霊界物語.ネット~出口王仁三郎 大図書館~
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霊の礎(四)

インフォメーション
題名:霊の礎 著者:出口王仁三郎
ページ:
概要: 備考: タグ: データ凡例:共通凡例S データ最終更新日:2025-10-17 22:22:22 OBC :B163100c04
一、真神(しんしん)または厳瑞(げんずい)なる主神(しゅしん)に認められ、愛せられ、信ぜられ、また主神を認め深く信じ厚く愛する所には必ず天国が開かれるものである。諸多の団体における善徳の不同よりして、主神を礼拝するその方法もまた同一でない。ゆえに天国にも差等あり人の往生すべき天国に相違ができるのである。
 しかしながら天国の円満なるはかくの如く不同あるが故である。同一の花の咲く樹にも種々の枝振りもあり、花にも満開のもの半開のもの(つぼみ)のままのものがあって、一つの花樹の本分を完全に尽しているようなものである。

一、天国は各種各様の分体(ぶんたい)より形成したる単元であって、その分体は最も円満なる形式の中に排列せられている。すべて円満具足の(そう)なるものは諸分体の調節より来たるものということは、吾人の諸々の感覚や外心(がいしん)を動かす所の一切の美なるもの楽しきもの心ゆくものの性質を見れば分明である。
 数多(あまた)(あい)()(あい)(かな)うた分体があって、あるいは同時に、あるいは連続して節奏および調和を生ずるより起こり来たるもので、決して単独の事物より発せないものである。
 ゆえに種々の変化は快感を生ずるに到ることは吾人の日夜目撃実証する所である。そしてこの快感の性相を定むるは変化の性質如何(いかん)にあるのである。
 天国における円満具足の実相は種々の変態に帰因することを(あきら)め得らるるのである。

一、天国の全体は一の巨人に譬うべきものである。ゆえに甲の天国団体はその頭部に、または頭部のある局所に在るようなものである。
 乙天国の団体は胸部に、また胸部のある局所にある。
 丙天国の団体は腰部(ようぶ)または腰部のある局所に在る如きものである。
 ゆえに最上天国即ち第一天国は頭部より(くび)に至るまでを占め、中間即ち第二天国は胸部より腰及び(ひざ)の間を占め、最下即ち第三天国は脚部より脚底(きゃくてい)(ひぢ)より指頭(しとう)の間を占めているようなものである。

一、天国は決して上の方のみに在るものでない。上方にも中間にも下方にも存在するものである。人間の肉体に上下の区別なく頭部より脚底に至るまでそれぞれ意志のままに活動する資質ある如きものである。
 ゆえに天国の下面に住む精霊もあり、天人もある。また天国の上面に住むのも中間に住むのもある。(てん)の高天原もあり、()の高天原もあって、各自その善徳の相違によって住所を(こと)にするのである。

一、宇宙間においては一物(いちぶつ)といえども決して失わるる事もなく、また一物も静止しているものではない。
 ゆえに輪廻転生、即ち再生ということはあり得べきものである。
 しかるに生前の記憶や意志が滅亡した後に、やはり個人というものが再生して行くとすれば、つまり自分が自分であるという事を知らずに再生するものならば、再生せないも同じことであると言う人がある。実にもっともな言い分である。
 すべて人間の意志や情動なるものは、どこまでも朽ちないものである以上は、霊魂不滅の上から見ても、記憶や意志をもって天国へ行くものである。
 しかし現界へ再生する時はいったんその肉体が弱少となるを(もつ)て容易に記憶を喚起することはできないのである。また記憶していても何の益する所なきのみならず、種々の人生上弊害が伴うからである。
 これに反して天国へゆく時はその記憶も意念もますます明瞭になって来るものである。
 ゆえに天国にては再生と言わず、復活と言うのである。

一、科学的の交霊論者は、人霊(じんれい)の憑依せし情況や死後の世界について種々と論弁を試みているのは全然無用の(わざ)でもない。しかしながら彼らの()は最初と最後のこの二つの謎の間に板挟みの姿で、その言う所を知らない有様である。
 彼らはホンの少時間、時間というものを最早数えることのできぬ世界へホンの一足(ひとあし)ばかり死者の後をつけて行くだけであって、闇黒(あんこく)の中でそのまま茫然としてその行方を失ってしまっている。
 彼らに対して宇宙の秘密や真相を闡明(せんめい)せよと言った所で、到底ダメである。

一、宇宙の秘密や真相は到底二言(ふたこと)三言(みこと)で現代人の脳裡に()るものではない。また本当にこれを物語った所で到底人間の頭脳に入りきれるものではない。
 人間の分際としてはいかなる聖人も賢哲も決して天国や霊界の秘密や真相を握る事は不可能だと信じている。何となればこの秘密や真相は宇宙それ自身の如く無限で絶対で不可測で窮極する所のないものだからである。

一、死者がやはり霊界に生きているならば、彼らは何らかの方法を用いてなりと吾々に教えてくれそうなものだと言う人がある。
 しかしながら死者が吾々に話をすることができる時分には、死者の方において何も吾々に報告すべき材料を持っていないし、また何か話すべきほどの事柄を知り得た時分には、死者は最早吾々と交通のできない天国へ上って、永久(とこしへ)に吾々人間とかけ離れてしまっているからである。

大正十一年十二月
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