大正八年十二月九日
[#次の部分は史料集成では抜け落ちている。ここから]
『本年五月十日(大正八年)伊勢御礼参拝の途次、数名の随行員と共に東都に上り、某氏の手より、魔素の陰謀シオンの決議書を手に入れ熟読すれば、故教祖の御手を通じて国祖国常立尊の予告し、警告し玉ひし、外国の悪神の秘密計画書にして、神諭の所謂「外国から廻ってきた筆先」であることを知って非常に驚倒すると共に、注意周到なる大神の天眼通力に感服せざるを得ませんでした。神諭に石屋の陰謀とか、我が在るの悪計とか出て在るのは、即ち魔素(マツソン)秘密結社の事を示されたものである。吾人は天下の形勢に鑑み、慎重の態度を採って赤裸々に発表することを見合せて居ったのであるが、時機の切迫と共に東京の「公論」という雑誌に、弥々今回発表されて了ったから、有志の諸君は同誌を一部購入して、明治ニ十五年からの大本の神諭と、対照されたならば、実に大本大神(国祖大神)の数千年間の御苦心と、故教祖の天下無比の神格者で在った事が首肯される事と思ふのであります』
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月日の駒は矢の如く、已未の大正八年も余す所僅に二旬、其間に於げる神界の御経綸の進展は、到底現界に於いて窺知する事の出来ぬ大々的飛躍を来して居るのである。神界は兎も角、現界に於ける社会の大変遷は既に已に、俗世間の人々にも歴然と判明して来た。吾人は大正九年庚申の春を迎るに際し、過し一年間の皇道大本の事業発展の大略を記述し、以つて一陽来復の春を待ち、更らに大に天下国家の為に大活動を為て見たいと思ふのであります。
先づ第一着手としては、一の経綸の天王平なる惟神真道弥広大出口国直霊主命の、永遠に鎮り給ふ奥津城の拡張で在つた。附近敷地の買収拡張に加へて、稚姫神社の新築、奥津城の石造玉垣の完成、高くして太き石造の鳥居、同石造の大燈台の建立等は、顕著なる大本事業の一端である。来年は弥拝殿の新築に着手さる丶事と成つて居るので、成功の上は、天王平の山上、大偉観を呈すると共に、神威は弥益々に発揮さるる事と拝察さる。
次に金竜海岸に於ける竜国神社と、三柱神社の建設に、蝸牛洞入口一棟の新築、金竜銀竜二名馬の奉納あり。厩舎の新築又再築、教祖殿の完成に、金水寮の増築、黄金閣の落成、四百四十四坪の五六七殿の建設、大日本修斎会本部の新築、印刷場の建設、教主殿副殿、神饌所、大倉庫、物納小屋、寄宿舎第一号より、第五号迄の設立等、非常な経費を要したにも拘はらず、何の故障も無く竣功したるは、神力の無限絶大なるに感謝する次第であります。
神界の経綸場所なる、三万五千坪の本宮山を始め、亀岡城趾の一万六百坪、綾部に於ける十数ケ所の地所、家屋買入れ等、数万坪の敷地の拡張に因り、来年度の諸建造物は、巨多の経費を要する事と思ふ。就いては皇道大本の事業に対して、会員諸士の大奮発を希望する次第であります。
次に教祖御在世中、神務を帯て参拝せられたる伊勢の内宮、同外宮、同加良洲神社、出雲大社、元伊勢両大神宮、八重垣神社、神島神社、老人島神社、沓島神社、一宮神社、庵我神社、木村の金刀比羅神社、綾部の七社、弥仙山の金峰神社、中宮、三十八社、游与岐八幡神社、鎌倉八幡宮、肝川の八社、兵庫県の官幣大社生田神社、王仁最初修業の霊蹟高熊山に小幡神社、神明神社等の修斎会員有志の団隊参拝は、実に空前の大盛況で在つて、各地の諸新聞雑誌等が、皇道大本教の示威運動なぞと、書き立つるに至りしを見ても、其盛況を知るに足るのである。
本年に於ける皇道大本の出版物は、第一に浅野会長の『大正維新の真相』に、今井梅軒氏の編輯に由る『神示の日本魂』、王仁著述の『善言美詞』、小牧副会長編輯の『裏の神諭』、浅野、岩田両氏共著の『祝詞釈義』、東京確信会編輯の『大本神諭天の巻』、及び静岡会合所出版の『皇道大本の真体』等、数種の出版物を始め、週刊新聞の『大本時報』神霊界月二回発行等は、皇道宣伝の武器として、非常なる成績を挙げ得たのである。
大本の宝物としては、旭昇石に白竜石、七福神舟遊石、大水晶玉、奇石天降石、十二の鶴石、大白星天降石、馬石、牛石、七十五声の天然笛、天降石の石笛、富士の天然石、鳴石、竜蛇神、竜週石等、無数の神宝が納まり其上七十五声の神鈴二組と、神鏡数面、天然亀石五箇は、永遠不朽に皇道大本の神宝と決定されたのであります。
神界の時機切迫と共に、言霊閣の建築完成し、弥々大本神の御経綸なる、言霊実用となり、第一着として、皇国の中心点なる世継王山に登り、王仁を先登に言霊の実験を遂げ、次いで浅野会長以下、各役員の言霊隊を組織して、近江国伊吹山、大和国大台ケ原山を始め、天之真奈井の竹生島に沖の島、日枝の坂本の宮に游与岐の弥仙山、肝川の割岩山等に出陣し、神軍の一大威力を示したるは、天地開闢以来未曾有の大神事で在りました。其後引続き本宮山上の日夜の実習、各地支部会合所の附近登山実習等は、近き将来に於ける大権威発揚の準備とも曰ふ可きものである。
神界の経綸上、鎌倉に於ける瑞竜園内の瑞祥閣(俗に鎌倉御殿と曰ふ)の開設、次に宝塚附近山本村に於ける祥雲閣(俗に山本御殿と曰ふ)の開設は、大正神政の時機切迫を物語るものである。王仁役員と共に親く鎮魂を修し、将来国家の為に有力なる経綸の霊地たる事を確信しました。
本年一月以来、基督教の信者出口某、及び同教牧師某の中傷的投書より端を発して、京阪神の大新聞及び、各地の新聞雑誌より、妖教邪教の皇道大本教と罵しられしが、却つて神界の御経綸の一端と見えて、其後の皇道大本の名は、国の内外に喧伝せられ、綾部と大本、出口王仁と浅野会長以下、役員の姓名も、普ねく天下に知悉され、為に皇道大本の存在を認めらる丶事と成り、旭日東天に昇るの勢ひを以つて、大本の真価を世間一般に認識さる丶に致つたのは、神諭に所謂「誠の神の教は、俗悪世界には罪悪視されるぞよ。この大本は世間から力一杯悪く言れて、良く成る仕組と」現はれたる神文の実現である。実に神界の御経綸と云ふものは、智慧や学や悧巧では判らぬものであると云ふ神諭の実験をさせられたのであります。それに引続いて二月の廿五日より京都府保安課長の大本内容調査となり、藤沼警察部長の再調査となり、神智明敏なる同部長及び中村保安課長の真解する所と成り、内務省当局の了解と共に、皇道大本の真偽を明白に判断されてから、日に月に進展したのは実に神慮の深遠にして、人間小智の測知すべからざるを、切に感得した次第であります。その頃から我大本内外の形勢は頓に、隆盛の域に向つたので在ります。
加ふるに去る初秋の頃より、皇道大本の発展を嫉視せる二三の脱走者から、頻りに悪罵や讒誣や中傷を加へられ、且つ又乾坤一擲とか、事実第一とかの、反逆的記事を全国に配布せられたにも拘はらず、大本の至誠は天に通じて、一の妨害さへ受けず、弥々益々発展の基礎を固めたる等、人間万事塞翁の馬とやら、益々神徳の発揚を見たるは、実に天地神明の御加護と感謝するより外は無いので在ります。
皇道大本と、大日本修斎会との事務の区別せられてから、王仁の責任は、弥が上にも重且つ大と成れるにも拘はらず、両方共に非常の発展を遂たる而已ならず、皇道普及会の復活、大本後援会の設置、乗馬隊の大活躍、王仁を始め浅野会長以下役員の遠征的大奮闘、東京に於ける大本確信会の活動及び、数拾箇所の支部会合所の増設等、数へ来れば大正弥発展の年の神業は、大本教開設以来の大成功であつた。之全く時運の然らしむる所なりとは謂へ、上は皇大神の御加護と、畏くも上御一人の御稜威の輝かせ玉ふと、大本内外に於ける会長以下、役員信者諸氏の、敬神尊皇報国の至誠の結晶に外ならざることと信じ、年末に臨みて衷心より感謝する次第で在ります。
皇道大本に於ける最も刮目注意すべき事実は、教主の神〔信〕任されし一事で在ります。故教祖の神諭を遵守して、神主二代の出口澄子に教主を譲り、否な返還して、王仁は其の補佐役と成り、自由の天地に活動するの機会を神授されたのも、神界の大切迫を暗示されたもので在ります。
仏説に人寿十歳の時に至つて、弥勒の出現する事を示して在るが、人寿十歳の時とは、現代が将にそれで在る。今日の平均人間の生命は、二十七年何ケ月で死んで了ふ事に成つて居るが、夫れは形体の上にて計算した所の人寿である。仏祖は常に譬喩と偶言と謎言とを応用して説き置かれたので在る。精神的、道義的生命より平均したる人寿は、既に十歳に立至つて居るのである。万物の霊長たる人間としての生命は、十歳を限度として、其の余生は悉皆体主霊従の四ツ足根性に化して居る現代である。亦た末法の世の終りに近づいた時は、人間の身長が毎年一寸宛低くなると示して在るのは、決して形体上の事で無い。併し今日の日本人は、壮丁検査の成績に由るに、十ケ年間に、身長一寸宛低くなり、体量も従つて、年々減じて行くとの事であるが、仏説に示されたる、一年に一寸宛低くなると云ふ事は謎言であつて、毎年小人物の率が殖えると云ふ事で在る。丁度果実の少なく実りたる歳の果物は、数が少ない代りに大きい果実が生り、其味ひも殊更に美しきものであるが、之に反して果実の多く実りたる年は、其形も極めて小にして、且つ其味はひも好く無いと同様に、古は人口も稀薄なる代りに、大人物が輩出して、天下を修斎したものが多いが、現今の如く、人口増殖の結果は、小人物のみ多く生れて、人間としての品格も無く、器量も無く、蛆虫同様の身魂が天下に充満する間は、世は段々と暗黒の淵に沈むより致方は無いのである。
一日も早く天下国家の為に、光明遍照十方世界衆生摂取不捨的の一大真人が顕現して、天の岩戸を押開き、地上に天上の政治を布き、極楽浄土を樹立し、以て皇祖皇宗の御遺訓に奉答せむ事を希求する次第であります。
太陽の本質は、内面暗黒にして、外面は光華明彩六合に照徹す。是れ則ち変性男子の御魂であつて男系である。太陰の本質は、内面明清透澄にして、外面暗らし、是れ即ち変性女子の御魂である。故に夫は家内の事に暗らくして、家外の事に明らかなり。又た妻は家内の事に明らかにして、家外の事に暗らし。故に艮の金神、厳の御魂は外国の事情に明らかにして、坤の金神瑞の御魂は、国内の事情に明らかなり、宇宙の経緯、神誓神約の神妙なる、実に感歎の外は無いのである。
月の像の御簾の内、日に日に変る世界の大本は、人民では見当の採れん仕組が致して在るぞよと、故教祖の神諭に表示されて在る通り、実に大変化の多いのは、地の高天原なる陸の竜宮館の神の御経綸で在ります。
第一に教主の更迭は、変化の最も大なるもので在る。次には大本教と修斎会との関係の改革であります。今日までは皇道大本の事務院たる大日本修斎会の役員の任命は、会長、副会長、顧問役に限り、教主神勅を奉じて任命する規定であつたのが、教主の神任と共に、総ての役員職員は、教主第二世の名に由りて、神任さるる事に成り、制度も多少の改変が行はる瓦事に成りましたから、神定の役名及び職名を茲に発表致しておきます。何れ来春より実行さるる事と思はれます。
皇道大本の役員としての階級は、左の九段に神定されました。則ち、
大教統 権大教統 教統 大教監 権大教監 教監 教諭 訓導 権訓導
次に大日本修斎会の職員としての階級は、左記の十段に神定されました。則ち、
総裁 副総裁 会長 副会長 顧問 会監 参与 督事 録事 出仕
皇道大本の神界主脳者の名誉階級として、左記の三段に神定さる。
(「神霊界」大正八年十二月十五日号)