王仁曾て基督教の有名なる、某々教師に向って、「天国の国体や如何、天国の政体は如何」と、詰間をした事が在ったけれども、何人も吾人の詰間に対して、満足な解答の出来るものは無かつた。
彼の「天国は近づけり」と叫ばれた天国は、果して何麼御国であろう、「天に成るが如く地にも成らせ給え」と謂う事の真意義は如何に。……明確なるキリスト教徒の答が聞きたいものである。
日本国の祭政一致の真意義は、神の国と人の世との真釣ごとの意義である。度衡に物を懸けて相等しく真釣合す義である。祭も政も此の外に何等の意義もないのである。天国と人の世との真釣の外に、我邦の行事には一とつも他の事はないのである。
日本の国体のままが天国の国体であり、天国の国政のままが日本国の祭政であるのである。天国即ち大日本で、大日本即ち天国・神代である。世界の幾多の国の中で、真実に祭政の意義が成立せる国は、日本ばかりである。日本以外の国には、祭政が成立せないのである。祭政が成立せずして、どうして天国が地上に来るであろうか。祭政一致の成立せない祈祷は、形式的虚偽的祈祷であって、祭政一致の行われない国家は、永遠に地獄の域を脱する事が出来ないのである。
現今の日本国は有名無実の日本国で、祭政一致の本義が国から忘却された有様である。到底大日本国と、名称する訳には行かない。生存競争・弱肉強食の一般世界の現状と、毫も異なる事なき有様は、専ら皇典の本義が消失して、祭政一致の大根本が枯渇した証である。
天国を地上に降し、濁悪の世の中を変じて、清浄な荘厳土にする事は何等の困難がある訳ではない。
只単に祭政一致の本義を復活するまでである。
神代の昔に於て、天国の儘の国土を地上に移し写させ給いて、大倭豊秋津島を造り遊ばしたのである。「天国の国体を其の儘に天の下を治しめせ」と宣して、其後世界統纜の大君を降し給うたのである。
天国には四ヶ条の大神律が立てられて居るのである。曰く「天壌無窮」、曰く「万世一系」、曰く「清浄潔斎」、曰く「和合至楽」、之である。
開祖の垂示に曰く、
「天地の間はいついつまでもおなじ誠で立通うす神律が定まるぞよ。天の御三体の大神が、地へ降りて四魂の御玉も揃へて、万古末代続く天子天下に致すぞよ。この穢れた世を洗濯致して、水晶の神の代に立て直すぞよ。神も仏も人民も、餓鬼昆虫までも勇む世になるぞよ。いくさといふ様なむごい事のない、善の代に致すのであるから、日本の人民一日も早く改心なされよ。世が治まりたら善一筋の松の世となるぞよ。これを誠の神国とも神代とも申すぞよ。云々」
右の神示に因るも、天国・神代の四ヶ条の神律が下されてある事が明かである。現今の上下を通じての官民は、この開祖の神示の天より降下されたるものなる事を知らないで、只単に天理教や金光教の如き営業的宗教視して居るのである。今に眼の醒める時が来るが、其の時こそは実に今日の人民も官吏輩も気の毒なものであるとおもう。
諸宗教に於て本尊論・仏身論・神論等は八釜しく論ぜられるけれども、天国論が未だ粗略であり、且つ杜撰である。本尊即国土示現に到達せぬ宗教は、浅薄な宗教である。万世一系・天壌無窮の大本尊が成立せなければ、宗教の根元は浮草にだも及ばぬものである。何ぞ至楽清浄の天国が、斯土に築かれるものぞ。至楽大和は、日本ヤマトの使命である。ヤマトは「和はし」「和はす」の活用である。罪悪を根本的に排掃するのが、潔斎の法である。
潔斎には、大潔斎がある。六月と十二月の大祓の太祝詞は、大潔斎の法である。大潔斎は天地間の障気排除の神事である。国家の上に起る罪悪の潔斎である。この大秘事に関して、日本人中に一人も本義を知つた人がない。大祓の太祝詞を正しく解した人は、二千年来日本国に出なかったのである。天津金木、天津菅曾の運用なぞ、誰か夢にも心附くものが在ろう。然るに時運は艮金神出現の神代に到着して、天津金木の運用を、人の世に知らしめ給いて、至楽大和の天国を斯土に築くの基を示させ給うこそ、尊き限りである。
吾人の言は些の誇張もなく、真実大正の告白である。天下の至誠の人のみ、吾人の語に耳を傾けるであろう。耳を是非とも傾けねばならぬ方々が、耳を傾けらるる暁が、創めて皇典(大本教)発祥の曙光である。
万世一系・天壌無窮・至楽大和・清浄潔斎の四大神則を神器に写させ給うたのが、彼の畏れ多くも三種神器に坐ますのである。三種神器の御伝承が、即ち天国伝承の確たる御証であらせらるるのであって、三種神器の御伝承こそ世界統主の御実義を、保証遊ばす大々的重大事であるのである。
天国は先ず日本国が真個の日本国に復帰して、而して後に其の余光が遠く一切の国土と万有との上に及び、大至楽の天国が栄える順序である。
此等の大々的事件は詳細に載せて、皇典『古事記』(大本教)の文底に明に示させ給う事柄で在って、天津金木の運用、言霊の妙用が之を立証するのである。アア、究むべきは皇典大本教である。焦眉の急なるは皇典大本教の研鑽である。
大日本国の国体が、天国の儘の移写である事は前段既に略述した通りで、其御即位の大典は天地御継承の一大秘事であって、実に森厳窮まりなき御儀式に渡らせらるるのである。御即位式の大典は登極令に於て定めさせ給う所で、我々の嘴を入るべき限りではないけれども、天津金木に拠て研鑽したる御儀相は、最も天国自然の大秘事を示させ給える事たるを聊か記するに止むる次第である。
天上至楽の御政道を、地上の青人草の上に施し給う幽玄神秘なる大々的事件が、神誓神約として万世を通じて無窮に伝わりますのは、如何に尊き極みではないか。
我等は日タ大祓の太祝詞を拝誦して天国伝承の深き御旨と、国家経綸の根深き大法を発揚せむ事を心懸けなければならぬ次第である。
「高天原に神留ります、皇親神ろぎ神ろみの命もちて、八百万の神等を神集へに集へたまひ、神議りに議りたまひて、我が皇御孫の命は、豊葦原の水穂の国を、安国と平らけく知ろしめせと事依さしまつりき。かく依さしまつりし国中に、荒ぶる神等をば神問はしに問はしたまひ、神掃ひに掃ひたまひて、語問ひし磐根樹立、草の片葉をも語止めて、天の磐座放ち、天の八重雲をいづの千別きに千別きて、天降し依さしまつりき。かく依さしまつりし四方の国中に、大倭日高見の国を安国と定めまつりて、下つ磐根に宮柱太敷き立て、高天原に千木高知りて、皇御孫の命のみづの御舎仕へまつりて、天の御蔭・日の御蔭と隠り坐て、安国と平らけく知ろしめさむ云々」
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君、大臣、臣、民の位明かに定まりませる天津神国
草薙の剣の稜威あれましてなぎはふりませ四方の醜草
諸々のしこの教も失せ行かむ八アタか望みの光り出づれば
つがの木のいやつぎつぎに栄えます天津日嗣は八尺勾玉
天の下治むる道を詳らかに説き示したる八阿多御鏡
(大正七、五、一、神霊界誌)