明治の鴻業は、其極を戊申の詔書もて結ばれ畢んぬ。
明治天皇の 聖魂は、畏くも戊申詔書として、大正の御代に伝へさせ給ひぬ。
戊申詔書は明治の結末を為して、大正の初頭を起すの旗幟たりしなり。
然るに大正僅に七星霜にして、日本国人は上下倶に戊申の詔書を忘れむとす。嗟々禍なるかな。噫々慨すべき哉。
華を去り実に就き自疆息まざるべきは戊申詔書の大精神なり。
祖宗の遺訓に基き歴史の成跡に基くべきは戊申詔書の大聖旨なり。
この二大精神は大正の七年に至つて、已に上下の倶に忘れむとする所と為る。吾人は天を仰いで三嘆せざらむと欲するも得べからざるあり。
戊申詔書の大御聖旨は、大正国民の忘るる所となつて、国家の前途為めに暗澹たるものあり。吾人は地に伏して、慟哭せざらむと欲するも得べからざるものあり。
吁々戊申詔書は日本国上下の倶に忘れむとする所たり。悲痛奈ぞ之に如くものあらむ。
国家は常に盤石不動なる大哲学上の根底ありて、其の興隆を致すものなり。プラトンの理想国が、帝王を以て大哲学者たるを要すと説ける所以は実に此に在り。大哲学の根底は大倫理の母にして、大宗教の素因たり。大哲学、大倫理、大宗教が、相一致して系統あり、組織ある精華を発揮する国家これを理想の国家と謂ふなり。故に大哲学、大倫理、大宗教の確立なき国家は、如何に隆昌膨大を致すと雖も、其の国家の運命の脆弱なること硝子よりも危し。大哲学、大倫理、大宗教の確立は、国民をして大元気あらしめ、大奮励あらしめ、真摯にして至誠、忠実にして勇奮、死を賭し国家に尽して顧る所なし。国家、為に日に月に隆乎として悠久なるのみ。
近時吾人の目に触れ耳に聞くもの一に浮華にして、空虚なるもの多く、人皆其の根底の奥義を顧るものなくして挙世滔々として亡国の素因を為すが如き感なくむばあらず。
華を去り実に就くべきは、戊申詔書の大精神なり。華麗の奥底には深淵なる理想あるべし。徒に華麗を以て世俗の眩惑を買はむと欲するは、大なる誤りと謂ふべし。大哲理の根底ありて大華麗の美花はあるべし。根底の本実を忘れては華麗の義は浮華と為る。世人は中を空しくして外を修飾し、根底を深くせずして徒に外面を尊重す。大に戒めざるべからず。
前章題して大祓の権威と謂ひ、大中小の潔斎を概述す。読者に文字を解する人あらば、飜然として襟を正して、皇道大本の労を多謝すべかりしなり。人心穢れたるに美服を纏ふも何の価かこれあらむ。潔斎は精神的行事なり。国土の潔斎は国民の心魂を潔斎すべきなり。疾病罪悪の充満は潔斎行事の対照物なり。荒忌の行事は厳として、国民の遊離の諸魂をして身体の中府に鎮めざるべからず。衛生を八釜しく謂ひて掃除を為さしめ、庭宅の清潔なるのみが潔斎にては無し。潔斎は精神的行事なり。国土潔斎の散斎は三ケ月にては覚束なし。然るに世は混濁にして、尚未だ大潔斎の儀に及ばず、痛ましき哉。
国土大潔斎の中、最も其の重要なるものは精神的潔斎なり。思想の整理なり。現代の日本国は思想の混乱時代なり。思想の混乱は疾病と罪悪との結果を齎らして穢れ尽くしたる汚悪の臭気は、上下を通じて実に其の極に達せり。毎朝の新聞紙は罪悪誌の感あり。思想の統一なく精神の紊乱せる現代は大祓もて熾んに之を潔斎すべき也。大々的潔斎を行ひて祭壇を浄くすべし。強烈なる潔斎は大神事の随一なり。大強烈なる潔斎を結ばずむば、国土は遂に清浄なるべからず。
思想潔斎の最も重要なる一は宗教の潔斎なり。現代の既成宗教は忽ち此際根絶せしむべきなり。宗教の法灯は暗夜に必要なり。白昼には要なし。堕落したる宗教を根絶して国土の大潔斎あるべきは大正聖代の序幕なり。大正は大に正すべき御代なり。大に正すべきの第一は宗教なり。現代の如き腐敗宗教のある間は、国土の潔斎は望むべくもあらず。宗教を絶滅せしめて、茲に創めて国土の清浄は望むべきなり。
国土清浄の第二の重要事は医学の絶滅なり。医術益々精にして疾病は益々繁殖するなり。現代の医学は国土を穢す所の巨魁なり。世は医術に汚され、宗教に魅せらる。医学と宗教とは神国の麗はしき国体を根本的に破壊するものなり。貧者は罪悪に赴き、富者は病院に赴く、これ天罰の自然なり。薬石は疾病の根本治療物にあらず、薬石は人の精神を破壊し、神魂を汚すものなり。潔斎し、根絶せざるべからず。
宗教を根絶し、医術を根絶す。世は愈々暗黒となりて、人は尽く疾病に斃れむ。足下の言は悪魔のみと。然り吾人の言は悪魔を根治するの言なり。悪魔の蟄伏を要求し、絶滅を宣言するの言なり。聴けよ、吾人は宗教を根絶し、医術を根絶すべしと絶叫すと雖も、之に代るべき大宗教を提供し、大医術を提供すべきものたる事を。
吾人豈徒に破壊をのみ喜ぶものならむや。破壊は新に建設するものの為に為す所の手段たるに過ぎず。請ふ安んぜよ。
一切は戊申の詔書に基いて行事すべき也。祖宗の御遺訓に則りて行事すべき也。祖宗の御遺訓は地上に直に天国を築かしめ、永生の長寿を与へ、安楽至楽の現代に住せしむるなり。其の要件は真に四五の根本的革新に過ぎず。
一 国教を大成して雑多蕪雑の宗教を絶滅するなり。
二 天産自給の根本的生活本位に帰るべきなり。
三 国家家族制度の本義に帰りて一心同体の終美を現はすべきなり。
四 国民皆兵の励行。
五 教育、政治、祭祀の道を立て更ふべきなり。
今茲に立て更ふべしといふは、新設の意義なるは勿論なるも、こは実は大本元に復帰することなり。逆旅の旅人の本家に帰り、遊びに耽りし児童等の各自の家に帰り、父母の膝下に到るが如きのみ。
疾病、罪悪は実在にあらず。疾病なきが常態なり。光明の欠乏したる部分を称して之を疾病と称すべきのみ。罪悪も亦これに同じ。疾病の根治は健全社会の建設と同時に出現すべき自然の現象のみ。疾病と罪悪とは社会の陰映なり。社会病みて人病み、社会罪悪に陥りて人罪悪を犯す。社会組織は本源にして、各個の疾病罪悪は其の影なり。末なり。結果なり。社会組織を革めずして各個より疾病罪悪を去らむと欲するものは、乃ち墨汁中に於て墨痕を洗ひ去らむと為すが如し。洗ふこと愈々努むるに随つて、其の黒さを増すこと愈々甚だしかるべきなり。之を現代滑稽画の随一なるものと為す。
汚穢は清水もて洗ふべきなり。吾人の提供する清浄なる水を嫌つて却つて汚濁の泥水を喜び、墨汁を塗るを喜ぶ。戊申詔書は国民に対して冷水を頭上より浴すべきを奨め給ふ。厳乎たる詔書の文、熱誠国を偲び給ふ烈々たる聖情は、大正国民の惰弱なるには適せざるべきか。忘れむと欲し、忘れまじと欲し、日本の光輝ある国史の成跡漸く跡を絶たむとす。
戊申詔書を忘れむとするは明治天皇を忘れ奉らむとするにはあらざるか。戊申詔書を忘れむと欲するは、祖宗の御遺訓を忘るるものにはあらざるか。滔々として華を趁ひ、索然として人皆本義の立脚地を失ひ、彷徨として夢の人の如し。
吾人は現代世界の惨状を偲び、今や神前に拝跪して神明に祈願しつつ、涙の滂沱たること滝の如きは、何の故ぞや。
(大正七、七、一五号、神霊界)