霊界物語.ネット~出口王仁三郎 大図書館~
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四方平蔵「聖師様御参綾と十曜の神紋」

インフォメーション
題名:四方平蔵「聖師様御参綾と十曜の神紋」 著者:四方平蔵
ページ:
概要: 備考: タグ: データ凡例:『真如の光』昭和3年(1928年)11月25日号、95~105頁掲載の四方平蔵「御神徳談」の一部分。96~99頁「聖師様御参綾と十曜の神紋」という見出しの文章。 データ最終更新日:2025-12-12 13:10:53 OBC :Z9056
 (わたくし)は本当の信仰とは一心(いつしん)になつて神様を表に出て頂くやうにする事だと思ひましたが然しそれに(つい)ては如何(どう)しても其(すぢ)の許可を得なければならぬと考へました。けれ(ども)(わたくし)商人(あきんど)の事でもあり(その)(やう)な事には目も見えず、経歴もないので幾度(いくたび)(とどけ)を出しましてもお取上(とりあ)げにならぬ(ばか)りでなく人々からはホーケて居るとか気違(きちがひ)だとか笑はれましたが其様な事は一向平気で、兎に角神様に表に出て頂かねばならぬと一生懸命になつて居りました。
 其()間もなく(明治三十一年六月十六日「大本年表」では王仁三郎の最初の参綾は明治31年(1898年)10月8日(旧8月23日)になっている。八木の茶店で福島久子と出会い開祖の話を聞いたのが旧6月(日付不明)なので、それと混同したか?裏町(うらまち)へ聖師様をお迎へして帰りましたが、帰る途中で種々(いろいろ)聖師様からお話を聞かして頂きましたので、()の人(聖師様)が本当に御苦労下さる人で神様のお(ちから)になるお(かた)だと内々信じて居ました。又聖師様さへお越し下されば警察のお咎めもないやうになるに違ひないと思ひました。
 (いよいよ)聖師様が御越し下さつて続いて御在綾(おいで)下さる事になりましたに就きましては、今迄の土蔵(くら)では狭くなりましたので中村竹蔵氏の家を借つて神様を祭る事に致しました。勿論お祭りするに就ては何彼(なにか)と聖師様の御指図をいただき教祖様の御命令に従ふて準備をいたして居りました。聖師様が御越し下さつて斯様(かやう)に進んで来たなり、初めてのお祭りをするのだから、お祭りには高張(たかはり)一対(いつつい)新調したいと(わたくし)は思ひまして教祖様に其(もん)如何(どん)なに致しませうかと伺ひました処、教祖様は
「金光さんの紋はヤツナミ金光教の教紋を「八波(やつなみ)」と呼ぶ。大円の周りを小さな半円が八つ波のように囲んでいる。ぢやが(わたし)の紋は九曜だけど」
仰有(おつしや)いましたので私はそれでは九曜に致しませうかと申上げますと教祖様は
「そうして貰ひませう」
と仰せられますので、(わたくし)山家(やまが)へ帰りまして提灯屋へ註文致しました。
 (いよいよ)お祭りの当日になつて提灯が出来て来ましたので(あらた)めて見ますと九曜の紋を依頼して置いたにも(かかは)らず十曜の紋になつて居ります、さあ之は申訳(まをしわけ)のない事だと心配しながら教祖様に(この)(よし)を申上げますと教祖様は
「御都合の事でせう、神様にお伺ひ致しませう」
と仰有られて神様に御伺ひされた(のち)
「やはり御都合があつて神様が十曜にさせなさつたのであるそうです」
(うけたま)はり私も胸を撫でおろし皆で喜んでお祭りをさせて頂きました。
 翌日、教祖様は神様から伺つたとて十曜の紋の意義を次のやうにお話下さいました。
「九分と一分との(たたかひ)とも言へるし、又出口の紋は九曜であつたが聖師様がお越しになつて初めてのお祭りから聖師様を加へて十曜になつたとも言へるし、又今迄の九分の御守護が十分になつたとも言へる。今迄天と地とが別れて天は九分になり、一分は地に落ちて居られたのが、神様でも(ぎやう)をなされて高い神様からお(ちから)を戴いて天に(のぼ)り和合なされて(いよいよ)十分の御守護になつたとも言へる……と種々(いろいろ)に神様が仰有(おつしや)います」
と教祖様から(うけたま)はりまして、私もそんな御用なら実に結構な事であつたと喜んだ次第であります。それから(のち)教祖様も聖師様も役員達まで十曜の神紋を羽織などにつける事を許して頂いた事もありました。
 (なほ)(せつ)教祖様は
「因縁はよい事(ばか)りではない。神様でも別れたり、合うたりする事もあります。こんな事も先になる程(わか)つて来るが、兎に角世界にある事は大本に総てあるから、よい事が出来ても悪い事があつても腹を立ててはなりません。皆都合の事ぢやで」
と教へられました。
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