二十三四歳の頃
牛乳の得意先なる本町の内藤菓子屋にいつもやすらふ
牛乳の配逹をはればかへり路は内藤方に休むをつねとす
十六貫砂糖のつつみかつがんと共肌ぬいできばりかけたり
二十貫の五斗俵米楽楽とかつげる自分とあなどりてかかる
中なかに砂糖の包みおもくして千辛万苦やつとかつぎぬ
砂糖包かつぎあぐれば店員は両手を拍つて一斉にわらふ
十六貫の砂糖づつみにあらずして其実三十二貫ありけり
初より三十二貫と聞きしならばこの砂糖包かつげざるベし
何事も人は気分で勝つものとこの時初めてさとりたる吾れ
主人なる内藤半吾氏とそれ以後は水魚の交り結びたりける
内藤氏四十一歳われはまだ二十三歳のわかものなりけり
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町風呂にはじめて入りて軽石で顔面こすりいたみくるしむ
町風呂ゆ帰れば顔は真赤いにただれて血さへにじみゐたりし
井上にきびしく破顔の原因を問はれて実状あかし笑はる
軽石は足のきびすを洗ふもの顔は石鹸であらへと笑へり
それ以後は井上獣医吾を呼ぶに軽石さんと綽名なしたり
軽石といはれて腹の立つままに巨石を運びて床にすゑたり
二十貫の土のついたる重石をすゑたるを見て井上おこる
コン畜生石をどつかへもつて行けこの軽石奴とどなりて止まず
軽石といはねば石を持ち出すといつて井上困らせにけり
これからは軽石なんかいはぬ故持ち出してくれよとやはらかに出る
素裸になつて石をばかつぎ上げ畳に落して床をぬいたり
虫の食た床板もろくもへし折れて石は床下に落ちて動かず
大工をば呼んでうせろと甲ばつた井上の声に飛び出しにけり
常大工無理にたのんで連れ帰りやつと床板張りてもらひぬ
こんな奴書生に置いちやたまらぬと俄に妻帯のはなしはじまる