何れの国民でも宗教心、即ち何か自分より偉大なるものを幽冥の裡に認めて、之に倚頼信随する心の無いものは在りませぬ、之れやがて宗教の起る原因であります。最も国と時代とに由つて変化の差異がありますけれども、大概幽冥の裡に認めた偉大なる者を神様とか仏様とか名づけて、之に向つて過去を感謝し現在未来を祈求するのは同一であります。
然しながら其宗教の起源を調べて見ると、東西洋の諸国何れも皆人為的のもの而己で、此世界の成り初めから伝はつて来たものでは有りませぬ。或る時代に一個の偉人が現れて其偉人が信仰し実行し布教した事柄が後世へ伝はつて、一種の宗教なる形式を造つたのに過ぎないのであります、斯く申しますと仏教信者やキリスト教徒の人々は忽ち反対し且つ否認して、釈尊は仏であり、キリストは神の独子で有つて人では無いと弁明するでありませうが、歴史に因りますと、世界の事は約五六千年前から伝はつて居ります。そして釈迦は西暦紀元前五百五十七年即ち大正五年を距ること二千四百七十二年前、印度の一王族の子として妻も子も有つた人で、人として生れたものに違ひないのであります。又キリストとても、千九百十六年前に猶太国に於てヨセフを父とし、マリアを母として生れた人に相違はないのであります。従つて其教も世の中途から起つた事は言はずもがなであります。さりながら今茲に其教祖が人であり其教義が人為であるから悪いといふのではありませぬ。勿論教祖は人にしても非常な偉人であり、其教も誠に結構な教でありますが、我国には更に一層結構な教があります。この教は古いことは天地開闢以来、尊いことは自然的神為であつて、教育の御勅語にも之を古今に通じて謬らず之を中外に施して悖らずと仰せられてあります。然るに古今の漢学者洋学者などは、我国には固有の教法が無いから外国に則らなければ仕方がないなど言うてトボケて居ますが、之れは外国の学問のみに目がくれて我国の事を研究せなかつた罪で、今日は丸で暗黒界の状態と成つて居るのであります。尤もこの教則ち斯道は、外教の様に言語や文字を以て伝へたのでは無くて、国家人生自然の間に行はれて来たのであります。元来我国民性は淳朴で無邪気で、外人の如くヒネクレた狡猾な点がない。之は恰も大家の家庭教育のある子は、何事も無邪気で正直で親の命に善く従ひますが、貧乏な教育のない家庭に育つた子は、大声で怒鳴たり打つたりしても服従せず、親の目を掠めて買喰ひをするやうなもので、外人の如きは、古来生存競争の激烈な国に生れて自然と根性が曲つて来たのであつて、人間の性質が狡猾になるに従つて、国家は政治や法律や教育学の諸般の設備の完全を要求されて、遂に今日の如く発達するに至つたのであります。故に支那の老子も、大道廃れて仁義起り智計出て大偽ありなど申しましたが、法律や教育が熾になれば成るほど其国家が紊乱して居る証拠であります。儒教などは、特に人倫道徳に重きをおいて、其論ずる所は実に至れり尽せりでありますが、実行は却々に見ることが出来ず、孔子も、言に訥にして行に敏ならむことを欲すと言つて居ますが、其様には実行は出来なかつたのであります。又釈迦牟尼如来のやうな大徳でも、其弟子を悉く感化することが出来なかつたが為に、弟子等が悪事をする毎に禁制戒律を設けて、遂に其戒律が何百何千と言ふ条項に成つて後世律宗といふ宗派が出来た位であります。
此れを思ふと我国の不言の教は誠に難有いもので臣が『海行かば水つく屍、山行かば草むす屍、大君の辺にこそ死なめ』と歌へば、君は『急ぐなる秋の褥衣の音にこそ夜寒の民の心をも知れ』と詠じ玉ひ、親が『たらちねの親の守りと相添ふる心ばかりは関な止めぞ』と唱ふれば子は『父母も花にもかもや草枕旅は行くとも捧げて行かむ』と和して、君臣父子の間に一物の介在すること無く、臣は君の心を心とし、子は親の志を志として、夫婦相睦び、兄弟相助け、只本来の至情を以て家を成し、国を造つて居るのであります。西行法師が伊勢神宮に詣でて、『何事のおはしますかは知らねども忝けなさに涙こぼるる』と詠じましたが、我国民の君父に対する至情は道理や理屈の上から割り出して忠孝を尽すのでは無い、其大本性が先天的に克く忠にして孝なのでありまして、何事の有無をも問はないのであります。故に我神国たる日の本の国には、古来外国のやうな複雑な政治学も法律学もなく、宗教道徳などの言葉も無かつたのであります。彼の万葉集の十三に蜻島倭之国者、神柄跡、言挙不為国云々、などありまして、後世の如き喧ましい言議論説は無かつたのであります。然しながら其実際に至つては、政治も法律も宗教も道徳も至極完備して居たのであります。今一々各方面に亘つて述べる暇は有りませぬが、要するに我神国は敬神の思想によりて結合されて居るのであります。則ち神は我等の祖先であり、宇宙の創造者摂理者であり、又君は神の直系則ち吾等の本家で在らせらる、と云ふ観念が、純忠にして至孝なる国民の本性と相契合して成り上つて成るのであります。故に政治は即ち祭事でありまして、国語では政治も祭事も共にマツリゴトと訓みます。義は奉事で、物にもせよ心にもせよ此方より彼方へ致す義であります。故に祭礼は人が敬虔思慕救願の情を致し、冥々の裡に於ける神の感応を求むるのであります。尚ほ此の言を広く考へますと、臣が君を思ひ、子が親を慕ひ、婦が夫を恋ひ、弟が兄を懐ふなど、皆その至情を致す時は矢張りマツリであります。此れに因つて又君親父兄が愛撫の情を垂れるのは所謂感応であります。此の感応に因つて更に又敬虔思慕の情を起し敬虔思慕の情を致すに因つて更にまた感応を垂れると言ふ風に、マツリの真義が神人の間に始まつて万事万端に及ぼし行く時は、家に風波が起つたり国に争乱が起る様な筈がないのであります。
皇道大本の出口開祖は、如何にもして我神国を本来の神国に復活せむと念願されまして、二十有五ケ年間神諭を垂示に成つて居りますけれども、暗黒なる現代の社会は耳を藉すものが無いとは実に遺憾の極みであります。吾人大本直霊軍(昭和青年の前身)は、皇祖皇宗の御遺訓と大本開祖の日夜の垂訓を普く天下に宣伝して、真正の日本神国を修理固成する為には、一身一家をなげうつて居るのであります。此の神政復古の事業に腐心して居ますのも、臣民の分として一天万乗の大君を思ひ、子孫の分として祖先を慕ふの至情より出たのであります。此実現こそ真に我神国の祭政一致の本義でありまして、国体の美を済して居る所以であります。
光格天皇御製
神様の国に生れて神様のみちがいやなら外つ国へ行け
孝明天皇御製
澄し得ぬ水に我身は沈むともにごしはせじな四方の民草
後嵯峨神皇御製
戈とりて守れ宮人九重の御階の桜風そよぐなり
(大正五、四、二一 このみち)