霊界物語.ネット~出口王仁三郎 大図書館~
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第七章

インフォメーション
題名:第七章 著者:出口王仁三郎
ページ:93 目次メモ:
概要:
  • 明治31年3月15日斎藤と一緒に、宮川の妙霊教会で初演説成功「惟神の徳性」
  • 斎藤丑之助の妨害。
  • 巡査の訪問。『法律の範囲内』で信教の自由がある。御岳教につこうとする。
備考: タグ:御嶽教(御岳教) データ凡例: データ最終更新日:2024-06-23 19:33:24 OBC :B195301c13
初出[?]この文献の初出または底本となったと思われる文献です。[×閉じる]写本(成瀬勝勇筆、大正14年12月、大本本部所蔵)
 あるとき斎藤が来て、「君、(ゆう)(さい)ばかり研究するのもよいが、演説もまた必要じゃと思うが、一つ会場でも借りて皇道演説でもやってはどうだ」というので、余は「いかにも君の説の通りだ。神祇の洪徳を奉謝し、惟神(かんながら)の徳性を()(だい)に宣揚するには、神術のみでは行かない。演説なり説教は、実に主要なる武器であるという事は、余もつとに了知して居るのであるが、何分にも経験がないから、実は(ちゅう)(ちょ)して居るのだが、君もやれるか」と反問すると、「僕も僕もじゃ」と答えて微笑して居るのである。
 そもそも演説なるものは偉大なる力を有して居る。国家を動かし、人心を(うご)かすべき、驚くべき神力を保って居るものであるから、余の如き少しも素養の無いものは、とうてい不可能事に属するのである。演説の素養とは、第一に心身の修養を要し、第二に智徳の養成、第三に音調の練習等が最も肝要である。また演説をなさんとするものは、論理法を了知して居らねばならぬ。第一に論理の要領、第二に演繹法、第三に帰納法、第四に(いん)(みょう)法なぞの方式をわきまえねばならないのである。
 また演説には、組織という事が最も必要であって、思想の組立なり、議論の順序なり、論結をうまくやらねば、聴衆をして拍手(かっ)(さい)せしむる事が出来ないのであるが、余はこの点において、余程心痛を催して居ったのであったが、ついに思い切って宮川の妙霊教会上で、始めて一場の演説を試みる事にしたのである。
 明治三十一年三月十五日の夕方より、二人づれで、いよいよ宮川の教会へ参詣して、会長の西田清記氏に、「演説をやらして貰いたい」と申し込んだ所、大賛成で承諾してくれられた。
 (つき)(なみ)(さい)の拝式も無事にすんだのが、午後の八時三十分頃であった。さあこれから、余が演説の時間である。
 余は弁士の控席より出て登壇するや、(あま)()の聴衆は早くも余の容姿と挙動に注意して居るのであった。余は演説の(うい)(じん)であるから(ころも)(がわ)の弁慶にならない様にと思うて、十分の注意をして、行歩悠々緩々として、しかも謹厳なる態度を保ちて演壇に立ち現われたのである。既に登壇して机卓の傍らに立ち、先ず姿勢を正し、軽く両手を垂れ、少しく頭を()して満場に敬礼の意を表した時、早くも拍手の声は場の一隅より起こり始めた。余は始めての出陣で胸轟き、身体は微動を催し、顔は火の如くに熱して来た。否、顔ばかりでなく、第一、脇の下から一面に汗が出るのである。()いて心神を鎮め、机上に備えある水瓶より水をコップに注ぎ、これにて()()(しめ)し、しかしてわが演題と姓名とを告げ、おもむろに演説に掛かったのであった。
 余の演題は「惟神の徳性」というのであった。一時間ばかりの長席であったが、非常なる大喝采を博したのであるが、それもそのはず、余の力量で演じたのでない。豊備円満に()します神霊が余の体内に入り玉うて、ただ余を道具におつかいになったのであるから、成功したのも不思議ではないのである。次に斎藤も、神の援助を得て演説をやったが、これも大喝采を博して降壇する事を得たのであった。
 その夜はその所に宿泊して、翌日は四里ばかり隔てたる船岡の妙霊教会へ二人連れで行く事にしたが、途々、「君は余り音声を保存するために、しばしば水を呑んだのは見苦しかったよ。余り水を呑むと、かえって音声が枯渇するの恐れがあるから注意し玉え。僕は始めから高声を発しすぎたから、肝要の点に到って語声が弱り、抑揚のよろしきを欠いたのは、返す返すも遺憾の至りであった」なぞと云うのは、斎藤であった。
「弁士の檀上に在るや、なお戦場に在るが如く注意して掛からねばならない。君のように、眼を上下左右に転回したり、また一隅に居た美婦人の方を熟視してるのはあまり感心が出来ない。反対の声が聞こえると周章(ろう)(ばい)したり、賛成の声を聞いて歓喜(じゃく)(やく)しすぎるのは、真の弁士たるの資格を欠くのであろうと思うけれども、どうも都合よく行かないから、どうも困ったよ」と云うのは余であった。
 種々話の中に、早くも殿(との)(だに)(とうげ)(くち)(うど)(とうげ)を越えて園部について、それから船岡の妙霊教会へと乗り込んだ。ここの教会長は山田と云う男で、副長が佐野清六と云う中老者で、余の叔父に当たるのである。余等両人の参詣を喜んで優待してくれて、その日は例祭であって、二百人余りの参詣人であったが、両人共に首尾よく演説をやって、大喝采を得て、帰村する事になったのである。
 一人の悪漢あり。余が家に来たっていう。「余は足に負傷を得て実に困難をして居ますが、君は神通力を得られたとかで、よく人の運命を前知して居られるとか、また誰彼の病気が即座に治りたとか聞いて、実に感心して居るのだ。僕は今朝過って大怪我をしたから見て貰いたい」という。そこで余が、そっと遠眼に考えるに、実地に負傷したのではない。ただ(ほう)(たい)を以てしめてあるばかりで、怪我も何もしたので無いという事がよく判明するのである。
(ひっ)(きょう)、これは余を試しに来たのである」と思うたから、断然と()ねつけてしまった。彼の意は、万一余が見誤って神明に向かって()(とう)でもしたなれば「余は仮病である。それが見えぬとあれば、やはり()()である」とか、「山子である」とか、つけこんで酒代でも強制するつもりで来て居るのである。また余が、「負傷して居ない」と云うた時には、繃帯を解くに当たって、指の間に隠しある小刀で以て自ら負傷して、「これでも怪我でないか」と駄々をこねる積もりで居るのであると云う事を悟ったので、なるべく敬遠主義を取って追い返してしまうたが、この悪漢はその後二、三回も出て来て、乱暴をして、戸障子なぞを破壊した事があったけれども、余は一度も彼に小言をならべなかったので、しまいには良心に恥じたと見えて、来ない様になったのみならず、「喜楽という奴はなかなか辛抱のよい男だ。彼でこそ神様に仕えられる」なぞと、反対に今度は賞賛する様になった。
 余も柔術の稽古で亀岡の生徳社へ通うて居た時は友人であって、斎藤丑之助という大工職をして居る男であったが、その後は一度も反対せず、かえって余が布教に出た不在中は、母なり弟なりを大層世話してくれたと云う事を、母より聞き及んだのであるから、ちょっとここに付記しておくのである。
 ある日、曾我部巡査駐在所の受持巡査がある日出て来て、「上田喜三郎はお前か」と尋ねたので、余は「左様です」と答えた所、「お前は日々、神とか天狗とかいうて人を(まん)(ちゃく)して居るという事だが、事実か」と問うのである。余は国家のためにして居るのであるから、「世人を瞞着する」なぞといわれては黙する事が出来ぬ。そこで余は左の如く答えた。
「日本臣民としての私は、国家百年のために皇道を発揮して、わが特殊なる国体を弁明して皇室の尊厳を維持し、国民的の性格を発揚して、自主的の思想を伸張せしむるための目的よりほかはないのである。この腐敗堕落の社会を洗濯して、惟神(かんながら)の徳性を()(だい)に宣揚するの目的である。また一つには、宇内の哲学を一変させて、学術界に貢献するの覚悟より外は無いのである」
 私は、「主なる目的はこれより他は一点もない」と答えた。
 巡査のいうには、「お前の説はごく立派であるが、それ位な立派な精神で居るお前が、何故に下等人民やら無学者を沢山集めて居るのであるか。お前の(げん)と行う事とは矛盾して居るではないか」と詰問を始めたので、余は左の言を以て応答したのである。
「私は先ほど言明した通り、社会を洗濯するのが目的であるから、汚れたものを集めて洗濯するのである。清きものは洗濯するの必要が無いのであるから、人道、正義、真理なぞの不解者をして覚醒せしむるの主義である」と答えた。
 巡査またいう。「お前の説で主義目的は了解したが、お前は結社の法律を知って居るか。この結社はどちらから許可を得たか」と(たずね)るので、余は、「天から命令をうけて結社して居る」と答えたところ、「それはいけない。立憲政体の今日に当たっては、それぞれ法律が在るから、相当の手続を経て公公然とやるがよかろう」と諭されたから、余は法律は(ごう)も解しなかったけれども、聞きかじりの憲法を引き出して反抗を試みた。
「帝国憲法第二十八条に、『日本臣民は安寧秩序を妨げず及び臣民たるの義務に(そむ)かざる限りにおいて信教の自由を有す』。第二十九条に、『日本臣民は法律の範囲内において言論、著作、印行、集会及び結社の自由を有す』と明記せられてあれば、日本の臣民たる私が結社するのは、差し支えはなかろうかと考える」と弁明した。
 巡査の言う。「お前は『法律の範囲内』と云う事を知らない。宗教には宗教上のそれぞれの規則がある。(たい)(せい)(きょう)とか、(たい)(しゃ)(きょう)とかの管下となって開いて貰わんと、行政上黙許すると云う訳には行かない」とて、法律上の説明を一々明細に諭されたので、余もその言に従いて、(おん)(たけ)(きょう)の管下について、教導職となって教えを開かん事に決意をしたのであった。
 しかし神界の摂理であったか、事故が出来て、御岳教へ入社する事を断念する事になった。その事は後にいたって分かりて来るから、ここに略しておく次第である。
明治三十七年一月十九日
   上田(しげ)(かい) 著
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