杉田 『人間でも喧嘩したら、出来るだけ怒って言いたい事を言ってしまったら良くなりそうに思いますが、良くないんでしょうか』
聖師 『それはならん。一遍そんな事があると表面は丸くおさまっているようでも、何かあると、その事が現れて来てひどい目に合わされるものや。白紙に墨がついたようなものやから、なんぼ洗うたかて駄目や』
林 『ケンカも夫婦ゲンカは、夫婦は前世において仇敵のため、神の恵みによって夫婦となり愛欲のキズナにしばって云々という事を耳にした事がありますが、そんな因縁でやるんですかなア』
高見 『大いに研究されてますなア』
(笑声)
聖師 『そんな事あるものか、夫婦喧嘩は犬も食わんと昔から言うくらいで、仲裁にも入るもんやないくらいのものや、そんな馬鹿な事があるものか、これは親子よりも仲の深いもので、西洋人が言っているように夫婦の間というものは親しい因縁の多いもんや』
林 『夫婦は前世で仇敵だったというような事は、では嘘なんですか』
聖師 『そうやとも、嘘に決まっとるわい。夫婦というものは子にも話せん事でも夫婦は互いに話し合う。子でも大きくなると遠慮せんならんくらいやないか。夫婦は本当の相談相手で親よりも親しい間柄のもんや。すべてまさかのとき本当の力になるのは夫婦ばかりじゃないか。夫婦相和しなんて言わんかてチャンと相和するように出来ているじゃないか』
林 『夫婦相和しというのは、そうなんですか、チャンと和合するように生理的に出来ているんですな』
高見 『こいつ馬鹿な事ばかりぬかす奴だなア』(笑声)
聖師 『それは互いに喧嘩せんよう仲良うせいという意味でいうたものや。始めから、融和するのが本当なんだ。しかし夫婦にも精神的夫婦と形式的夫婦の二つがある。本当の心と心が合うておらん夫婦があるがそれは無理に引っ付けたんで本当の夫婦じゃない』
井上 『そういう因縁なんですか』
聖師 『因縁じゃない、地位とか名誉とか財産とか義理とか人情とか、いろいろの事にからまれて自分の本心を次にしてしもうた罪や。それは自分のつくった結果や、自分の蒔いた種を大きく成長さして自分が刈り取る事と同じ事や』
中井 『喧嘩でも色々種類があると思います。
文王一度怒って天下治まる。ああいう式の喧嘩はいくらしたっていいと思います』
聖師 『それは公憤というものや、喧嘩やない』
中井 『その公憤です!
公憤で喧嘩するんならしたっていいと思います。
一体喧嘩して人にうらまれるというのはその喧嘩が感情の喧嘩、私の喧嘩だからでしょう、公憤ならどんどんやるべしだと思います』
聖師 『ハハヽヽヽヽヽ』
寿賀麿師 『戦争なども公憤の一つだから、いくら殺人しても何ともないんでしょうね』
聖師 『戦争なら誰も怒りはしない、悪い事はどっちにもあるのやから…………戦に行って敵を殺したかてそう恨まれへん、普通の時に人に殺されたらどれほど怒るか知れん、戦で人を殺したかてそう心に感じやへんけど、戦でもないのに人を殺したら夜も昼もそれが心にかかり、うなされて寝られへんがな。戦争に行った時にはどっちか殺される……それで人を殺しても恨まれへんがな……』
寿賀麿師 『戦に行っては正当防衛なんですか、いわゆる敵軍を殺すのは』
聖師 『武士は相身互や』
高見 『戦場では武士は相身互ですなア』
聖師 『それはそうやとも。それについてこういう話がある。エーと橘左近だったかいなア』
林 『橘左近は大石当時の方です』
寿賀麿師 『島と違いますか、左近という名でしたら』
聖師 『七本槍の時の左近や。そうそう島左近や。その左近が賤ヶ嶽の七本槍の時、好敵手なきかと雑兵の中を探して歩いていた。
当時は雑兵は良将と戦う事は出来なかった。大将の首を取ると自分も首をとられてしまうのや。何故かというと身分が違うからや。だから左近も雑兵を相手にせず江州の湖辺を大将を探して馬を進めていた。
すると一人の立派な騎馬武者が草むらの中から現れた。そこで左近は「そこな武士、名を名乗り玉え、われは島左近なり、この辺りで好き敵を探していた、御見受け申す立派な武士と思う、名を名乗られたい」と言うとその武士も「ちょうど良い、今朝より好き敵もがなと探しておったところ、雑兵ばかりにて渡り合う敵もなかったところだ、いざ勝負せん」と名乗りを上げて両方とも馬の上から剣を手にして渡り合った。
しばらくすると左近が「ちょっとお待ち下され」と言う。何をするかと見ていると馬から下りて槍の穂先を湖面で一心に洗っている、そして「実は本日雑兵どもが邪魔致したによってこの槍でついて、これで御身をつくのは失礼じゃと思って洗うのです」と言いながら洗っている。
それからまた馬に跨がって渡り合ったが「もし馬が傷ついたら可愛そう故、馬から下りて渡り合おう」と言って共に馬から降りて勝負をはじめた。
なかなかそれでも勝負がつかず、とうとう日が暮れて目が見えなくなって来た。そこで両方から「いかがで御座る、今日は日が暮れ、もう目が見えぬ故、また明日にしようでは御座らぬか、しかし明日会えるか会えぬか判らぬが、またどっかで会おう、しかし徳川家が勝つか羽柴家が勝つか判らぬ、もしもこれが御縁で貴方の主人が勝ったらどうぞ私を引き立てて下され、また私の主人が勝ったら引き立てて上げよう」と言って別れた。
その後両方とも、うわさもなく長の年月が経ち、左近はお茶の宗匠になっていた。
ある時ある所の元服のお祝いに呼ばれていた。
京都の地で、十五才になると元服という事をやる。それは一度は鎧を飾って、一度は鎧を着てお祝いする。その祝いの席に呼ばれた者は武勇伝を聞かせるという事が習慣になっている。それで左近は「先生一つ武勇伝をお聞かせ下さい、さぞかし勇ましいお話が承れるでしょう」と言われ「私は武勇伝というものは一つもないが、私はかつて本当の武士に出会うた事がある。実は江州の湖辺においてこういう武士に出会いました。名も聞いてありますが、その武士こそ本当の武士です」と言った。
するとそこの主人が驚いて「あの時の武士は貴殿で御座ったか、あれから一度お目にかかりたいと願っておったので御座るが……」と言う。
でよくよく見返すとその武士だったので、「ああ、あの時の御武家は貴殿で御座ったか」と両方で古をなつかしんで語り合った。
そこでそこの主人が「どうかこの家に居って教育係になってくれ」と嘆願するので、お茶の宗匠はそこに財産を分けてもらって隠居させてもらった……という話がある」
中井 『全く古の武士は立派なものだったなア、あの信玄が死んだ時に謙信が食事の箸を落として「好敵手死せるか」と言って歎いたそうですが、そうなると喧嘩じゃなくって芸術ですなア』
聖師 『芸術やとも、古の軍は。謙信が味方をほっといて信玄の所まで一人で行く。すると信玄は陣から出て来て坊主鉢巻をして、そこで大将同志が果たし合いをやるんや』
寿賀麿師 『こんな面白い話があります。信玄が謙信の陣へ乗り込んで「糞坊主どこにいるか」と怒鳴った……信玄は自身が坊主である事を知らなかった』(笑声)
聖師 『その場では、たとえ懐へ入って来たからといって殺さへん。元の本陣へ入って来てからでないと──。そんな事したら武士の恥やから……』
井上 『実際気持ちがええですなア』
聖師 『古の戦は全く呑気や、ヒュウヒュウドンドンジャカジャカジャンと一の谷の戦いでも、まるで絵巻物を見ているようなもんや。白砂青松の浜を白い旗や赤い旗それから長い幟を押し立ててブウブウドンドンジャカジャカジャンの鳴り物入りで立派などこから見ても目立つようにきれいな鎧を着て、金の兜をかぶってやるんやもの、絵巻物とチットも違やへん』
高見 『実際芸術だね』
聖師 『その時の戦から見れば今の戦争はとても野蛮で猛獣の戦やな』
林 『軍も芸術化せねばいけませんな』
中井 『私もそんな喧嘩を一生のうち一遍したいですが、自分も出来てないし、またそんな相手もありませんなア』
聖師 『何をぬかす、ハッハハヽヽヽ』
林 『今の世にそんな喧嘩は望めないな』
聖師 『今の世の中になんか喧嘩の相手はないわい、今、喧嘩しようと思ったら天下を相手にしろ、天下を相手にするより他はない』
(つづく)