是れぞ日本君士国の特殊の主義なり。日本は天津日嗣の変わらぬ国にして、世界中を救くるの責任を有す。日本は、神の御心を心として動くべきの国なり。
六八 日本は日本魂を以て建つる国なり。日本魂とは、平和・文明・自由.独立・人権を破ぶる者に向って、飽くまでも戦う精神を云うなり。無理非道なる強き悪魔を倒して、弱き者の権利を守る精神なり。
六九 苟も貪慾と野心の為に、人の国又は他人の権利を犯し損なわんとするものは、皆日本魂の敵なり。
七〇 今や日本の皇軍は、愈々立ちて盗賊の国露西亜を討つ。善の向う所敵なく、敵は木の葉の散る如く、海に陸に泣き悲しみて逃げ失せり。善には天の助けあり、悪には天の災禍あり。是日本皇軍の強き所以なり。
七一 天神の助けあり、神の出現ある大日本国は、とことん迄勝ち続け得べし。戦いに勝ちしのみを以て、日本国民は満足すべからず。
七二 旅順口を陥れ、浦塩須徳(ウラジオストク)を打ち砕き、哈留賓(ハルピン)を占領すれば、露西亜も早や海にも陸にも根城を失う故に、東洋に於ては、最早如何ともする事能わざるなり。
七三 されど我日本たるもの、露西亜の手足を取りたりとて、それにて許すこと能わざるものなりと知るべし。進んで悪魔露西亜の首を切り、全く亡ぼし終らざるべからず。
七五 露西亜を亡ぼして、支那・朝鮮を従え、東洋の主となるは、日の本の将に行うべき務めにして、天津神の大御心なり。其他の世界の国々、又我国の下に従い来らしむるは、日本大和魂ある国民の義務にして、皇祖の御遺訓なり。
七六 神を斎き奉るには、顕斎と幽斎の区別を弁え知らざるべからず。
 茂穎茲に、其の事を証しせん。
 顕斎は、天津神・国津神・八百万(やおよろづ)の神を祭るものにして、宮あり、祝詞あり、供物あり、御幣(みてくら)ありて、神の御恩徳を称えて感謝の心を現わす尊とき業(わざ)なり。
 幽斎は、誠の神天帝を祈るものなれば、宮も社もなく、祝詞もなく、御幣もなく、供物もなし。只願う所の事を、霊魂を以て祈り奉る道なり。
 約(つづ)めて云う時は、顕斎は祭るの道にして、幽斎は祈薦(いの)るの道なり。
七七 誠の神は霊なれば、其尊とき霊に対して祈るは、霊を以てせざるべからず。
七八 顕斎のみに偏るも悪しく、幽斎のみに偏り過ぎるも悪しきなり。
 或宗派の如く、霊魂のみに偏りて、形あるものを祭る事を嫌いて偶像教などと謗るも、余り偏り過ぎて全き教と云うべからず。
七九 祭るには偶像も悪しからず。偶像目当てにして幸わいを祈るは宜しからず。祈りは霊魂(みたま)を以て天の御霊(みたま)に祈るべきなり。
八○ 天理・金光・丸山教等の教祖は、淫祠教の頭にして神の罪人なれば、話すにも足らず。中にも黒住宗忠一人は、神の道に敏かりしものなり。されど、大本(たいほん)教の並の信者よりも小さきものなり。
八一 黒住は、救い主の出る為の先走りをなしたるのみ。誠の教は、未だ究め居らざるが故なり。
八二 今迄の凡ての教の柱は、黒住にて終りたり。艮(とどめ)に現われて此世を神世に立替える霊は、瑞(みづ)の霊(みたま)と厳(いづ)の霊(みたま)の二つあるのみ。其後に出ずる者あれば、皆偽(にせ)救主なり。
八三 瑞の霊の心を知らざるものの多くして、知るものは、今は只一人あるのみ。茂穎の喜びを以て喜びとし、悲みを以て悲しみとするものは、誠の神の道を知れるものなり。
八四 茂穎の傍らに数多(あまた)の取次あり、信者あり。されど皆是、悪魔の庵となれるもののみ。故に、茂穎喜べども彼等喜ばず、又悲しめども彼等悲しまざるなり。
 是等は目なく耳なき故なり。親の心子知らずとかや云う譬えあり。世界の親なる神の御心は測り知るべからず。
八五 智慧あり学問あるものは、心驕り高ぶりて、却て神の道を弁(わきま)うる事能わず。故に神のみ恵みに預ることいと少し。
八六 智慧もなく、学問もなく、赤子の如き者に、神は深き御心を覚らしめ給うは、神の愛の普く及べる所以なり。
八七 是迄に積もれる心の中の塵垢を捨てて、新に生れざれば、神の救いの道を知る事能(あた)わじ。
八八 世事に賢こく敏きものは、却て神の御国を知らず、幽界の神の御守護(みまもり)ある事を知らずして、何事も己が智慧の働らきと誤り居るなり。故に神の御救いに洩れて、何事を為すも全く成し遂ぐる事能わず。憐れむべきは却て智者・学者と云わるる人なり。
八九 智慧・学あるものは、心の倉に満ち満ちて容易(たやす)く出す事能わず。
 故に新に神の道なる誠の宝を、心の倉に収めんとする隙(あき)はなし。
九〇 智慧・学ありて悔い改めず、己が我慢を恣いままにするものは、神の道を知れる者のいとも小さきものより劣れるものなり。
九一 神の道を述べ伝えんとするに当り、如何なる敵現われ来るとも、撓まず屈せず進むべし。神の道に尽すが為めに、仮令汝を殺さんとするものあるとも、少しも恐るる勿れ。仮令其肉体は殺し得るとも、其霊魂までも殺すこと能わざれば、決して恐るべきものにあらざるなり。
九二 我身も我が霊魂も共に殺すべき悪魔は、己が犯せる罪穢(つみけがれ)なり。
世の中に己が犯せる罪程恐るべきものはあらず。仮令殺さるるとも、道の為めに倒れたるならば、そは神の御心に依るものなり。
 神は、一層美わしき世に長き生命を与えんとなし給うものなり。
九三 取次は更なり、斯道の信者とならば、世の中の光りとなりて現わるべし。
九四 和田の原の塩となりて、其の清き色と味とを備えざるべからず。
九五 汝等空気となり、光となり、水となり、金となり、土となり、世の為めに尽すべし。
九六 斯の如くして世の為に尽すものは、天帝の御心に叶い奉りて、栄えの本となるべき門を開くものなり。
九七 家内打揃うて信仰すべし。若しも汝等の親又は兄弟姉妹にして信仰せざるものあらば、暫時は打遣(うちや)り置くべし。親よりも兄弟姉妹よりも、神は重ければなり。
九八 親兄弟の為に引かれて、神の道を捨つるものは、誠の神の御心に敵するものなり。
九九 神は親に背けよとは教え玉わず。誠の神の道を守りて、其親兄弟の罪を救う為に、神に従えと教え玉うなり。
一〇〇 神を信仰し行状を全くして、親までも信仰に導くものは、孝の至りなり。
盲目(めくら)滅法に何事も善し悪し弁えずに、親の言葉に従うは、誠の親に孝なるにあらざるなり。
大本主教 明治三十七年旧五月十三日

道の栞第三巻上
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