霊界物語.ネット~出口王仁三郎 大図書館~
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(一)

インフォメーション
題名:(一) 著者:浅野和三郎
ページ:85
概要: 備考: タグ: データ凡例: データ最終更新日:2025-01-24 22:22:00 OBC :B142500c23
 自分が綾部へ引越してから、毎日々々空は曇りがちであつた。(まれ)に日光がさすので、今日は晴れかと油断して居ると、海の方から吹きつける冷たい白い霧が、須知(すち)山脈に突きあたつたと思ふ瞬間に、()うチラチラと雪が降つて来る。土地の人間は悠長なのに反して、山陰の雪は実に気が早い。お手軽にあツさりと降り出して、そのくせ、どうかすると、一時に一尺も(つも)る。降つては止み、止んでは降り、それが大抵毎日のことであるから、人間の方でも根気負けがして余り気に懸けない。冬は寒いもの、雪は降るもの、空は曇るものと諦めて了ひ、十二月頃から炬燵(こたつ)の用意でもして、呑気に持久の策を講ずる。
 (だん)を取る為めには人間も種々(いろいろ)工夫して居る。煖爐(ストーブ)には煖爐(ストーブ)の特長があり、スチーム、ヒーターには、スチーム、ヒーターの便利がある。しかし山陰の田舎では矢張り炬燵に限るやうだ。ノンキで簡易で、穏かで()い。一寸(ちよつと)二三十分も(はひ)るつもりで(すわ)つたのが、ツイ三時間位に延びる。火鉢で手先を暖めながら雪を見るのでは、少々寒過ぎて調和が取れぬが、炬燵で雪を見て居ると、雪片(ゆきわれ)綿(わた)花片(はなびら)のやうに暖かく見ゆる。自分の郷里にも炬燵があつたが、十四の時に郷里を離れると同時に炬燵とも離れて大正五年に及んだ。数へて見れば、全然(まるで)二十八年間炬燵と御無沙汰をした訳だが、(やうや)く今度綾部へ引越して炬燵と旧交を温める事が出来た。雪の降る日に自宅に来訪の修行者があると、自分は之を炬燵に招きいれ、自分も同様に入つて、大本の話をしたことも、二度や三度ではなかつた。炬燵説法の成績は概して良好であつたやうに記憶する。
 五十日、七十日、丹波の冬は何時(いつ)果つべしとも見えなかつた。それでも三月に入ると、一体の風物が何処(どこ)とも知れす(かは)つて来た。雪も(つも)る量よりは融ける量が多く、地を踏む下駄の音まで違つて来た。矢張り(ここ)にも春が近寄りつつあるなと思ふ。いかに内観的になつて了つて、周囲に対して無神経に近い身の上でも、ヤレヤレと(いささ)かうれしい気分がせんでもなかつた。
 自然、邸前(ていぜん)を流るる和知川(わちがは)()りて見る気にもなり、急流なので氷は張りはせぬが、しかし、(こころ)みに手を川水にひたして見ると、切れるやうにつめたい、山と山との(あはひ)から、水を伝つて吹いて来る風は氷のやうだ。奮発して繋いである小船の(ともづな)を解き放つて、竹の(さを)を執つて中流に漕ぎ出して見る。景色は素晴らしく()いが、しかし(さを)を伝ふ(しづく)の冷たさ。
『まだ寒い。早くポカポカした春になればいい。和知川(べり)に住む以上、是非ともこの川と(したし)まねばならぬ』
 独語(ひとりごち)つつ急いで又岸に()ぼる。当時の自分の第一の憧憬(あこがれ)が、大本の(をしへ)の普及に()るはいふ迄もないが、之に次いでの切なる望みは、早く川水が(ぬる)んで、思ふ存分子供達を相手に、舟遊びにでも(ふけ)り得ることであつた。
 其後自分は綾部の冬籠(ふゆごも)りを重ぬること四回、(きた)る三月(まさ)に第五回目の冬に逢はんとして居る。(ただ)し近頃は大阪方面に(きよ)(ぼく)し、綾部に帰る機会が(はなは)(すくな)いので、今年は久しぶりで、冬籠りをばしみじみ(あぢは)ふことなしに終るかも知れぬ。()うなつて来ると、人間は勝手なもので、過去数年来の綾部の冬籠りが、なつかしいやうにも感じられる。
 つらつら考へて見るに、冬籠りの(あぢは)ひは、冬籠りそのものの(あぢは)ひよりも、冬籠りから初春(はつはる)のうららかなる日光、生温(なまぬる)い空気へ移りかはりの(あぢは)ひであるらしい。長い長い蟄居(ちつきよ)の辛抱があるから、春と夏との有難味が判る。ノベツ(まく)なし、単調きはまる無変化の気候であつたら、人生は到底()へられたものではないらしい。人の身の上にても(また)同様であらう
 綾部の大本の如きは実に冬籠(ふゆごもり)の長いものであつた。明治二十五年の正月、教祖の神懸りから今に及びて二十有九年、最初はまるで一般世人(せじん)歯牙(しが)にもかけられず、紙屑拾ひの狂人よ、時代遅れの迷信家よと、笑はれ、(そし)られ、(あざけ)られて今()乳臭(にうしう)末輩(まつばい)から、言ふに言はれぬ侮辱を受けつつある。が、(いん)(きよく)は即ち(よう)の初め、一片(ひとひら)二片(ふたひら)(ほころ)ぶる梅の花の春の(さきがけ)すると同じく、大本の真面目(しんめんもく)は昨今(やうや)く心ある人士の心を動かし、やがて万朶(まんだ)の花の咲きほこる一陽来復の機運が、何所(いづこ)ともなく(みなぎ)りかけたやうだ。『善の道の(ひら)けるは苦労が長いぞよ』一語(りん)として二十九年に亘る過去の大本を語るが『三千世界一度に(ひら)く梅の花』の時節の俄然として展開するのも、余り遠い未来ではないらしい。さうなつた(あかつき)には、自分が今綾部の冬籠りの追懐に(ふけ)るが如く、大本の長い長い冬籠りの追懐に耽ることもあらう。
 筆は思はず、あらぬ方向に脱線した。()んな感想じみたことを書いて居ては、何処(どこ)までこの篇が長く続くか知れたものでない。例によりて赤裸々の事実(じじつ)(ものがたり)でも、テキパキと書いて行かう。少々耳が痛い人があるかも知れぬが、それは何処(どこ)までも神心(かみごころ)に見直し聞き直して貰ひたい。書かねば訳が判らず、書けば人の瑕疵(あら)をほじり出す、困つたものだと自分自身で実は弱つて居る。
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