霊界物語.ネット~出口王仁三郎 大図書館~
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(二)

インフォメーション
題名:(二) 著者:浅野和三郎
ページ:136
概要: 備考: タグ: データ凡例: データ最終更新日:2025-01-24 22:22:00 OBC :B142500c36
 六月二十一日の午前、東京停車場へ下車した三人連れの男があつた。(いづ)れも和服に(はかま)穿()いて居るのは格別常人と(ことな)つた点はないが、ただ現代離れのして居るのは其(うち)の二人の頭髪であつた。一人はチヨコツとチヨン(まげ)のやうなものを(たば)ね、()の一人は(えり)を没するまで延びた髪のモジヤモジヤを防ぐべく、細紐(ほそひも)で鉢巻をして居る。近頃では余り珍らしくもないか、当時はたしかに東京停車場始まつて以来の珍客であつたに相違ない。いふ迄もなく、これは神命によりて東上した自分達の一行であつた。細紐の鉢巻男は当時の自分、チヨン(まげ)は役員の秋岡さん、又()の一人は例の篠原海軍大尉であつた。
 篠原君はその頃も不相変(あひかはらず)肝川(きもかは)竜神の神懸りに悩まされて居た。余程マメな神さんで、ノベツに発動して、そして勝手に篠原君を追ひこくつた。何しろ急所の睾丸をつかまへて諾応(いやおう)なしに号令をかけるのだから(たま)らない。一度は肝川(きもかは)(ひき)ずり出されて山の中を歩かせられ、又一度は東京、横須賀、横浜等を眼のまはるやうな速力で引つ張りまはされた。今度も自分がいよいよ東京行きと決まると、まだ誰の耳にも()れぬ()きに、早速、
『篠原(なんぢ)は今度浅野に()いて東京へ行くのだ』と(はら)の底から呶鳴つたさうだ。神さん同志の間には相談づくの仕事であらうが、人間の方にはいかにも唐突(だしぬけ)な話で、自分も意外なれば篠原君も不意(うち)、何が何やら薩張(さつぱ)り判らずに(あひ)連れ立つて出発したのであつた。
 秋山さんの居宅は四谷(よつや)信濃町(しなのちやう)にあつた。数日(ぜん)に綾部から戻つたばかりの主人公は玄関に立ち()でで
『イヤーよく()らつしやい。三人お揃ひですか。サア万望(どうか)此方(こちら)へ……』
 秋山さんは早速八畳()()形付(かたづ)けて、自分達の居室に(あて)て呉れた。
『実は自分一人で心細く思つて居た所です。これで思ひ切つて仕事がやれます。家内が病気で寝てゐるので、お構ひすることは出来ませんが、まア辛抱してください』
 独りで呑み込んで、大使(こころ)易く歓待して呉れたのは(はなは)だ嬉しかつた。
 秋山さんは、(もと)から敬神の念慮の深かつた人ほどあつて「人ほどあつて」は底本通り。「人であつて」の間違いか?、その奥座敷には神棚を設けて、大神宮さまをお祀りしてあつたのは結構であつたが、意外に感じたのは、同一(おなじ)神棚の一方に、あるお稲荷さんの(ほこら)を祀つてあつたことであつた。
()んな事をして置いていいのかしら。何か面倒な事が(おこ)らなければよいが……』
 それを一見すると同時に、()づ自分の胸には暗い影が射すのを禁ずることが出来なかつた。大本へ来て幾多の霊的調査の結果、段々自分に判りかけたことであるが、世にも畏るべきは迷信の(わざはひ)である。現代人士は迷信について正確なる観念がないやうだ。迷信とは所謂(いはゆる)(いはし)の頭も信心から式に、根も葉もない空虚なものを有難がることかの如く多くの人は思ふが、決してさうではないやうだ。空虚なものを、有難がるのは莫迦らしいだけで、さしたる弊害はない。真の(おそ)るべき迷信は、邪神、邪霊に祈願をかけ、知らず識らずの(うち)にその捕虜になつて了ふ事だ。其弊害は実に大きい。一旦彼等と関係をつけたが最後、一種の腐れ縁を作ることになり、例へばアバズレ女に引つかかつた如く容易に手がきれない。一寸(ちよつと)した御利益は得られても、其損害に至りては之に幾十百倍するか知れない。それが独り自己の生前に限らず、引いては子孫に及び、又死後の霊魂にも及ぶのであるから実にヤリ切れない。就中(なかんづく)最も始末にいけぬのは、欲を深くして沢山のヤクザ(がみ)を信心する事である。ヤクザ神とヤクザ神との間に暗闘が(おこ)り、結局ひどい目に逢ふのはいつも信仰者自身である。一見(とく)なやうな、斯麼(こんな)(おろ)かな、(わり)の悪い事はない。(けだ)しこんなのが迷信中の大関である。
 自分が秋山さんに対して心配した事は、不幸にして次第々々に事実の上に証明されて行つた。秋山さんほどの人が、什麼(どう)して迷信遍歴者の仲間に加はつたか、(をし)みてもくやみても余りあることと自分は今に衷心(ちうしん)から残念でたまらない。最後に(やうや)く綾部に来て正しい信仰に辿(たど)りついたのは、流石(さすが)に凡俗の(くはだ)て及び(がた)き点ではあつたが、以前の信心開係が累を及ぼし、無残なる悪霊の妨害運動に遇ひ、あたら九仞(きうじん)(こう)一簣(いつき)()いて了つた。自分は気の毒で実に之を筆にするに忍びない気がするが、秋山さんと大本の信仰については、天下の誤解が実に深いやうであるから、これから差支(さしつかへ)なき限りその真相を伝へて置くのが、故人の霊魂に対しても正当な処置であらうと思ふ。
 秋山一家を(おほ)へる霊的暗雲につきて、()づ自分が手がかりを得たのは、その夫人の鎮魂からであつた。夫人は永い(あひだ)血の道に悩んで臥耨(ぐわじよく)して居たが、秋山さんは早速自分に向つて、
『家内を一遍鎮魂してやつてください』
と迫つた。自分は何気なく夫人の病室に通つた。
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