霊界物語.ネット~出口王仁三郎 大図書館~
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皇典釈義 3/5

インフォメーション
題名:皇典釈義 3/5 著者:出口王仁三郎
誌名:神霊界 掲載号: ページ:16 目次メモ:
概要: 備考: タグ: データ凡例: データ最終更新日:2023-04-15 22:35:50 OBC :M192919180815c013
第十五節 大八洲極徳 大祓の祝調解
⦿天(かさな)なるは(うごく)、火重なるは(すすむ)、水重なるは退(しりぞく)、地重なるは(とどまる)也、天の下に火あるは(をさまる)、之に反するは(すたれ)、天の下に水あるは(たもつ)、之に反するは(うしなふ)、天の下に地あるは(やすし)、之に反するは(あやふし)、火の下に水あるは(しづか)、之に反するは(あらそう)、火の下に地あるは()、之に反するは(うしなふ)、水の下に地あるは(をこる)、之に反するは(みだるる)也、(きみ)(かみ)(あり)大臣(おほみ)下に在るは治、之に反するは廃、君上に在り小臣(をみ)下に随従するは存、之に反するは失、君上に在り(たみ)下に在るは安、之に反するは危、大臣上に在り小臣下にあるは閑、之に反するは争、大臣上に在り民下に在るは得、之に反すは亡、小臣上に在り民下に在るは興、之に反するは乱也、この心を(ことごと)く体する者は神也。
天照大御神の大御(おほみ)和霊(にぎみたま)を、動止進退『身之極也』、安危閑争『心之極也』、治乱興廃『国家之極也』と申す『第十一節参照』この大御神の(おほ)和霊(にぎみたま)を「地球中心之洞(あめのいはと)」に収め玉ふが故に、世は暗黒と成る也、(これ)を引き出し(たてまつ)る事を知らざる時は、諸災(ことごと)(をこ)り、悪魔は(ほしいまま)に横行を(たくま)しくする也、「古事記爾高天原皆暗葦原中国悉闇因而此常夜往於是万神之声者狭蝿那須皆満万妖悉発」然るに、之の大和霊を惹き出し奉らば、世は忽ちに明け渡りて昭々赫々として億兆万有皆悉く正道を歩する事を得べき也。須佐之男命が、天照大御神に対し奉りて、犯されし罪が大なる罪悪の如く謂はるるは、専ら天地の経綸を紛して宇宙の間に大妖気を起さすべき御行為なりしが故也。天照大神も、非常の御立腹にて、遂に天岩戸ヘ隠れさせ給ひし也、天岩戸隠れとは、天地間の経綸が紊乱したる為に、世が闇黒界となりし意味也、今日にでも常に経綸の本が乱るれば世は闇黒界となる也、故に罪悪の最も大なる者は、経綸を乱す事也、経綸を紊す根本は、天地間を統理します唯一至尊のまします事を知らず、その大御法則を知らぬより起る也。大御法則とは一切の諸法悉く唯一大至尊の御働きに外ならぬ大八洲の真正極則を知ると否とに在る也。天に行はるる事は地に行はれ、天地に行はるる事が人にも行はる。故に霊神は其の大なるや天地に充塞して残す所なく、其の小なるや微塵も(また)之を宿す事能はず、故に人体を究めて天運を知り、地上の霊動に(かんが)みて人身の修治を識る事を得る也。令義解曰「鎮安也」言ふ心は離遊之運魂を招きて身体の中府に留む。
大祓詞の後段は地球組織の新陳代謝を述べ、地球生存の大理を説きたる者あるが、この地球経営の御神事は、同じく微なる人体にも宿つて、始終御経営遊ばし且つ愛護を垂れ給ひつつある也。『高山(たかやま)(すえ)短山(ひきやま)之末与利(より)佐久那太理(さくなだり)()(おち)多支都(たきつ)速川(はやかは)()(せに)(ます)瀬織津比売()(いふ)大海原(おほうなばら)()(もち)(いで)()()』ここに瀬織津比売とあるは口中の事を申すのにて、歯とか舌とかいふ、食物を咀嚼せる機能を指す事なり、口中にて食物咀嚼の様なり、「如此(かく)(もち)(いで)往波(いなば)荒塩(あらしほ)(しほ)八百道(やほぢ)八塩道(やしほぢ)(しほ)八百会(やほあひ)()座須(ます)速開都比売(はやあきつひめ)()(いふ)(もち)可可(かか)(のみ)()()」ここに速開津(はやあきつ)姫とあるは食道より、胃袋に食物を運ぶ機能なる也。「如此(かく)可可(かか)(のみ)底波(ては)気吹戸(いぶきどに)坐須(ます)気吹戸主(いぶきどぬし)()(いふ)根国(ねのくに)底之国(そこのくに)()気吹(いぶき)(はなち)底牟(てむ)」ここに気吹戸主とあるは、胃袋や腸から咀嚼して出た、乳汁を肺臓に持ち出す事にてある也。「如此久(かく)気吹(いぶき)(はなち)底波(ては)根国(ねのくに)底之国(そこのくに)()(ます)速佐須良姫(はやさすらひめ)()(いふ)(もち)佐須良比(さすらひ)(うしなひ)底牟(てむ)」ここに速佐須良姫とあるは、肺臓にて空気に触れ心臓に帰り、之れより全身に、血脈管に依て、分布せらるる事を申す也。此様に大祓を解すれば全く生理機能を説いて居る事を知る也。天も地も(また)同様の機能に因て有形無形の血液を順環「循環」と同じ意。せしめて活動し居る也。大祓祝詞に天津罪と国津罪とを挙げて之を祓ふべき事を記せるは大なる神事也、天津罪とは天の経綸を阻害し、或は之を紊乱せしむる行為にして、国つ罪とは地上の経綸を紛乱する罪たる也、比喩を以て記述せられし妙文なるが故に、古来正解を加へしもの無かりき。文字通りにては一向に解釈が出来ぬ也。好し出来たりとも卑近にして(はなは)だ拙なし『本文にも誤あり宜しく之を正すべき也』大祓は大は天上地上の潔斎法也、中は人道政事の潔斎法也、小は一身個人の潔斎法也、前に大祓の後段を人身生埋に説く者は最小部に解したる也。地球も(また)人身と同様の生存状態を保てり、宇宙間も(また)同一也。只単に自然物にのみこの生存状態は存するのみにあらず。一国の政事機関も(また)一の有機組織也。社会家庭等皆有機組織を成立する者は常に新陳代謝の自然法に則る大祓の詞は有機組織全部に対する潔斎法也。故に大祓詞を実行する時は、その者即ち健全にして大祓を取り行はざる者は、その者必ず腐敗し、破壊し、不健康状態を恢復する事能はざる也。世に大祓の詞より大切なる神事なき也。大祓祝詞の「科戸(しなどの)(かぜ)()(あめ)八重雲(やへくも)()(ふき)(はなつ)事之如乎(ごとく)(あした)御霧(みぎり)(ゆふべ)御霧(みぎり)()朝風(あさかぜ)夕風(ゆふかぜ)()吹掃(ふきはらふ)事之如久(ごとく)大津辺()(ます)大船()舳解(へとき)(はなち)艪解(ともとき)(はなち)()大海原()押放(おしはなつ)事之如久(ごとく)遠方(をちかた)繁木(しげきが)(もと)()焼鎌(やきがま)()敏鎌(とがま)以底(もて)打掃(うちはらふ)事之如久(ごとく)(のこる)()不在(あらじ)()(はらひ)(たまへ)」と、常に拝誦すべき也。
第十六節 国土成就 体系神々の大慈悲
⦿御体系(地系)の大御成就は、大国主神に到りて、具備完了せし也。大国主神は、宇宙万有有体(たいあるもの)の統主也。故に大国主神の和魂を、大物主神と申す。大物主神、即ち有形一切其儘(そのまま)の御容也。古事記曰「故茲白上於神産巣日御祖命者答告此者実我子也於子之中自我手俟久岐斯子也。故与汝葦原色許男命(大国主神の又の名)為兄弟而作堅其国故自爾大穴牟遅(大国主神の又の名)与少名毘古那二柱神相並作堅此国」底本ではこの漢文には全てフリガナが付いているが煩雑なのでここでは略した。読み下し文は次のようになる。「(かれ)ここに神産巣日の御祖命に白し上げたまへば、答へ()りたまひしく、こは(まこと)に我が子なり。子の中に我が手俣(たなまた)より()きし子なり。(かれ)(いまし)葦原色許男命と兄弟(あにおと)となりて、その国を作り堅めよ、とのりたまひき。故、それより、大穴牟遅と少名毘古那と、二柱の神、相並ばして、この国を作り堅めたまひき」(岩波文庫『古事記』p53を参考にした)。物質の由来は伊邪那美神の後を受け玉ふ須佐之男命に到りて、大凡(おほよそ)其組織完成せられたるを、()ほ大国主神が詳細に結成完備せしめ玉ふ也。道之大原曰「顕界活物者係大国主之所轄云々又曰地主以三元『動、植、鉱の本質』八力『動、静、解、凝、引、弛、分、合』造体而与之万有云々」底本ではこの漢文には返り点が付いているが煩雑なのでここでは略した。読み下し文は次のようになる。「顕界の活物は大国主の所轄に係る」云々、「地主三元八力を以て体を造り、これを万有に与ふ」云々(『神霊界』大正8年(1919年)9月1日号掲載「道の大原」から引用した)。
ゐかなる化学の大学者が出たりとて、この一塊の土塊より絵具の一雫をも製する事は難かるべし。然るに千草万木皆(ことごと)夫々(それぞれ)の花を開き、葉を茂らせて紅紫爛熳の美を呈する者は、何故ぞや。ゐかなる人とても、土塊を噛つて生命を長く継ぐ事は出来難かるべし。然るに土に播く草木に、千粒万顆の果実穀類を稔らしむるは何等の作用なるぞ。須佐之男神が、大気津比売を御殺害ありしと聞かば、皆な人々残酷に思ふならむが、人生必需の糧は、土壌や草木の上に働きます、須佐之男神の御恵与なりとすれば、奈何(いか)に難有く感ずらん『特に身も棄てて吾人に穀類を始め食物を与へ玉ふ、大気都姫の大御慈悲の如き、何とありがたく感涙にむせぶ次第にはあらずや、吾人の需要する所の一切の品物が一つとして神の身を棄て玉ひし、大慈悲の産物ならざるは無し』産み残す児等に、幸多かれ、有体の万有に永存の賜を下し玉ひし御鴻恩。好しや生存の上に無常変化が見舞はれて肉に執着して霊光を織らざる盲児の上に、(おや)うらめしの痛言を聞く事あるとしても、()ほ慈愛の賜として、与へられし美糧に、舌打ち鳴らし、(かつ)は暖に着る事を得るは、奈何(いか)に感謝せざるべからざる事ぞや。若し夫れ進むで天の霊光に接して万有変遷の奥底を看破し生死の巷を霊化して、天国本来の荘厳四囲に(めぐ)る、天の霊楽場に、至大至楽の生涯を永遠に味ふを得たらむには奈何(いか)に人生が尊き者と為るべきか。須佐之男の神の御恩に馴れ着して、八塩折(やしほをり)酒にのみ酔ひしれたる、酔生夢死の輩も(すみやか)に須佐之男の神の御本領を拝受し奉りて、天照る御霊界の永遠至楽の寵児と成る事、実に神々の御請願たるを知れ「八雲立つ」の御歌こそこの義理を陳べ玉ふのであつて、顕界有体の一切は、信仰に入るべく作られて居る也。信ぜよ(しか)らば(すなは)(ただち)に此の霊境に入らるべし。入らるべきが本体也。現在入らずして荒び居るが逆たる也。逆は必ず順に復す。己に天爾本有の大順正界に住す。何ぞ求めて得られざるべき。これ即ち神誓神願たれば也。「八雲たつ出雲八重垣つまごめに八重垣つくるその八重垣をすさのを」といふ、顕界大神(すさのをのかみ)が、末世の児等を呼び玉ふ御声の如何に切なるやを思ふべき也。大国主命は、御祖神の御経営になりし国土を一層詳細に御整理遊ばされたる也。大国主神には、種々の御物語あれど、皆この地球の内外を(ことごと)く整理造営して、完成に達せしめ玉ふ、御振舞たりし也。動物、植物、鉱物に関する諸種の性能の決定せられたるが、皆大国主神の御力たりし也、「此一節は(なほ)詳細を要すべきなれど余りに複雑なるが故に略して陳べず、読者諒之」
第十七節 国土全部の御献上 尊霊卑体 霊体不二
⦿大国主神が、天孫瓊々杵(ににぎの)(みこと)に全部を挙げて、献上し奉る也。此に於て宇宙一君の実就り、霊体二系、相融和して万世不易の皇統、天壌と(とも)(きはま)りなきに至る。古事記曰「問其大国主神汝子等事代主神建御名方神二神者随天神御子之命勿違白説故汝心奈何爾白之子等二神随白僕之不違此葦原中国者随命既献也唯僕住所者如天神御子之天津日継所知之登陀流天之御巣而於底津石根宮柱布斗斯理於高天原氷木多迦斯理而治賜者僕者於百不足八十神者即八重事代主神為神之御尾前而仕奉者違神者非也如此之白而乃隠也」底本ではこの漢文に全てフリガナが付いているが煩雑なのでここでは略した。読み下し文は次のようになる。「その大国主神に問ひたまひしく、「()子等(こども)、事代主神、建御名方神の二柱の神は、天つ神の御子の(みこと)(まにま)(たが)はじと(まを)しぬ。(かれ)()が心は奈何(いか)に」と問ひたまひき。ここに答へ白ししく、「()子等(こども)、二柱の神の白す(まにま)に、()(たが)はじ。この葦原の中つ国は、(みこと)(まにま)に既に献らむ。ただ()住所(すみか)をば、天つ神の御子の天津日継(ひつぎ)()らしめす、登陀流(とだる)(あめ)御巣(みす)なして、底つ石根(いはね)に宮柱ふとしり、高天原に氷木(ひぎ)たかしりて治めたまはば、()(もも)足らず八十(やそ)坰手(くまで)に隠りて(さもら)ひなむ。また()子等(こども)(もも)八十(やそ)(かみ)は、即ち八重事代主神、神の御尾前(みをさき)となりて仕へ奉らば、(たが)ふ神は非じ」と白しき」(岩波文庫『古事記』p63を参考にした)。この漢文は古事記からの引用文だが「百不足」と「八十神者」の間が抜けている。本来は「百不足八十坰手隠而侍亦僕子等百八十神者」になる。また「乃隠也」の3字は本来は無い(岩波文庫『古事記』p236の7行目以降)。
大国主神が、天神の御子孫に、国土の全部を挙げて譲りたまひし一体事件「一大事件」の誤字か?が天地一体の上に超然たる全一天至尊の御思召ある所以にして是の事ありて(はじ)めて天国の一大経綸が統一和合して万世一系、天壌無窮の皇統が成立したる根本たる也。若し大国主の神にして、天神に国土の一切を挙げて御譲与なかりせば、世は永遠に霊と肉との紊乱争闘を以て終るべかりしに、この事あるは天理の然らしむる所なりとは謂へ、実に神約の妙幽なるに驚かざるを得ざるなり。大国主なる地上一切の主が、天照神に国土の全部を譲り給ひし事が、我等に永遠不窮の生命を与へ玉ふ根本であつて、我等は天壌無窮に栄えます。大御神の民たるが故に我等も亦大御神の如く永遠の生命に入る事(うたがひ)なき事証とはなりしなり。我等が尊霊卑体の本義に帰し、宇内一君の御統治の下に国民(天民)と成りし時、爰に永遠の天民が永遠的御経綸の御作業を扶翼し奉る事とはなる也。尊霊卑体の本義を実行する事は容易の如くにて、其実、頗る難き事也。大国主神の国土献上も容易の如くにて、古事記の本文に依れば、或は天菩比神を遣はして成らず、或は天若日子を遣はして成らず、更に雉名鳴女を遣はして成らず、高御産巣日神、天照大御神の御苦心も度重なりて、最後に建御雷神を遣はして、(やうや)く成功したる也。但しこの御成功は、世の常の成功ならざる事を注意せざるべからず。この御成功は根本的の成功にして、永遠不易の大成功なりし也。「爾答白之僕子等二神随白僕之不違此葦原中国者随命既献也唯僕住所者如天神御子之天津日継所知之登陀流天之御巣而於底津石根宮柱布斗斯理於高天原氷木多迦斯理而治賜者僕者於百不足八十隈手隠而侍亦僕子等百八十神者即八重事代主神為神之御尾前而仕奉者違神者非也知此之白而乃隠也」前の古事記の漢文と同文。かく確実なる永遠に易らざる、御盟約が成立したるなり。茲に尊霊卑体といふ事を真解せば、天地一如の上には尊霊卑体といふ事無し、霊肉不二たる也。但し肉身のみを大切にして霊光を忘却する者は罪悪常に其人に伴ひ、霊のみを尊みて肉身を忘却するものも亦誤解たるを免れず。世人は多く肉身に執して、天地本来の神約を知らざるが故に、特に茲に尊霊卑体の語を用ひたる也。国土を天神に譲りし大国主神は何処へも去りしにあらず。(すなはち)隠也(かくれにき)とある事情を善く承知すべき也。国土の相は譲りし前も後も、替らざりし也。天神に奉りし儘の大国主神たりし也。大国主神の御名は無からむ。されど其相は、大国主其の神の以前に異る所なき也。我等が天民と成るも、亦此と一理也。我等は我等の六根不浄の時の儘が、天国に入りても同様の相にて変らざる也。霊光の下に照らさるる以前の儘の我等が、即ち天国霊界の天民たる也。これ即ち尊霊尊体天爾不二の一大霊界たる故也。
第十八節 天地御経綸の完備
⦿天孫の御宏業は、神倭(かむやまと)伊波礼毘古(いはれびこの)(みこと)に到りて、成就完成の域に達せり。古事記曰「故如此言向平和荒夫琉神等退撥不伏人等而坐畝火之白柏原宮天下也」底本ではこの漢文にフリガナが付いているが煩雑なのでここでは略した。読み下し文は次のようになる。「(かれ)、かく(あら)夫琉(ぶる)(ども)言向(ことむ)平和(やは)し、(まつろ)はぬ人(ども)退()(はら)ひて、畝火(うねび)白橿原(かしはらの)宮に()しまして、(あめ)(した)()らしめしき」(岩波文庫『古事記』p87を参考にした)。云々。()れ神倭伊波礼毘古命と申す御名の意は、倭の国の君として万世不易に幾々幾々幾々却の大御代を立ち変り受け継ぎ継ぎて(しろ)しめし玉ふ也といふ(こころ)也。後世、神倭伊波礼毘古命に、神武天皇と申す漢名を奉りて、御一代の如くに思ひ誤りたるは、痛く古義に背けり。『此義の詳細を要すれど今回は之を省略す』
第十九節
⦿万世一系の皇統極東の霊地に礎を鎮め玉ひて天壌無窮に御代治めしめ給ふ焉
第二十節 三次の御付属
⦿(ここ)に、宇内統理の大権を付属あらせられし事、三度なりき。即ち第一次は天神(あまつかみ)(もろもろの)(みこと)以詔(のりもちて)、伊邪那岐命、伊邪那美命、二柱神に国土修理固成の大権を付属し玉ひ、賜ふに天沼矛(あめのぬぼこ)を以てしたまひ、第二次は、伊邪那岐命が御頸球(みくびのたま)()玉精(たまのを)母由良(もゆら)()(とり)由良迦志(ゆらかし)()、天照大御神、高天原統理の大権を付属し玉ひ、賜ふに御頸珠(みくびたま)、名、御倉挙(みくらたな)之神を以てし玉ひ、第三次には、天祖が、葦原(あしはらの)中国(なかつくに)を其皇孫瓊々杵(ににぎの)(みこと)に授け玉ひ、統理の大権を付属し玉ひ、賜ふに八咫(やあた)(かがみ)を以てし「此之鏡者専為我御魂而如拝吾前伊都岐奉」底本ではこの漢文にフリガナが付いているが煩雑なのでここでは略した。読み下し文は次のようになる。「これの鏡は、(もは)ら我が御魂(みたま)として、吾が前を(いつ)くが(ごと)(いつ)き奉れ」(岩波文庫『古事記』p66を参考にした)。と詔り玉ふ。この三次の御付属は宇内一君の御系統を立証し、万世不磨の大権所有の大君主を、立証したる御神事也。尊哉、畏哉、大権三次の御付属や。
第二十一節 神宝の真意義
⦿大権付属の際には、常に賜物ありし也。第一次の天沼矛(あめのぬぼこ)第二次の御倉板挙(みくらたなの)神。第三次の八咫の鏡『第二次は鏡に添ふるに剣と玉とを以てし玉ふ』この三種の神宝は、宇内統理の大君主が、常に所持して、修理、固成、統治、経綸、顕正、尊祖の本義を実行し玉ふ所の大御(おほみ)(たから)也。特に第三次に於ては宇内統理の主として、最後に降し玉ふ君なるが故に、鏡に添ふるに剣、玉を以てし玉ふ也。御神慮の(ほど)察し奉るだに畏き極みなり。三種神器の伝はります所に、即ち大統御の御君権は在る也。八阪瓊玉は大日本国至尊の大御霊体を示し、草薙剣は大八洲国至尊の大御真道を示し。八咫鏡は大日本国荘厳の大御(おほみ)霊境(くにがら)を示し玉ふかと拝察せらる。この三種神霊の照り照る上に大日本国の教は成立する也。
天上に於ける宇内一君の真実義を、地上に伝へて万世一系の皇統が()しますのは、地球上何国だらう。(しか)して宇内一君たるその一君が、全宇内の一切(ことごと)くの総本家であるといふ、宇内家族制の真実を、地上に伝へて居るのが、何国だらう。宇宙即皇室界であつて、皇室界の臣民は、悉く皇室の分家分身で、この分家分身の一切が営む作業が、一皇室の作業たり経営たるに外ならぬといふ真意義を、地上に在つて現実に顕示し、その義の如く行はれて居るのは、何国だらう。一国の君がこの国全体の主君であり、大祖宗より継ぐ所の宗家であり、一国の師表たる三徳具備の国が、地上に(ある)だらうか。天に在す、大御神が有し玉ふ、権威の剣と、慈愛の玉と、明智の鏡とを地上に伝へた国は何国だらう。かく天皇の霊威が国土とその国王とに使命を下して、(はるか)に天上より絶大の冥護を垂れ玉ひ、皇天の稜威を(ただち)に地上に移して万有の主鎮たる権威を垂れ玉ふ国柄は、日本国を置いて他に決して見る事(あた)はざる也。
日本国の宗教
大日本国の教は、皇天皇土を通じて永遠不変の大道なるが故に彼の死後の未来を希求せるやうなものとは等しからず。現在を永遠の内に宿し、永遠を現在の(うち)に宿して、一行一動神誓神力を発揮して、不窮の行為が永遠不窮に日嗣(ひつぎ)の御代を受け保ち行く也。故に常に「遠神(とほかみ)()()め」也。彼の戦場に於て兵士が戦死せる際に、(はるか)に皇土を拝して「天皇陛下万歳」と呼ぶ=この「天皇陛下万歳」の声が、ゐかに勝れて尊きぞ。天皇陛下万歳の裡に、大日本国の宗教は含蓄されたり。過去未来を通じて永遠に響く終焉の一語の中に、不窮の大意義ありて、遙に皇天を拝して、地上の民が「遠神笑み玉め」と申し奉る時に、何処にか国と国との戦闘があらう、民と民との戦闘があらう。人と人、物と物、あらゆるもののさやぎは、一切息んでしまつて、天下豊穣の瑞穂国は茲に現出すべき也。芙蓉の峰高く雲表に聳えて四海の水脚底の巌を洗ひ、仙島東海に浮ぶが故に山河草木の為に霊気を吐く。(()())(()())たる天与の国土=風にリウ喨嚠喨(りゅうりょう)の音楽あり波に千古の歌謡が宿る。瑞霊徂来(そらい)して天羽空に(ひるが)へり、万朶(ばんだ)千朶(せんだ)の春の花、錦綾を(しとね)に敷くか秋の紅葉、伸びては頭を北海の氷に枕し、脚を熱帯の潮に洗ふ、腸に琵琶の天井を包みて背には蜿々(ゑんゑん)たる龍峰の()すあり、此の天与の霊島には悉く霊跡霊地布満され、神声密語遠く神代の(いにしへ)より伝はり、永遠に大芳香を焚いて、四海の内外を薫化しつつある也。
水茎文字
(ここ)に最も我国の霊跡として国民の記憶すべき一つを挙げんか、天高く気澄みたるの日、近江国蒲生郡岡山村なる水茎(みづくき)の岡山に登りて、湖面(はるか)に沖の嶋を(のぞみ)見るべし。深碧(しんぺき)の水面、宛然(さながら)、鏡の如くして、細波すら立たざるに、龍神の吐息するにか、水神の相語るにか、碧縁の鏡面にさながら描き出さるる不可思議の波紋、現じては消え、消えては(また)現す、白色の線条かくして深碧の水上に文字を描く、これ即ち水茎文字也。水茎文字は、天地自然が描き出す。神工神技に成りたる美妙文字也。この文字や、その組織深遠にして、その整然たる結構超然として比類無し、水茎文字の結構は、天津(あまつ)神算木(かなぎ)に因りて、初めて解し得べき者にして、その成立の奥底を為す物は、即ち宇宙大経綸の根元より出づ、永遠の太古より()くして湖面に昼夜文字を描きつつ神秘の端を示し玉ふぞ神国たるの御(しるし)なりける。
第二十二節 神代史研究者の態度
⦿我国の神代史を研究せむと欲せば、先づ退て、絶対大威力、大神通之力の霊動霊作を信ぜざるべからず。天爾に存在する無上至宝の神典を解するに(いたづら)に浅智凡慮を以て為すべからず。
神様といへば、異装の人体を想像し、先入主となりて偶像教に近く神事を解釈し、(あるひ)は常識のみを基として神典を卑近の史実に解して神変霊動の存在を認めざるあり、古来真実に天地を達観し顕幽を一呑し、時間と空間とを超絶し、永遠一貫の史実して神代史を解く事を得ざりしは、真に痛嘆に堪へざる所なり。全一の大神、即ち至大天球の中を(ことごと)く一身と為し玉ふ、大御神の御分身の神々の御素性、(ならび)に御動作等は、古事記の上に明示されたり。此等(これら)の八百万の御分身の神々は、奇魂、荒魂、和魂、幸魂を夫々(それぞれ)に御所持あつて、大々的御神業を営み玉ふ也。されば奇魂の御作用には、天も為に動き応じ、荒魂の御作用には火も為に動き応じ、和魂の御作用には、水も為に動き応じ、幸魂の御作用には、地も為に応ずる也。教を信じて之を実行する者には此等の神々昼夜に之を守護し玉ひ、之に反する者は、此等の諸神常に怒を為して、この人を罰する也。我国を祭政一致の国柄と称ふる本意義は、(ここ)にあり。大日本国に(おい)ては政事即ち宗教にして、宗教即ち祭事也。祭事即ち国土を清めて大麻柱(おほあななひ)『此解後に在り』の経綸を完成円備する事にて、皇道大本(あきらか)に了得せらるる也。人道の紊乱(ぶんらん)が即ち天道の変動を来たし、君臣の乱離顛倒が即ち天変地妖の源を為す因と為る也。君主臣民に対応して天地火水の感応する事、天機妙用の恐るべき神約ならずや。天地火水と奇魂、荒魂、和魂、幸魂の詳細なる関係、(ならび)に宇宙万有の間にこの四大四魂の活動する有様、生物無生物、有形無形の間に、神徳神業の(はた)を織ります御経綸の詳細は、容易に説き尽す事(あた)はざれど、大神業の御発動は天地を掌中に(もてあそ)び、万有を指先にて動かしめ給ふ也。顕幽生死の界を自由に往来し、水火の間を自在に出入し給ふ御作業は、遂に微けき人間の心を畏怖せしめて、天籟(てんらい)直伝の神典を見るに、卑近の人事と解するに到るは嘆きても嘆くべき事也。日本の古代史に於ては神と人との境目が確然とせない。日本の神代史は到底解すべからざる者だ等と()つて居る学者あり、こは口(をし)き事也。かく神と人との区別の分らない程に、日本国は神に近接したる天国に接近したる国なり。大至天球之中を所領します神ながらの血統が、人と神と区別のはつきりせぬ(ほど)接近したる点に於て(しか)と結合し居るが、日本国たるなり。
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