霊界物語.ネット~出口王仁三郎 大図書館~
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第十二章

インフォメーション
題名:第十二章 著者:出口王仁三郎
ページ:149
概要:
  • 幽斎修行の例 悪霊、妖魅が懸かった例があげられている。自ら大神とか名乗るのは妖魅である。家屋などを振動させ、審神者や信者を驚かせる。
  • 神通眼 王仁三郎が神主(修行者)に直霊を賦与して、遠くのもの、隠れたものを見せることができる。
  • 角力取りの八田弥三郎に襲われるが、柔道で投げて逃げた。八田は神罰を得て一年後に帰幽した。(この部分は、後の聖師伝とは違っている)
備考: タグ: データ凡例: データ最終更新日: OBC :B195301c18
初出[?]この文献の初出または底本となったと思われる文献です。[×閉じる]写本(成瀬勝勇筆、大正14年12月、大本本部所蔵)
      明治三十七年二月十七日筆 旧正月二日なり
 余はますます奮励して、再び幽斎の修行を始める事となったが、今回は前回に比して、よほど面白き事があるから、後学のために記載するの考えである。
 例の如く、帰神修行の装置を整え、天然笛を吹奏するや、にわかに大地震かと思わるるばかり、戸障子なぞゴーゴービリビリビリーと動揺し始めたが、余が幽斎修行を開始してから家屋の震動するのは初発であるから、余も大いに驚いたのであるが、およそ十分ほど経て、休止したのである。
 そのとき神主は、みな感じつつあった。その席に列座して居るものも、顔色を変えて震い上がって居るのである。
 そのとき多田の神主、口を切って(いわ)く。「只今の音響は、(あが)(つまの)(みこと)の御出ましたのであるから、()()()(よろ)しく拝伏敬礼すべし」というのであった。余は最も疑うた。吾妻命なぞはわが国の古典にも見えず、かつ又、その挙動が(すこぶ)(あい)(まい)であるから、余は例の()()()の権能を以て質問を試みたのである。
 
+「(あが)(つまの)(みこと)とは、わが国史に見えず。如何(いかん)
-「(なんじ)未だ皇典の意味を知らず。『日本書紀』『古事記』を合せても、わずかに二百有余の神名より見えず。しかるに、神は八百万(やおよろず)と云うに非ずや。正神にして皇典に洩れたる神名、多々あり。云々」
+「(しか)らば伺います。貴神は何れの神なるや」
-「余は勿体なくも(てん)(しょう)(こう)(たい)(じん)(ぐう)なり」
+「天照皇大神宮とは、何れの神ぞ」
-「馬鹿をいえ。馬鹿々々々々め。天照大御神なり――」
 
 後学者、注意して読むべし。自ら「大神」と名のるこの人の、わが名を呼ぶに、「閣下」とか「様」とかを付するが如く、不礼譲の極みなり。(いわ)んや神々においておや。
 また(われ)より「勿体なくも」と(あが)め、「馬鹿」と(ののし)る。これ正神の所為にあらず。彼は最も猛烈なる(よう)()なのである。
 最初に悪魔を沢山引き連れ(きた)りて家屋を震動せしめ、以て()()()なり信者の(きも)を奪いて後に、神聖なる修行場を(じゅ)(うりん)せんとするのである。もっとも審神者の胆力と眼光が必要なのである。次の問答を読みて、その大略を了知すべし。
 
+「天照大御神は、何神の御子なるや。伺います」
-「不敬千万なり。(わが)名を尋ねて、その上に親の名まで(もん)(きゅう)して何と致すぞ。たわけ者め」
+「不審の点あらば、審神者の職権を以て尋問に及ぶものなり」
-「(われ)は必要を認めざれば、答うるの限りにあらず」
+「汝は審神者を盲に為さんとするか」
-「(しか)り、汝既に盲目なり。何となれば、天照大神の親の名を知らずして、審神者なぞとは片腹痛し。あはゝゝゝ」
+「(しか)らば何神なるぞ」
-「何神か知らず」
+「汝は妖魅と断定す」
-「あはゝゝゝゝ」
+「失敬千万なり。速やかに退去せよ」
-「『退()け』といっても、なかなか退かぬぞよ」
+「親神の名を()ぐる事を得ざるは(うべ)なり。汝は邪神なり、速やかに退去せばよし。(いな)むにおいては、吾直ちに神界に訴えん」
 
 かく()いて、直ちに(わが)霊を以て神界へ訴えんとしたのである。そうすると彼は、ビリビリビリと震い出した。
 
-「許し玉え。(われ)は偽神なり、妖魅なり。神界へ訴え奉る事のみは許し玉え」
+「(しか)らば今回は許す。以後、大神の()()(いつわ)るべからず」
-「(おそ)れ入りました」
 
 彼は、神主をその場に倒して、逃げ出してしもうたのである。この事は、斎藤の宅での出来事である。多田神主も、ついに前回の修行より一歩進んだ神主になったが、順次に帰神の一斑を記載するの考えである。
 余はまた神主に、神通眼の修行を練習せしめたが、岩森とく、石田小末は第一等の成績を得たのであった。第二には、多田こと、斎藤たかの両人で、その他の三名は不感者で終わったのである。その方式は、神主を帰神の修行の時と同じく瞑目静座せしめて、十分に知覚精神を失わざる時を見計らいて、天の橋立とか、松島とか、大極殿とかを、「今(なんじ)に見せん」と告げておくのである。よほど感合したと思う所で、審神者は声を励まして「今見ゆるは天の橋立の景なり。それ、見いー」と一喝するのである。そうすると神主の眼には、明瞭に映ずるのである。疑うものは、実地につきて教うべし。その他懐中に秘しあるものも、密封せる器具の中にあるものといえども、判然として見る事を得べきなり。これ、余は審神者の天職によりて、(なお)()を賦与する事を得ればなり。
 
 
   不意の襲撃
 
 神主を家に残して、余は一人氏神へ参詣せんとして小幡神社の傍らなる(むく)の大木が元に差し掛かると、大の男が一人現われて、突然余が(えり)(もと)をつかんで引き倒し乱打し始めた。
 頭といわず顔といわず、体一面に踏んだり蹴ったり、乱暴(ろう)(ぜき)をやるのである。
 また一人の男が現われて、加勢するのである。
 (やみ)()で確然と顔は判らぬが、声には聞き覚えがある。「思い知ったか」、「殺してしまうてやろうか」なぞ、(ののし)るのは、角力(すもう)取りの八田弥三郎と云う者である。
 そこで余、「(かね)て生徳社で習った柔術でも使うて、敵を驚かしてやろうか」と思うたが、また(かえり)みて、「否々、他人に負傷させて刑法の罪人となっては神界へ対して済まない。わが生命に関せざる限りは、彼らの()すがままに放任して置かん」との考えが浮かんだ。
 しかし彼らが余を(うら)んで襲撃するのは合点が行かぬので、「余は上田喜三郎であるが、汝に敵視さるる覚えなし。何の遺恨があるぞ。(うけたまわ)らん」と(ことば)静かに問い返せば、彼は、「怨みあればこそ汝を殺さんとするなり。その故は、かくの次第なり」と述べたてつ、しきりに乱打するのである。
 余も初めは、「彼らは何か誤解でもして、余に負傷させさえすれば気が済んで退去するであろうから、彼らの得心する所まで打たしてやろう。われは傷を負わせないように」と覚悟して、苦痛を忍耐して居たが、彼らは加勢の来たのにますます強くなって、「殺さなおかぬ」と云う決心と見て取った。
 余は最早、大切の身体、彼らが自由に任さない。矢庭に、未熟ながらも習い覚えし柔術にて、八田弥三郎を取って投げ、その間に余は、暗に紛れて()げて帰ったが、後にて委細を聞けば、両人共に余を疑うて、深き怨みを懐いて居ったのである。その事情は左の通りである。
 八田弥三郎という男は、(わか)(にしき)という(みや)()(もう)を取る大力者であるが、彼は天刑病らい病のこと。の血統なので、数年来、婚姻を求めて居たけれども、二里や三里の所には嫁になるというものがなかったのである。しかるに、寺村という所より一人の娘を(めと)る事の話が出来かけたが、娘の方も昔気質(かたぎ)な両親共が、「第一に神の占いを受けてからもろうて下され」というので、余に神占を請うたのである。余は「実によろしかろう」というて(かえ)したのである。しかるにどこで聞き合わしたのか、「血統が悪い」と云うのでついに破談となったのを、余が()しく教えたので、それで縁談が破れたとの誤解から、彼はついに、余を殺してその怨みを報ぜんとしたのである。
 つまらないのは、余である。実に無実の疑いを受けたのであったが、一人の男は、彼の股肱たる寺本市平という者であったが、八田弥三郎は、その後一年を経て肺患に掛かり、苦悶の末、ついに死去してしまったのである。この外、余が主意に反対し、大妨害を加えたる者はなはだ多く、一々記する暇なし。されど大反対者は、皆々死去し、負傷し、破産して、一人も幸福の地に立てる者なし。
 実に神明の審判は速やかなるものと、余は常に感歎しつつあるものである。
 
      明治三十七年二月十九日筆
 ある時、またもや邪霊、多田始めその他の神主に(かか)れり。余は例の()()()となりたり。問答左の如し。
 
+「(なんじ)は何者なるぞ」
-「(われ)は武士なり。武士(おん)(りょう)なり」
+「何のために憑りて、神主を悩ますぞ」
-「年回供養を、無縁となりしゆえ、営みくるる者なし。故に今神主に(かか)りしなり」
+「何家の武士なりしぞ」
-「園部小出家の武士なりしが、後には松平家、すなわち亀山城主より武術の指南役として召し抱えられたるものなれども、生前に妻子なく、かつ同僚に(にく)まれしため切腹したるなり。その後、吾を弔う者なし。故にこの事を依頼せんために、大切なる神主を借りたるは、実に恐れ多し。(ゆる)し玉え」
 
とさも真実らしく答えたり。
 読者よ。妖魅はかかる虚言を吐くのである。武士の怨霊でも何んでもないのである。極めて強烈なる妖魅が、虚言を以て、余が審神者の眼光を試さんとするのである。万一、審神者たるもの、彼が術中に陥りし時は、それこそ大変である。神主も何も、みな狂乱者にしてしまうのである。余はなお、尋問を試みたのである。
 
+「その方の本名は何と言いたるや」
-「中山操なり。四十二歳を以て帰幽せり。墓標は亀岡の円通寺に在り。武勇院明光忠徳居士と(しる)せり。疑わば行きて見るべし」
 
 読者よ。答弁はなかなか明白にして、もっともらしきなり。されど、これみな、妖魅が審神者を(ろう)(らく)する唯一の手段なのである。彼と余との問答は、沢山あれども略す。
 余は、彼が「水を欲しい」と言うので与えた。そうすると、五合(びしゃく)に四杯()んで、未だ「水をくれ」と云うから、あまり呑ますと神主の体に関係すると思うたから、ひそかに神前の神水を混じて彼に与えたが、彼は驚いて、みな吐き出してしもうた。そして彼は、妙な事を言うて苦悶するのである。「ああ、上田は殺生な奴じゃ。おれにモロフを呑ましよった」と云うて(あば)れまわる。(モロフとはモルヒネの事ならん)
 それから神鏡を見せると、恐れて(おもて)をかくすのである。神前の(とびら)を開かんとすれば、大声を出して絶叫するのである。鎮魂の玉にて頭部を(かす)かに打つと、()の邪霊は逃げ出して、神主はついに正気に復した事がある。
 幽斎修業発達の結果、ついに多田の神主に、天照大御神懸からせ玉えり。神主の容姿、何となく威厳備わり、優美高尚の態度となりたれば、余の審神者は、最も敬意を表し、平身低頭しつつ左の問答を開けり。
 
+「謹んで神名を伺い奉ります」
-「(つき)(さか)()(いず)()()(たま)(あま)(さかる)(むか)()(ひめの)(みこと)なり」
 
 その()(ことば)(もう)し、容姿といい、最も荘重にして、かつ沈着を極め玉えり。
 
+「何れの宮に鎮まりますや」
-「摂津国()()郡大荘村広田なる広田神社にあり」
+「社格は何位にますや。(おそ)れながら伺い奉る」
-「官幣大社なり」
+「皇御神の()(いつ)(たま)を伺い奉ります」
-「天照大神の(あら)(みたま)なり」
+「(おそ)れ乍ら伺い奉ります。今日の太陽系、天体をなしてより、おおよそ幾星霜を()(そうろう)ぞ」
-「五十四万八千歳なり」
+「『天帝は万物を造り玉えり』と聞き及び候。しかして、その創造の順序は如何(いかん)。伺い奉ります」
-「大地、その一に居り、樹草、その二に居り、人類、その三に居り、次に獣、次に鳥、次に魚、次に虫類を造り玉えり」
+「(てん)(しん)()()の弁を伺い奉る」
-「無形に(いま)すを天神といい、有形に(いま)すを地祇という」
+「人魂、神となるもの、諸天に属し候や、諸地に属し候や」
-「(ふん)()()内にあるものは、諸地に属す。雰囲気外に在る者は、諸天に属す」
+「天帝とは(あめの)()(なか)(ぬしの)(かみ)に候や」
-「然り」
+「天帝、全智全能にして主宰を為し玉う。しかして、多神を造り玉うは如何(いかん)。伺い奉ります」
-「天帝の多神を造る、全智全能なる所以(ゆえん)なり。天帝既に太陽を造り、すなわちこれに付するに霊魂、霊力、霊体を以てす。
 既に大地を作り、すなわちこれに付するに霊魂、霊力、霊体を以てす。
 既に太陰を造り、すなわちこれに付するに霊魂、霊力、霊体を以てす。
 しかして、太陽と大地と太陰と列星と、永遠死せず。
 しかして、人類必ず死し、その霊また神となる。天帝もし多神を造らずんば、それ何を以てか主宰を為さん」
+「有り難く了解(つかまつ)り候。なお重ねて御教示を仰ぎたく存じます。神(ゆる)し玉わるや」
-「宥す」
+「天帝既に人類を造りて、すなわちその保護また、自らこれを為し玉うや」
-「大地その一に居りて、太陽その二に居り、太陰その三に居り、千万世にして(たが)わず」
+「天帝ありて、しかして大気あるや。大気ありて、しかして天帝あるや。御教示を仰ぎ奉ります」
-「霊ありて、しかして後に力あり。力ありて、しかして後に大気あり。
 汝が呼吸する所の大気は、大地呼吸する所の大気に(あら)ず。
 大地呼吸する所の大気は、太陽呼吸する所の大気に(あら)ず。
 故に、天帝呼吸する所の大気は、現体呼吸する所の大気に(あら)ざるを知るべし」
 
 このほか十数回、御教答の上、大神は引き取り玉えり。大神の()(おし)えは(さわ)なりしかども、本章の目的は、帰神の模様の一斑を示すにあれば、略する事とせり。
 総て正神の感合は、その挙動に(おの)ずから犯すべからざるの威厳ありて、何となく人を引き付くる如く、何んとなくまた畏敬の心を起こさしむるの(おもむき)あるものなり。邪神の感合は、何となくその動作狂粗にして、大言壮語し、以て人を威圧せん事にのみ努むるものなり。空虚なる器物は、大なる音響を発する如く、われ一人にて天地万有を支配せる如く、()()を吹く者なり。道を奉ずるものは、最もこの点に注意せざるべからず。
 帰神修行中、種々の幽玄微妙なる神術現われ、ほとんど三百六十二法の神感に遭逢したれば、記すれば記するほど、際限なきに付き、後日に譲りてここには略しぬ。
 神主にかかりて、「富士に住む」とか、「男山に住む」とか告ぐる霊は、天狗である。また白狐は「稲荷山の白狐」と告ぐるなり。眷属界の感合し玉う時は、何々神社の眷属奇雄とか、敷島とか、三剣とか、八千彦とか、告げたまうなり。
 邪神に(つか)ゆる天狗なり、狐の霊は、わが身分を隠さんとして、大神の御名をかたり来るものなり。正一位何々大明神とか、何々社の何大神とか、鞍馬山の大僧正とか、口から出任せに放言するものなり。()()()が厳しく(じん)(きゅう)すれば、包み切れずして直ちに白状するものなり。「吾前に、(われ)(ほか)神ありとするなかれ。神罰立ちどころに到らん」なぞと()(かく)するものなり。注意せざるべからず。
 
      明治三十七年二月二十二日筆
 またある時は、「何々の(こん)(じん)なり。金神は悪神と人は申せども、然らず。金神は(かね)の神なり。故に福の神なり。(われ)を信ぜよ。吾を信ずるものには、天地の万有を挙げて(なんじ)に与えん。汝をして現界の王者となさしめん。それは、天より汝に授け玉える使命なり。(われ)天帝の(めい)に依りて、汝にこの事を示す。必ず疑う事(なか)れ。ただ(われ)を信ぜよ。ただ吾に従え。()()を出す勿れ。天国は汝に与えん。大いなる宮殿の中に住ましめて、天下の政権を握らせん。故に()が言を信ぜよ。吾は、天地の大神の厳命に()りて汝に示すなり。汝をして『みろくの世』の大王と()さん」なぞと、栄華を以て余を試み、以て邪神界へ引き入れんと為した事、幾度なりしか数うるに閑暇(いとま)なし。
 またある時は、神主を利用して筆を振るい、数多の白紙を費やして、釘の折れた如き蚯蚓(みみず)()うた如き文字を並べて、「神が口で(もう)す代わりに筆にて知らす」なぞと、下らぬ事を書き流すものあり。
 また無点の漢文を(つづ)るものもありて、その意は、「皆、(まっ)()(ひん)したれば、吾は天の命により(すくい)(ぬし)として降れり。信仰すべし。信ずべき神は、吾より外になし。他の神は皆、偽善神なり。吾は悪に見えて善なる神なり。この世の(たて)(かえ)を致す神は、吾なり。一度に恐ろしき事(きた)らん。故に救われん事を(ねが)うものは、ただ吾を信ぜよ。吾は(もっ)(たい)なくも天照皇大神宮殿の分霊なり」なぞと大言を吐くあり。
 神仏混合の名称を以て(かか)り来るあり。熊野大権現なぞと称え来る、その例なり。()()()にして識見なく胆力なき時は、ついに邪神に魅せらるる事あり。またあるときは、神主の心を迎えんために、社会を(まん)(ちゃく)せんために、種々の(かん)(げん)を以て邪神界へ誘わんとす。その方法は、随分巧妙なるものあり。
(なんじ)の霊は天照大神の直接の霊なり。故に(われ)を信ずる時は、力を与えて汝を王となさん。吾を丁重に祭るべし。洪大なる福祉を与えん。汝は人間に生まれ(きた)れども、人間に非ず、神の化身なり。吾の霊の城なり、宮なり。故に吾の霊と汝の霊とは一体なり、一心なり。霊の因縁によりて汝を神の神とし、王の王と()さん」なぞと、不完全なる霊性を有する神主に向かって、日夜に説き(さと)すあり。信仰弱きものは、直ちに迷わされ、ついに厳正なる審神者を()むに至る事あり。胆力無き信心は、かえって恐るべき結果を来たすなり。
 またあるときは、「改心すべし、信心すべし」なぞと善言を吐いて生来の悪を包まんとす。故に表面上より見る時は、邪神はかえって善神よりも善なるが如くに見ゆるものなり。最も注意せざるべからず。
 余は今回の修行中において、実地に接触したりき。されど、その果実を結ばざるが故に、邪神なりし事を知了し得らるるなり。
      同年同月二十同日追筆
 またある時は、「天地が()えるから、人民が一分になるから、一日も早く神に祈れ。(われ)に従え。大洪水が出る。泥海に、この世が今なる」なぞと恐喝を試むる事があった。
 またある時は、泣くもあり、笑うもあり、怒るもあり。その(さま)は千差万別にして、一々筆紙のよく尽くし得べきところではないのである。
 
   大正十四年十二月二十二日
      大阪辰巳氏所持のものを写す
         於大本史実課 成瀬勝勇 謹写
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