これも大阪控訴院の第二審における審理中のことです。
裁「お前の作歌の中に『伊都能売の神と現れたるひとの子を神懸れりと思ふ痴人』、また『我もまた生神の名は好まねど天地の仕組いたし方なし』という歌もあるようじゃが、お前は教団の中で生神になっていたのだろう」とたずねられると、
王「裁判長、私は生神さまにはコリゴリしていますから、夢にもそんなことを思ったことは御座いません」と言うので、裁判長が、
裁「生神にコリゴリしたというが、どんなことがあったのか」
王「ある年、名古屋の田舎の信者が、私に一度来てくれというので行ってやったことがありました。向こうへ着くと、汽車の旅でくたびれただろう風呂を沸かしておいたから早速這入って呉れというので、案内して貰うと、庭のド真ん中にわざわざ風呂桶を持出して、青天井で沸かしている。私はこの地方では珍客の待遇には斯様にする風習があるのか、と思って野天風呂に這入って身体を洗いかけると、信者の婆さんやら、女房やら娘やら二三十人もゾロゾロ出て来て、背中を流して呉れるのなら一人か二人で沢山な筈だが、エライ大勢出て来たものだなア、と思っていると、流して呉れるのでなくて、みんな拍手を打って高天原の祝詞を風呂桶を囲んでやり出したのです。私は妙なことをする奴等だと思いながら一人一人の顔を見廻していると、どうしたはずみか私の前にある塚原ト伝の一刀が頭を持ち上げてしまった。私は驚いて早速手拭で一刀の頭を押えて、早く静まって呉れないと身体を洗うことも出来わせんと案じていると、その祝詞がまた馬鹿に長くかかる。風呂の下はドンドン燃えているので、お湯が沸いて来て尻が熱くなって来る。尻を持ち上げると突っ立っている一刀が暴露してしまう。尻を下げれば熱くてやり切れん。文字通り上げも下ろしも出来ぬことになって、私は実に九死一生の目に遭わされたのですが、なかなか生神さまなんぞに成れるものではありません」
王「まだ困ったことがありました」と言う。よせば良いものを裁判長もツイ釣り込まれて
裁「今度はどんな事で困ったのか」とたずねられます。
王「ある時、幹部二人連れて岩手県の某所へ宣伝に行ったことがあります。晩の食事時分になると、その家で私の坐っている前へ、次から次へと、神様にお供えするようになま物を盛ったお三宝を、二三十台も並べるのです。私は、ハハア神様のお祭りをするつもりで、お供え物の下検分を」て呉れ、というところかなと思って、煙草を喫みながら見ていると、今度は私の両側に坐っている幹部二人には二の膳付の御馳走を並べ出したので私は、自分のは一番後から特別あつらえの上等な御馳走を出して呉れるのかと思って待っていると、そのまま何にも出ない。そしてその家の主人が『どうぞおあがり下さいませ』と挨拶するから『ワシには飯を食わさんのか』というと、主人の曰くには『アノー、生き神さまでも御飯を召上りますか』という。生神にされると飯も碌々食べさして呉れません。こんなわけで、生神さまには懲りていますから、私は毛頭そんな気にはなれません」と真面目くさって答弁し、裁判長はただもうあきれてしまったといいます。