霊界物語.ネット~出口王仁三郎 大図書館~
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霊の礎(七)

インフォメーション
題名:霊の礎 著者:出口王仁三郎
ページ:
概要: 備考: タグ: データ凡例:共通凡例S データ最終更新日:2025-10-17 22:22:22 OBC :B163100c07
すべての人は死して(のち)  天国浄土に昇り行く
無限の歓喜に浴すべき  人間特有の資質あり
これ神ごころ大和魂(やまとだま)  仏者のいわゆる仏性(ぶっしょう)
そもそも人は色々と  輪廻転生の門を越え
禽獣(きんじゅう)虫魚(ちうぎょ)の境涯を  (わた)りて現世に人間と
生まれ来たりし者もあり  高天原の天人が
男女情交のその結果  霊子(れいし)となりて地に蒔かれ
因縁ふかき男子女子  陰と陽との水火(いき)の中に
交わり()りて生まるあり  人の霊魂(みたま)至精(しせい)、至微
過去と現在未来との  区別も知らず生き通し
幾万(いくまん)(ごう)の昔より  生死の(みち)を往来し
善果を積みて人間と  ようやく生まれたる上は
如何(いか)でか高天(たかま)の天国へ  昇り得られぬ事やある
アヽ惟神(かんながら)々々  神の仁慈ぞ有り難き。


神の御子(みこ)たる人の身は  善悪正邪にかかわらず
高天原(たかあまはら)の天国へ  (のぼ)りて(もろ)の歓楽を
味わい()べき萌芽あり  これを称して神性(しんしょう)という
たまたま根底(ねそこ)暗界(あんかい)へ  墜ちて苦しむ者あるは
体主(たいしゅ)霊従(れいじゅう)、利己主義や  ()(しょう)、我執の妖雲(よううん)
おおわれ自ら身を破り  自ら地獄の因を蒔き
自ら苦悶の深淵に  沈み溺るる(たま)のみぞ
さわさりながら天地(あめつち)を  造り玉いし()の神は
至仁、至愛に()しませば  極悪無道の人間も
容易に(にく)ませ給うなく  天国浄土に救わんと
天の使いを地に(くだ)し  神の尊き()教えを
うまらにつばらに(くま)もなく  開かせたまひて世の人を
導き給うぞありがたき。


神の御眼(みめ)より見給えば  聖人君子も小人(しょうじん)
智者と愚者との区別なく  一切平等に映じ給う
これぞ仁愛(みろく)のこころなり  実相真如(しんにょ)の太陽は
生死の長夜(ちょうや)照却(しょうきゃく)し  本有(ほんう)常住(じょうじゅう)月神(げっしん)
煩悩の迷雲(めいうん)破却なし  現世の人は昔より
(ため)しもあらぬ聖代に  いとも尊く生まれ遇い
仁慈の教えを(こうむ)りて  心の(やみ)を押し開き
天国浄土の手引きをば  開示されたる尊さは
渡りに舟を得し如く  金剛不壊(ふえ)如意(にょい)宝珠(ほっしゅ)
双手(もろて)に受けしその如く  暗夜(あんや)炬火(きょか)を得し如し
アヽ惟神々々  神の仁慈の限りなく
窮極(きゅうきょく)なきに(むせ)びつつ  感謝の波に漂いぬ
そもそも人の心霊は  幸福以外の物々(ぶつぶつ)
対して一切無感覚  なるべく造られおるものぞ
ゆえに諸人(しょじん)の心霊は  無限の歓喜を永遠に
()けんがために存在す  人の心霊の歓喜とは
一々知悉(ちしつ)し理解する  ことによりての歓喜なり
この世に生まれて何事も  知悉し得られず理解せず
暗黒無明の生涯を  送るものほど悲しみの
深きものこそ無かるべし  第一死後の生涯に
対して無知識なることは  悲哀の中の悲哀なり
アヽ惟神(かんながら)々々  ()(たま)(さち)はいましませよ。

大正十一年十二月
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