神霊界 1918/04/15 国教樹立に就て(承前) 60号 2巻
五
「帝国憲法」第二十八条に、「日本国民は安寧秩序を妨げず、及び臣民たるの義務に背かざる限りに於て、信教の自由を有す」と有って、日本臣民は信教の自由を有して居るのである。然るに今新に大本教を樹立するに就ては、憲法の条文を破棄するに足るだけの確固不抜の論拠を有し、且つ帝国議会の翼賛を経なければならぬ、実に至大の問題であると謂わなければならぬのである。故に国教樹立に対しては、
第一、現代が日本国に執って、果して国教樹立の時期なりや、否やを論究せなければならぬ。
第二、国教に樹立すべき程の教義が、我国に在りや、否やを論究せねばならぬ。
第三、我国は果して国教樹立を本体と為す国柄なりや、否やを論究せねばならぬ。
第四、我国民が国教を理解し、之を承認し得るの識力に達し居るや、否や。其機質を論究せねばならぬ。
第五、憲法改定に対する論拠は正当にして充分なりや、否やを論究せなければならぬ。
如上五種の大問題に対して、明確なる解答を与えるに非らざりせば、国教樹立論は到底其実現を見るに至らないのである。
第一、国教樹立が日本現代の要用なる事件なりや、否や。
この事は、諸種の方面からして之を論究せなければならぬ事柄であって、吾人は国教樹立を以て大正維新の最大問題にして、且つ焦眉の急に逼れる問題なることを深く信ずる。大正の御代の大使命は、専ら国教樹立の大問題を中心と為し、一大整理を国の内外に施さねばならぬ事と信ずる。大正という御代の名が、彼の神武天皇の詔勅を切に思い起さしむるのは、吾人計りの感想ではあるまい。
「夫れ大人制を立て、義必ず時に随う。苟しくも民に利する有らば、何ぞ聖の造に妨わん。すべからく山林を披き払い、宮室を経営り、恭しく宝位に臨み、以て元元を鎮む。上は則ち乾霊国を授くるの徳に答え、下は則ち皇孫正を養うの心を弘む。然て後に六合を兼ね、以って都を開き、八紘を掩いて而して宇と為んこと、亦可からずや」
六
と。大正の大御代は当に「皇孫正を養うの心を弘め、然て後に六合を兼て以て都を開き、八紘を掩うて宇と為す」の大御代ではあるまいか。神武天皇の東征の御志を立て給うや、詔に曰く、
「昔我が天神高皇産霊尊、大日め[レイ]尊、此の豊葦原瑞穂国を挙て、我が天祖彦火瓊々杵尊に授けたまえり。是に火瓊々杵尊、天関を闢き雲路を披け、山蹕を駈け以て戻止。是時に運、鴻荒に属い、時、草昧に鐘れり。故蒙して以て正を養い、此西偏を治す。皇祖皇考乃神乃聖にして慶を積み暉を重ね、多く年所を歴たり。天祖降跡まして自り以逮、于今一百七十九万二千四百七十余歳。而るを遼遠之地、猶未王沢に霑わず。遂に邑に君有り、村に長有りて、各自彊を分ちて用て相凌ぎ礫わしむ。云々」
現代の思想界の有様を見ると、其封建割拠の様が、「邑に君有り、村に長有る」の有様ではあるまいか。仏教は仏教で、その信者を私領して一大豪族の有様を為して居るかと思えば、耶蘇教は耶蘇教、神道は神道で、相互に其の信者を分割私領して、覇を称して居る有様である。仏教の中が亦幾種かの割拠を為し、耶蘇教も、神道も、亦同じく其内部が幾多の部類に分れて居る有様は、大名、小名の土地、人民を私領し分割して居た有様と、毫も異る所は無い。斯様な状態が果して日本国本来の国柄であろうか。明治維新は実に七百有年間の武家政治を打破して王政に復古した、曠古の御大業が成就した御代であったが、大正の大御代は当に思想界の上に王政の復古を成就し、万邦統一の大使命を果すベき、実に天地開闢以来の御鴻業が成立すべき御代である。明治天皇は王政復古の御大業と倶に国教を樹立して、思想界に於ける神政復古を企図し給い、乃ち明治三年正月、祭政一致の詔旨を下し玉い、
七
「朕恭しく惟るに、天神天祖極を立て統を垂れ、列皇相承け之を継ぎ之を述ぶ。祭政一致、億兆同心、治教上に明かにして風俗下に美なり。而るに中古以降、時に汗隆有り、道に顕晦有り。今や天運循環し、百度維れ新なり。宜しく治教を明かにして以て惟神之道を宣ぶべきなり。因りて新たに宣教使を命じ、天下に布教せしむ。汝群臣衆庶、其れ斯の旨を体せよ」
と仰せ給い、国教樹立の大方針を建て給いしかども、宣教使に任ぜられたる人々に、惟神大道の本義が確実に了知せられず、時勢も未だ其の運に至らずして、早くも明治五年三月には神祇省が廃せられて教部省代り建ち、後ち仏教との合併院たる大教院が設立さるるに至り、明治八年五月、大教院の廃止と倶に、祭政一致の御聖旨が全く消滅するような有様に立ち到ったのは、時機の未だ到らなかった故とは云え、実に遺憾の極であった。
明治の大御代は未だ神政復古の時機では無かった。明治廿二年の憲法制定、明治二十七、八年戦役、同三十七、八年戦役等を経て、世界の知識は普く我邦に輸入し来り、威武益々海外に伸張して、帝国の稜威は日に月に隆盛に赴く場合となった。是に於てか、皇国の根本的大使命に向って更に歩武を進め、所謂神政成就の暁を覧わさんの大御心により、乃ち戊申の年に当って臣民に詔書を下し給い、「抑も我が神聖なる祖宗の遺訓と我が光輝ある国史の成跡とは、炳として日星の如し。寔に克く恪守し淬励の誠を輸さば、国運発展の本近く斯に在り。朕は方今の世局に処し、我が忠良なる臣民の恊翼に倚藉して、維新の皇猷を恢弘し、祖宗の威徳を対揚せんことを庶幾う」
八
と仰せ給い、君臣協同して皇典の研鑚に基き、皇祖皇宗の寄さし給える惟神の大道を宣べ、祭政一致の本義を復古して、以て国運の発展を期し、先天の使命を遂行せんとの御聖慮を披発し給いしかども、天は聖帝に年を藉ずして、治世四十又五年にして遽に登遐し給い、世界統理の大命を後継の陛下に譲らせ給うた。実に深遠幽妙の神業こそ、仰ぐもいとど尊き次第である。
斯くて御代は大正に替ったけれども、時運は益々逼迫し来り、曠古の御即位大典も首尾克く之を御挙げになり、神政復古の大命に向わせ給うべき第一着として、乃ち臣民に左の御沙汰書を賜わったのである。
「皇考夙に心を教育の事に労せられ、制を定め令を布き、又勅して其大綱を昭にしたまえり。朕遺緒を紹述して倍々其の振興を図らんとす。今や人文日進の時に方り、教育の任に在る者、克く朕が意を体し、以て皇考の遺訓を対揚せんことを期せよ」
九
此の時に際して、国民の緊張したる思想が内に溢れて、統一整理の実現を唱導する声が益々高くなり、外には暗膽たる隣邦支那並に露国の国体上の大問題あり、欧州の各国は悉く戈を執って立ち、全土修羅の巷と化し、実に氾濫を極めて居る有様である。斯様な列国の有様が、其の終局を何処に止むべきかは頗る疑問であるけれども、神則の至厳確実なる事を信頼して、我が国民が一大雄飛を試むるの舞台の接近したる事を深く信じて、この千載一遇の好機を逸するようなことがあってはならない所である。『旧約全書・但以理書』第二章に不思議な夢物語が載って居る。バビロンの王ネブカドネザルの巨人の像を見たという物語である。
「バビロンの王ネブカドネザルが或夜巨人の像を認めた。その像は首は金で胸と両腕は銀、其腹と腿とは銅で其の脛は鉄である。そして脚と趾とは、一部は鉄で一部は泥土で成立して居た。此像を王が見て居ると、一個の石が人手を藉らずして山より鑿れ落ち、巨像の足を撃ったので、共の巨像は夏の禾場の糠の如くに全く砕けて、風に吹払われて無くなって畢い、その石は大なる山となって全地に充ちたというのである。乍併ネブカドネザル王は、自分の見た像の事を全く忘れてしまったので非常に心を思い悩ました。而してバビロンを始め、天下の博士や法術士や魔術士等を召して其夢と其夢の解明とを求めましたが、誰一人として之を告げ知らす者は無かった。此に於て、大王は怒って彼等を殺すことを命じました。時に天の神様を信じた青年ダニエルは之を聞き、彼の同輩三名と心を合せて祈りました。神様は彼等の祈を聴き、ダニエルに其夢と其の夢の解明をお授けになったのである。ダニエルは王の前に出で、王に其の夢と其夢の解明とを申し上げた」。
十
今其の解明した所を聴くと次の如くであった。ダニエルは謂った。「王に示された此像の金の首は即ち爾君であると告げた。果せるかなバビロン帝国は、紀元前殆ど六百六年より同五百三十八年まで天下の諸王国を征服して共全権を握って甚だ栄えたのである。而して次の銀の胸と両腕とはバビロン帝国を滅して天下の権を握って、同三百三十一年まで栄えたメデヤとベルシャの同盟国を示したものであり、次の腹と腰との銅の部分は、ペルシャ帝国の後に起った、即ちアレキサンダア大帝が天下を征服して建たギリシャ帝国を示したもので、この希臘の栄えたのは紀元前百六十八年までであったのである。次の鉄の脛はギリシャ帝国を征服し、紀元前百六十一年に猶太国民と契約を結び、遂に天下を統御した羅馬帝国を代表したものであったのである。而して其脚及趾の鉄或は泥土であった部分は、羅馬の末世に於て北方の蛮族が来襲して、遂に紀元三百五十一年より同四百八十三年頃迄に分裂した羅馬の十の小王国である。天の神様はネブカドネザルに巨像を示して、而して共の巨像を以て予め二千五百有余年間に亘る所の天下の治乱興廃を告げ、大予言を垂れられたのである。歴史事実は不思議にもこの予言の侭に進んだのであった。史実が明に予告を立証したのであった。
さて次に起る問題は何であろうか。彼の十小国の未来の問題である。現今の欧州各国は是等十小国の末流である事は誰も知る所である。而して其趾の一部は鉄で、一部は泥土で、相互に合せざるは自然の天理である。彼等は其勢力に於て自ら強弱ありて、互に併合して世界の統一権を獲得せんと欲し、起て覇を唱えたものには、シヤーレマンがある、チヤーレス五世がある、ルイ十四世がある、ナポレオンがある。斯くの如く英雄豪傑が武力を以て他を圧し、之を併合せんと努めたけれども、遂に悉く失敗に帰したのである。以来是等の諸強国は「人草の種子を混えん」とある如く、欧州の諸強国王は、其血族相互の結婚を以て彼我の親善を謀り、又同盟を結びて一致和合を求め、世界の保全を企てて居ると雖ども、鉄と泥とが永遠に相合するの理なく、彼等は日々に軍備拡張に熱中し、世界最終の戦争に備えつつあったが、予言は飽まで之が現実されん事を主張して居るものか、今回端なくも塞比亜、墺多利間に葛藤を生じ、遂に墺独の両国が仏英露の強国を相手として雌雄を決すべき大袈裟な大戦闘を惹起し、欧州の全国は忽ち修羅の巷と化し、五か年に渉るも其の落着が何れに定まるか、分明せない有様である。実に恐るべき予言として、我等はネブカドネザルの巨像の夢を深く味わなければならないのである。耳をそば立てて聴け。詳に聴け。
十一
「この王等の日に、天の神一の国を建て給わん。是は何時までも亡ぶる事なからん。此国は他の民に帰せず。却てこの諸の国を打破りて之を滅さん。是は立ちて永遠に至らん。」
何たる深刻な予言であろう。是は夫の人手に依らずして鑿れて落ち来った石が、巨像の足の趾を打て砕きしに対応して居るのである。この時に建てらるべき国とは如何なる国であるか。人々大に考ふべきである。謹みて『延喜式』祝詞を誦し奉れ。
「辞別きて、伊勢に坐す天照大御神の大前に白さく。皇神の見霽かし坐す四方の国は、天の壁立つ極み、国の退き立つ限り、青雲の靄く極み、白雲の堕り坐向伏す限り、青海の原は棹柁干さず、舟の艫の至り留まる極み、大海原に舟満ちてつづけて、陸より往く道は、荷の緒縛い堅めて、磐根木根履みさくみて、馬の爪の至り留まる限り、長道間なく立ちつづけて、狭き国は広く、峻しき国は平らけく、遠き国は八十綱打ち掛けて引き寄する事の如く、皇太御神の寄さし奉らば、(中略)また皇御孫命の御世を、手長の御世と、堅磐に常磐に斎い奉り、茂し御世に幸わい奉る故に、云々」
斯くネブカドネザル大王の夢物語の予言と予証とが、古記録に徴するも、事実の真相に鑑みるも、頗る我が大日本国に関連する事の深く且つ遠きを慮る時は、現在欧州の大戦乱が必然に何事かを我等に告知して居るが如き感が起きて来る。
十二
日蓮上人の出生に対しては、『法華経』の予言として後五百歳上行出生が信ぜられて居るが、現今学者の立証する所の釈迦の誕生年月は、神武紀元三十八年に当り、後五百歳(二千五百年後)は実に今日に相当するのである。北条時代は六百六十年の前であって、『法華経』の予言には適合せぬ事となるのである。
後五百歳上行出生を真実なものとすれば、上行出生は日蓮の当時ではなくして、正に大正今日の時代である。『法華経』の学者、以て如何となす。日本の古典には、崇神天皇の御夢物語があって、大予言として伝えられて居るのだげれども、此は古典の専門的知識を要する事柄であって、今明白に解説する事が出来難いから、今は其詳解を省略するの余儀なき次第である。
時期問題に対しては一先ずこの位で切上げ、第二の問題に移る事とせん。
第二、我国には国教に樹立すべき程の教義ありや、否や。
この問題は一面国体論者の単純な考から謂えば、何の造作も無いような問題で、本居、平田翁の神道観を始め、現代ならば井上博士、筧博士等の所説を以てして善いかも知れないが、之を専門の宗教上から論ずる場合には、非常に重大な諸問題が其の間に起るべきである。先ず差当り左の諸項に対して解答を与えねばならぬ順序です。
一、大本教は現在行わるる所の諸宗教、諸教義を統一すべき資質ありや。
二、大本教は現在存在する諸宗教、諸教義以上に有力にして、善良なりや。
若しも大本教が現在存在する諸宗教、諸教義を統一するの資質がないならば、日本国教の統治力総攬権は不完全であり、欠陥ある事を免れないものと謂わなければならぬ。何ぜならば、諸宗教、諸教
義の一つでも統合し網羅する事が出来得なければ、当然其の包擁力以外に出ずべき或部類のある事を否定する訳には行かないからである。或は若しも統一力を充分に有して居たとしても、夫れだけで大本教が優秀なものである。何ぜならば、如何に包擁力に富み、巧に統一したからとて、其のもの自体の資質が現在行わるる或物よりも、何等かの点に於て善良なるべき徳に欠け、乃至は権威の存在を認むる事が出来なければ、国の根本教義とし、国自体の全分の信頼を託する事が出来ない事となるのは、知れ切つた事柄である。能く出来上ったものが、古今に通じ中外を一貫して発揚さるべき性格を欠くような、偏狭固陋な教義を建てて得意がるような事があったり、乃至悪平等の主張に陥って、権威も無く、熱誠もない、茫漠たるものが出来たりなぞするのは、到底、変哲学者の妄想たるに止って、決して大本教の実現を見る事は無いのである。国教樹立は如上の諸問題に対して完全なる解決を有して居ねばならぬ次第である。
十三
大本教は諸宗教、諸教義の統輔的資格を有し、且つ完全円満にして、国体の根本基礎をなし、中外を一貫し、古今に通じたる権威である事を要するのである。
大本教が如上の資質を有すべきに就ては、先ず最初に、国教樹立の根基を為すべき主典の穿鑿から創ねばならぬ次第である。
大本教は主典として何を採用するのであろうか。
大本教の主典としては、曰く『古事記』、曰く『日本書紀』、曰く『延喜式祝詞』等を重き典籍とし、次で『古語拾遺』、『旧事記』、『本朝六国史』、『万葉集』、『倭姫世記』等に至るまで、皆悉く依典とはするけれども、就中『古事記』並に大本開祖の『神諭』を主典と為すのである。『古事記』は其の序文に陳べたる如く、天武天皇の御詔勅を奉じて編述されたるものにて、序文の一節に、実に次の如き事が記されてあるのである。
「朕聞く、諸家の齎らす所の帝紀及び本辞、既に正実に違い、多く虚偽を加うと。今の時に当りて其の失を改めずば、未だ幾年をも経ずして、其の旨滅びなんとす。斯れ乃ち邦家の経緯、王化の鴻基なり。故惟、帝紀を撰録し旧辞を討覈して、偽を削り実を定めて、後葉に流えんと欲う」。
『古事記』を以て大本教の主典と為す事は、何人にても異存のあるべき筈が無いものと信ずるのである。「古事記大本教」は、実に我国教の唯一主典と申して善いのである。
「神霊界」 1918/04/15 国教樹立に就て(承前)