霊界物語.ネット~出口王仁三郎 大図書館~
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(二)

インフォメーション
題名:(二) 著者:浅野和三郎
ページ:241
概要: 備考: タグ: データ凡例: データ最終更新日:2025-01-24 22:22:00 OBC :B142400c67
 好意的忠告、善意の非難、これが大正五年の春から秋にかけて、自分の最も苦しめられたところのものであつた。有難いは有難いが、迷惑でないこともない。宛然(ちやうど)雌鶏(めんどり)家鴨(あひる)(ひな)見たやうな話だと自分は思つた。雌鶏(めんどり)は我が児のつもりで自分が(かへ)した家鴨(あひる)の雛を引ツ張りまはす。所が、池でもあると、雛はズンズン跳び込んで行く。雌鶏(めんどり)は大恐慌を(きた)して、池の周囲(まはり)をキヤツキヤツと叫びながら夢中になつて駆けめぐる……。
 自分が家鴨(あひる)の雛なら、自分の忠告者、非難者はさし()雌鶏(めんどり)の役割に相当した。第一に指を屈せねばならぬ牝鶏(めんどり)役は、(けだ)し自分の兄であつたらう。兄と自分とは年歯(とし)が七つ違ふ。兄弟といふものは年が一つ違つても仕方がないものだが、七つも違ふと(ここ)に格段の相違が出来る。赤ン坊時代には自分はよく兄の背に負はれて日を(くら)したものださうな。物心ついてからの事を考へて見るに、何事につけても始終兄から引ツ張りまはされて居た。郷里に於ける小学時代、東京に於ける書生時代、それから海軍に於ける奉職時代と、だんだん歳月は(つも)(つも)つて、二人とも四十の坂を越したが、しかし七つの差は依然として動く(よし)もない。何事につけても兄は矢張り兄、弟は矢張り弟であつた。所が今度の大本の信仰問題となつた時に、俄然として弟の方が一飛躍を試みた。家鴨(あひる)の雛が、牝鶏(めんどり)に置いてけぼりを()はした、池の水にざんぶとばかり跳び込んで了つた。
『さア大変だ! 見殺しには出来ない』
 これが恐らく兄の心持(こころもち)であつたと思ふ。兄は当時(くれ)に居たが、自分が綾部に行つたり、鎮魂帰神の術を始めたりして居ることを耳にすると、早速委細の報告を要求して来た。自分の方からは大体の説明をした長い返書(へんしよ)を出した。折返(をりかへ)して詰問反駁が来る。之に対する答弁説明が往く。来る、往く、来る、往く。何回繰返したか今は記憶にも上らない。(のち)には兄から来る手紙の数の方が、返信よりも遥か数多くなつた。理化学、天文学、哲学、その他学問の七つ道具を使ひ、それに自己の頭脳から絞り出した、七面倒(しちめんだう)臭い理屈を加へ、細かい字で何枚かの洋紙に(したた)めて矢継早(やつぎばや)に送つて来る。
『又やつて来た。とても(かな)はん』
 などと自分はよく妻をかへりみて苦笑することも屢々(しばしば)あつた。
 理屈の言ひ合ひでは道具(だて)の揃つた方が勝利を占める。しかし理屈の上の勝敗は、結局理屈の上の勝敗だけのもので、必らずしも真理の有無を決するの標準とはならぬ場合が多い。人間の理性や知識の到達し得る範囲には限りがある。人智を超越した神智霊覚──これは文書や口舌(こうぜつ)の力では到底達し得るものでない。什麼(どう)しても体験、体得、自覚、悟入(ごにふ)といふことにならなければ、とても(にほひ)さへ判らぬ。自分は出来る限りは弁明を試み、お蔭で皇道大本の教理方面を幾分か整理することは出来たが、しかし結局議論の上では兄を承服せしむることの不可能なるを発見した。兄夫婦が皇道大本の動かざる信仰に入ることになつたのは、矢張り時節の力やら、鎮魂によりての体得やらのお蔭であつたやうだ。
 自分の同僚のM氏、K氏、英人のS氏()が又大手(おほて)搦手(からめて)から自分を忠言攻めにした。面と向つて、血涙(けつるゐ)を絞つて自分の不心得を責め立てたのもあれば、わざと書面にして(あるひ)は学理を説き、或は先例を引きて、自分の迷夢を醒ますべく(つと)めたのもあつた。その思召(おぼしめし)は有難く受入れたが、其所説は一も首肯することが出来なかつた。忠告者から考ふれば自分の破滅を救はんとするのであるが、自分から言へば一身の利害得失などは最早眼中に亡くなつたのみならず、先方の議論の欠陥が余りに露骨に、余りに数多く眼について歯痒くて仕方がなかつた。気の毒ではあるが何故()うも低能で、頑迷で、無理解で、そして利己的であるのであらうとさへ思はれてならなかつた。先方の好意に対しても、是非とも霊に眼醒(めざ)めさせ、千万世(せんまんせい)に一度ありて二度となき此大正維新の神業に、落伍者とならぬやうにしてやり()いものだと(こひねが)ふより(ほか)なかつた。
 実は此念慮は自分は今でもかはらない。最近五年間(ほとん)ど寝食を忘れて()の宣伝の為めに呼号し続けた。五年(ぜん)と今日とは世界の大勢が非常に違ひ、又世人(せじん)の大本に対する知識も理解も雲泥の相違を生じた。当時にありては自分に対して最も好意を(いだ)ける人でも『浅野は余程変梃(へんてこ)だ。気の毒なものだ』位に思つたであらうが、現今では最も悪意を有する人でも、内心は『世界は大本の言つた通りになつて来た。事によつたら本当かも知れん』位に感じて居る。行掛(ゆきがか)り上から今でもヘラズ(ぐち)を大本に対して叩いて居る者はあることはあるが、この乱脈の世界が根本的の立替立直しなしに、このまま治まることを信ずる莫迦者もモウあるまいし、又極東の天地がこれから世界列強の利権争奪の中心地点と化せざることを保証し得る盲目児もなくなつた。自分が五年前に悟り得たことを、一般世間もいよいよ今悟りかけて来たのだ。自分は衷心から思うて居る。『我が同胞の奮起もモウ()と息になつて来た。いつまでもこの眼前(がんぜん)当面の事実を無視して不安の日を送る訳には行くまい。今迄は地位に執着し、金銭に執着し、虚名に執着し、酒食(しゆしよく)口腹(こうふく)の欲に執着して第二義、第三義の虚偽の生活を営んで居た。けれども世界の現状はモウそれを許さない。何も()も根底から(ゆる)ぎ出して来た。何物を力にして安心が出来るかがモウ世界の人類がその表面の虚偽を打ち棄てて、本来の真面目に復帰すべき時は近づいたやうだ。(たの)みにならぬ総てを振りすてた時、其処(そこ)に初めて(しん)生命(せいめい)が湧いて来る……』
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