魔界の活躍は一日又一日と熱度を加へて来て、秋山さんの大本信仰に対して、ありとあらゆる妨害運動を試みた。先づ一方に夫人のかよわき肉体を使つて、非常識な騒ぎを演ぜしむると同時に、他方に於ては、秋山さんの親戚と友人とを使つて、秋山さんに忠告と攻撃とを試みさせた。形の上から見れば、いづれも立派な親戚であり、又友人である。それ等の人々も亦一所懸命、秋山さんの利益と思つて、苦言を呈したり何んかする。所が霊的に査べると、それ等の人々が悉く悪霊の傀儡であるのだから実に驚く。
斯麼ことを書くと、霊の憑依といふことを知らぬ人々は、よい加減の事を書く位に思ふに相違ない。就中悪霊の傀儡だと言はるる親戚なり、友人なりの憤怒は想像に余りある。大抵の人はムキになつて、
『失敬なことを言ふではない。乃公は誠心誠意秋山の利益を思つてやつて居るのだ。莫迦なことをいふと承知せぬ』
などと、いきまくに相違ない。
怒るのも成る程無理はない。自分は十分これに同情する。併し自分はこれ等の人々が、一たび怒りを鎮めて反省熟慮さるるを希望する。大本に対する知識も何もない癖に、秋山さんの大本信仰に対して忠告をするといふのが、故に出発点に於て誤つて居りはせぬか、更にその忠告が果して正しい忠告か、それとも間違つた忠告であるか、一遍査べて見る必要がありはせぬか。
凡そ無智ほど世にも畏ろしいものは無く、又不正な批判ほど世を誤るものはない。独り秋山さんの親戚友人に限らず、此三四年来、大本批判、大本攻撃をやつたものは沢山あるが、何所に一点半亳の取柄のあるものがあつたか。正しい忠告は千金の価値があるが、不正な忠告は有害、有毒である。忠告の仮面を被つた魔言、鬼語に過ぎぬ。
気の毒だから姓名は預かつて置いてやるが、秋山さんの大本信仰に対して、最も強硬に忠告?を試みた友人の一人は、海軍部内で有名な某将官であつた。自分も同席に列して居たが、しきりに莫迦なことを並べて、秋山さんの若い信仰を揺がせやうと努め、殆ど聞くに堪へなかつた。海軍士官中には、薄ツペらな生半熟の無神論、潜在意識論等を振りまはし、自分が国体破壊の大罪人であることに気がつかぬものが決して尠くない。日本国から神を取り去つた時に、何所に日本国の日本国たる所以があると思ふか。敬神がなければ尊皇もなく、又愛国もない。日本の皇室、日本の国土が、永劫の昔から天地の祖神と、切つても切れぬ因縁関係があるといふ事が判つてこそ、初めて日本の国体の精華が判るのだ。綾部の大本といふ所は、前後左右、四方八面から、この事を実証して見せて、修行者をして成る程さうだと首肯せしめる事に、異常の成績を挙げつつあるのだ。神諭といふ活証文を引き出して見せたり、言霊の鍵もて隠れたる古典の真意義を開けて見せたり、鎮魂帰神の神法で神霊の実在を体得せしめたり、各宗教の斬新な比較研究を試みたり、真面目な人々が夜を日についで全努力を提げて居るではないか。
それを覗いて見るだけの労さへも取らず、浅薄な鼻元思案、愚劣なる先入主を楯に、漫然として時代後れの無神論などを振り回さうとするのは、何といふ片腹痛き仕業でもらう。神があるか無いか判らぬといふのならば、それが判るまで研究を遂ぐべきである。自分に判らぬから神は無いと主張する者は、到底人間の風上には置けぬしろものである。
秋山さんはかかる友人の愚論を容易に観破するだけの鋭き頭脳と、又尊き霊的経験とを有つて居た。
『彼奴アンな屁理窟を並べて困る』
などと其友人が帰つてからコボして居たが、衆口金をとかすの諺の如く、間断なく斯麼判らずやの連中から攻め立てられては、多少は精神上の混雑を来さざるを得なかつた。混雑さへすればそれで悪霊の作戦は見事成功した訳で、独り秋山さんの場合に限らず、現在の日本人の大多数はマンマと悪霊の術中に陥つて居るのだ。
が、悪霊の妨害運動がこの辺に止つて居たなら、まだ自分の微力でも何とか食ひとめる方法があつたらうが、其手段はいよいよ出でていよいよ巧妙陰険を極め、到底いかんともするに由なき所まで進んで行つた。外でもない、それは悪霊が次第々々に隙間を覗つて、秋山さん自身の肉体に食ひ入つたことであつた。
いかな雋敏無二の才物であるにしても、秋山さんの信仰は日が浅く、従つて神諭の読み方が足りなかつた。その結果、肝腎の点に於て二三の取違ひを免れなかつたのは是非もない話だ。今度の大神業には神が因縁の身魂を引寄せるから、人間の方で引張りには行くなとあるのに、秋山さんはある高貴な人々を引張らうとした。また肝腎の事は神が今の今までに教へぬから、矢鱈な神懸者の予言などを信ずるなとあるのに、秋山さんはうつかり之を信じた。何事も時節であるから、人間は素直に身魂を磨いて時節を待てとあるのに、秋山さんは焦りに焦つて時節を作らうとした。これ等は大本神諭の訓戒中の精神骨髄ともいふべき点で、これに背くことはつまり失敗を意味することになるのだが、秋山さんもたうとう取りかへしのつかぬ失敗をやつて了つた。それが判つて居るから東上を命ぜられ、折角側に付いて居りながら之を未然に防止するたげの力量がなかつた自分にも、実に多大の罪があつたと思ふ。