霊界物語.ネット~出口王仁三郎 大図書館~
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第十三章 宗教と人間生活

インフォメーション
題名:第13章 宗教と人間生活 著者:出口王仁三郎
ページ:121
概要: 備考:2023/10/03校正。 タグ: データ凡例: データ最終更新日:2023-10-03 17:42:28 文字数:982 OBC :B121802c125
初出[?]この文献の初出または底本となったと思われる文献です。[×閉じる]:『東北日記 三の巻』昭和3年8月2日
 殊勝(しゆしよう)らしく念珠(ねんじゆ)を爪繰(つまぐ)つて。仏事(ぶつじ)法会(はふゑ)を営業(えいげふ)と考(かんが)へて居(ゐ)る近代(きんだい)の坊主(ばうず)、末法(まつぱふ)の坊(ばうず)位(ぐらゐ)済度(さいど)し難(がた)いものはない。宗教(しうけう)は仏壇(ぶつだん)に納(をさ)めておいて坊主(ばうず)が出(だ)し入(い)れをするもので無(な)く、人間(にんげん)生活(せいくわつ)に毎日(まいにち)必要(ひつえう)なものである位(ぐらゐ)の事(こと)は、近代人(きんだいじん)にも多少(たせう)の理解(りかい)はある。人間(にんげん)の生活(せいくわつ)に日夜(にちや)必要(ひつえう)であつてこそ、初(はじ)めて宗教(しうけう)そのものの価値(かち)はあるのだ。人間(にんげん)を離(はな)れたる宗教(しうけう)も芸術(げいじゆつ)もない筈(はず)だ。所謂(いはゆる)人間(にんげん)生活(せいくわつ)の琴線(きんせん)に触(ふ)れる所(ところ)の宗教(しうけう)でなければ駄目(だめ)だ。その意味(いみ)から近時(きんじ)宗教(しうけう)研究(けんきゆう)熱(ねつ)が台頭(たいとう)して来(き)たのである。然(しか)るに現代(げんだい)各(かく)宗教(しうけう)の坊主(ばうず)、本山(ほんざん)末寺(まつじ)の営業(えいげふ)当事者(たうじしや)と称(しよう)する輩(ともがら)、年中(ねんぢう)寺院(じゐん)のお守(も)り本領(ほんりよう)とし、寄付金(きふきん)の募集(ぼしふ)のみを色々(いろいろ)の美名(びめい)を藉(か)つて行(おこな)つてゐるが、それも寺院(じゐん)保護(ほご)の為(ため)なれば恕(じよ)すべきだが、相場(さうば)や女郎(ぢよろ)買(かひ)の資料(しれう)までも、善男(ぜんなん)善女(ぜんによ)に拠(よ)らむとしてゐるのだ。読経(どくきやう)は常(つね)に御布施(おふせ)の多少(たせう)に由(よ)つて長短(ちやうたん)され、法装(はふさう)は喜捨金(きしやきん)の大小(だいせう)で異(ことな)り、戒名(かいみやう)も志納金(しなふきん)の量(りやう)に依(よ)つて死人(しにん)に対(たい)し院殿(ゐんでん)だの居士(こじ)大姉(だいし)だの、信士(しんし)、信女(しんによ)だのと階級(かいきふ)を付(つ)けてゐる。平等(びやうどう)愛(あい)を唱(とな)へた釈迦(しやか)の末流(まつりう)たる僧(そう)の品格(ひんかく)が何処(どこ)に在(あ)るのだ。善男(ぜんなん)善女(ぜんによ)に対(たい)する紋入(もんにふ)色合(しきがふ)の差異(さい)を以(もつ)て、肩絹(かたぎぬ)とかいふ奴(やつ)を領収証(りやうしうしよう)の代用(だいよう)と為(な)し、寄付金(きふきん)の多少(たせう)に依(よ)つてそれを異(こと)にし、田舎(ゐなか)の難有(ありがた)屋(や)の虚栄(きよえい)心(しん)をそそつてゐるのは今(いま)の仏教(ぶつけう)家(か)だ。各宗(かくしう)各派(かくは)の坊主(ばうず)ども、チトは祖師(そし)の開宗(かいしう)時代(じだい)の苦辛(くしん)を考(かんが)へては如何(どう)だ。
 人間(にんげん)生活(せいくわつ)になくては成(な)らぬ宗教(しうけう)を、人間(にんげん)から遠(とほ)ざけて了(しま)つたのは、皆(みな)営業(えいげふ)坊主(ばうず)、葬式(さうしき)坊主(ばうず)の罪悪(ざいあく)だ。吾人(ごじん)は宗教(しうけう)研究(けんきう)熱(ねつ)台頭(たいとう)の機会(きくわい)に際(さい)して、殊(こと)に此(こ)の感(かん)を深(ふか)くする。せめて清僧(せいそう)になれなくとも人間(にんげん)的(てき)気持(きもち)になれ。坊主(ばうず)で飯(めし)が食(く)へなければ百姓(ひやくしやう)になれ。工場(こうぢやう)の隅(すみ)からでも、田園(でんゑん)の果(は)てからでも、真実(しんじつ)な宗教(しうけう)は生(うま)れる。そして堂々(だうだう)として天下(てんか)に宣伝(せんでん)されるのだ。金襴(きんらん)の衣(ころも)に汚(けが)れたる心魂(しんこん)を包(つつ)んで、仏(ほとけ)の前(まへ)に出(で)て愧(はづ)かしく無(な)いのか。彼等(かれら)が本心(ほんしん)に立(た)ち復(かへ)り真面目(まじめ)な宗教(しうけう)家(か)としての活動(くわつどう)をするに於(おい)ては、必(かなら)ず死(し)せる仏教(ぶつけう)を更生(かうせい)復活(ふくくわつ)して宗祖(そうそ)の本願(ほんぐわん)を達(たつ)する事(こと)が出来(でき)るであらう。
 末法(まつぱふ)汚濁(をじよく)の仏教(ぶつけう)を甦生(そせい)せむ為(ため)、卿等(けいら)の三千年来(らい)待望(たいばう)した弥勒(みろく)菩薩(ぼさつ)は、既(すで)に已(すで)に地上(ちじやう)に出現(しゆつげん)して居(ゐ)るではないか。猜疑(さいぎ)と嫉妬(しつと)と排他(はいた)の殻(から)を脱(ぬ)いで、一日(いちにち)も早(はや)く釈尊(しやくそん)の主唱(しゆしやう)せる弥勒(みろく)の下生(かせい)を迎(むか)へよ。無限(むげん)の鐘(かね)は鳴(な)つてゐるのを知(し)らないか。弥勒(みろく)三会(さんゑ)の暁(あかつき)の警鐘(けいしよう)乱打(らんだ)の響(ひび)きは判(わか)らないか。耳(みみ)が蛸(たこ)になるとの諺(ことわざ)は何(なん)だ。営業(えいげふ)坊主(ばうず)所謂(いはゆる)蛸(たこ)坊主(ばうず)に対(たい)する神仏(しんぶつ)の警告(けいこく)である。
(昭和三、八、二、東北日記 三の巻)
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