霊界物語.ネット~出口王仁三郎 大図書館~
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(十一)

インフォメーション
題名:(十一) 著者:浅野和三郎
ページ:127
概要: 備考: タグ: データ凡例: データ最終更新日:2025-01-24 22:22:00 OBC :B142500c33
 思ひ出のまま筆に任せて、右に書き()らねた他にも、まだ修行者は春から夏にかけて殺到した。座談、鎮魂、()る方は不相変(あひかはらず)自分一人(ひとり)であれど、受くる相手は十人(じふにん)十種(といろ)(ただ)一人(いちにん)として同一なのがない。理屈ツぽいのもあれば、感激性のもあり、鈍感者もあれば、発動性のもあり、病者あり、健体あり、若き、(おい)たる男、女、全く以て応接に(いとま)がなかつた。横須賀で十七年間、粒揃(つぶぞろひ)の海軍生徒ばかり取扱つた埋合(うめあは)せに、綾部で取扱ふのは、あらゆる階級、あらゆる種類、あらゆる性質の代表者ばかり、お蔭で()ツとは人間学の勉強が出来たやうな気がする。向後(こののち)はますますこの傾向が加はるばかり、(あした)に支那人の煩悶をきいてやり、(ゆふべ)に亜米利加人の質問に応じてやるといふ事にもなるであらう。飛んでもない役割に()ツつかまつたものだと、自分は内々恐縮して居る。
 兎に角、()るものを迎へ、去る者を送つて居る(うち)に、桃も桜もいつしか跡方(あとかた)もなく散つて了ひ、見渡す限り皆青緑(せいりよく)の夏景色となつて来た。大正六年ごろは忙しいと言うても、まだまだ昨今の生活に比べると、幾分の余裕があつた。ポカポカした温かい気候になると同時に、自分は取りあへず近所で古船(ふるぶね)を一艘借りて、朝に夕に、すぐ門前を流るる和知(わち)の清流に(うか)び、しきりに(さを)を操つたものだ。
 大橋の下手に(せき)が設けてあるので、さしもの急流もその勢ひの大部分を()がれ、門前四五丁の間は、川と言はんよりは(むし)ろ湖のやうに水を(たた)へて居る。その間を心ゆくまま漕ぎ回る気持の善さ、(ぬる)んだ水、(やはら)かな風、(さか)さまに影をひたす緑樹(りよくじゆ)静山(せいざん)、間断なく(きこ)ゆる淙々(そうそう)の水の音……。
 自分は時に船を対岸に横着けにして陸に(あが)つて見る。この(へん)一帯は一面の小砂利原(こじゃりばら)で、白、赤、黒、緑、紫など()(さむ)るばかり(うる)はしい小石が所(せま)しと並んで居る。参綾(さんりやう)士女(しぢよ)はよく此(へん)に来て石の採収をやるが、全く綺麗な石の多い所だ。
『鎮魂の石笛(いしぶえ)でもありさうなもの』
 などと誰しも()づ考へるが、さて捜して見ると、それは滅多に無い。石笛は審神者(さには)の資格ある者に、神が直接(さづ)けらるるので、人為的に肉眼で捜しても多くは見当らない。
『自分はモウ一箇(さづ)かつて居る。欲を深くしても駄目だ』
 暫時(ざんじ)(のち)断念(あきら)めて、又船に(のぼ)り、今度は上流に船を進めて見る。
 一二丁行くと一面の暗礁だ。その(うち)幾箇(いくつ)かは頂点を水面に露出して居る。亀などがよく(ここ)に甲羅を()して居る。ボチヤンとやると、(あわて)て水中に逃け込むが、余りに水が澄んで居るので、すかして見ると其隠れ場所がよく判る。
 この(へん)から段々流れが急激になる。やがて()(まが)りするとモウ急湍(きふたん)があつて、いかに(さを)を踏ン張つて見ても、独力(どくりよく)では(のぼ)れない。断念(あきら)めて船を流れに任せると、船はフワリフワリと(もと)()(みち)を独り手に(くだ)る。(さを)を水から揚げて、船舷(ふなべり)に腰を(おろ)して(たばこ)でも吹かし乍ら、のんびりとした気分で四辺(あたり)の風光に(まなこ)をくばる……。
 盛夏の(こう)(すず)み船が出る時は別であるが、その他の時には、自分の(ほか)に滅多に人の影はない。(たま)(いかだ)が上流から(くだ)つて来る位のものだ。和知川(わちがは)の清流と、見渡す限りの風景とは、(ほとん)ど全部自分一人で占有したやうなもの、実に千万金(せんまんきん)にも換へ(がた)きものがある。誰であつたか、
『この川一つあれば大本をヌキにしても十分移住する価値がある』
と言つたが、自分もそれには衷心(ちうしん)から賛成だ。船が門前(もんぜん)まで流れて来ると、多くの場合(つま)下女(げぢよ)かが岸に待つて居て、
『お客さんが二三人見えて居ります。早く(あが)つてください』
 この一語(いちご)に初めてハツと現実の(われ)に返り、急いで船を岸に着けるのが通例であつた。
 何にしても余り気持がよいので、借物(かりもの)古船(ふるぶね)では満足されなくなつた。少々道楽のやうだが、これだけは神様にお見免(みのが)しを願ひ、たうとう新規の船を注文した。出来(あが)つた船は「日之出丸」と命名して門前に繋いだが、その時の子供達の歓びと誇りとは大したものであつた。しかし内々親爺(おやぢ)の歓びと誇りとは、決して之れに劣りはしなかつた。
 新しい船を造つて、澄み切つた流れをギチギチ()ぎまはす愉快は、新しい手車(てぐるま)や自動車で、塵芥(ぢんかい)(うづ)もれたる街頭を乗りまはす愉快よりもどれだけ多いか知れぬ。その(くせ)造船費は(わづか)に三十五円、(あと)は一文も要らぬ。費用さへ(かさ)めば善いものと思ふ成金(なりきん)気分ほど世にも阿呆らしいものはない。
 一度は食膳を船に持ち込み、一家(こぞ)つて晩餐をしたためた事などもあつた。夏の()に提灯を(とも)して夕涼みをしたことなどは、幾たびあつたか知れぬ。かくて自分達の綾部生活は、船と川とで()れだけその単独を破られたか知れぬが、しかし世運(せうん)の進展と共に次第々々に自分の身は多忙となり、たうとう昨年からは大阪方面に出動することになつて了つた。今から回顧すれば、大正六年の春から夏にかけては忙しいやうでも矢張り呑気な所が多かつた。これから先きは……。とても当分(ふね)どころの騒ぎではなささうだ。
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