霊界物語.ネット~出口王仁三郎 大図書館~
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(四)

インフォメーション
題名:(四) 著者:浅野和三郎
ページ:144
概要: 備考: タグ: データ凡例: データ最終更新日:2025-01-24 22:22:00 OBC :B142500c38
 魔界の活躍は一日又一日と熱度を加へて来て、秋山さんの大本信仰に対して、ありとあらゆる妨害運動を試みた。先づ一方に夫人のかよわき肉体を使つて、非常識な騒ぎを演ぜしむると同時に、他方に於ては、秋山さんの親戚と友人とを使つて、秋山さんに忠告と攻撃とを試みさせた。形の上から見れば、いづれも立派な親戚であり、又友人である。それ等の人々も亦一所懸命、秋山さんの利益と思つて、苦言を呈したり()んかする。所が霊的に(しら)べると、それ等の人々が悉く悪霊の傀儡(くわいらい)であるのだから実に驚く。
 斯麼(こんな)ことを書くと、霊の憑依といふことを知らぬ人々は、よい加減の事を書く位に思ふに相違ない。就中(なかんづく)悪霊の傀儡だと言はるる親戚なり、友人なりの憤怒は想像に余りある。大抵の人はムキになつて、
『失敬なことを言ふではない。乃公(おれ)は誠心誠意秋山の利益(ため)を思つてやつて居るのだ。莫迦なことをいふと承知せぬ』
などと、いきまくに相違ない。
 (いか)るのも成る程無理はない。自分は十分これに同情する。併し自分はこれ等の人々が、(ひと)たび(いか)りを鎮めて反省熟慮さるるを希望する。大本に対する知識も何もない癖に、秋山さんの大本信仰に対して忠告をするといふのが、故に出発点に於て誤つて居りはせぬか、更にその忠告が(はた)して正しい忠告か、それとも間違つた忠告であるか、一遍(しら)べて見る必要がありはせぬか。
 (およ)そ無智ほど世にも(おそ)ろしいものは無く、又不正な批判ほど世を誤るものはない。独り秋山さんの親戚友人に限らず、此三四年(らい)、大本批判、大本攻撃をやつたものは沢山あるが、何所(どこ)に一点半(がう)の取柄のあるものがあつたか。正しい忠告は千金(せんきん)の価値があるが、不正な忠告は有害、有毒である。忠告の仮面を(かむ)つた魔言(まげん)鬼語(きご)に過ぎぬ。
 気の毒だから姓名は(あづ)かつて置いてやるが、秋山さんの大本信仰に対して、最も強硬に忠告?を試みた友人の一人は、海軍部内で有名な某将官であつた。自分も同席に列して居たが、しきりに莫迦なことを並べて、秋山さんの若い信仰を(ゆる)がせやうと(つと)め、(ほとん)ど聞くに堪へなかつた。海軍士官(ちう)には、薄ツペらな(なま)半熟の無神論、潜在意識論(とう)を振りまはし、自分が国体破壊の大罪人であることに気がつかぬものが決して(すくな)くない。日本国から神を取り去つた時に、何所(どこ)に日本国の日本国たる所以(ゆゑん)があると思ふか。敬神がなければ尊皇もなく、又愛国もない。日本の皇室、日本の国土が、永劫の昔から天地の祖神と、切つても切れぬ因縁関係があるといふ事が判つてこそ、初めて日本の国体の精華が判るのだ。綾部の大本といふ所は、前後左右、四方八面から、この事を実証して見せて、修行者をして成る程さうだと首肯(しゆかう)せしめる事に、異常の成績を挙げつつあるのだ。神諭といふ活証文(いきしようもん)を引き出して見せたり、言霊の鍵もて隠れたる古典の(しん)意義を()けて見せたり、鎮魂帰神の神法で神霊の実在を体得せしめたり、各宗教の斬新な比較研究を試みたり、真面目な人々が夜を日についで全努力を(ひつさ)げて居るではないか。
 それを(のぞ)いて見るだけの労さへも取らず、浅薄な鼻元(はなもと)思案、愚劣なる先入主(せんにふしゆ)を楯に、漫然として時代後れの無神論などを振り回さうとするのは、何といふ片腹痛き仕業でもらう。神があるか無いか判らぬといふのならば、それが判るまで研究を遂ぐべきである。自分に判らぬから神は無いと主張する者は、到底人間の風上には置けぬしろものである。
 秋山さんはかかる友人の愚論を容易に観破するだけの鋭き頭脳と、又尊き霊的経験とを()つて居た。
彼奴(あいつ)アンな屁理窟を並べて困る』
 などと其友人が帰つてからコボして居たが、衆口(しうこう)(かね)をとかすの(ことわざ)の如く、間断なく斯麼(こんな)判らずやの連中から攻め立てられては、多少は精神上の混雑を(きた)さざるを得なかつた。混雑さへすればそれで悪霊の作戦は見事成功した訳で、独り秋山さんの場合に限らず、現在の日本人の大多数はマンマと悪霊の術中に陥つて居るのだ。
 が、悪霊の妨害運動がこの(へん)(とどま)つて居たなら、まだ自分の微力でも何とか食ひとめる方法があつたらうが、其手段はいよいよ()でていよいよ巧妙陰険を極め、到底いかんともするに(よし)なき所まで進んで行つた。(ほか)でもない、それは悪霊が次第々々に隙間(すきま)を覗つて、秋山さん自身の肉体に食ひ()つたことであつた。
 いかな雋敏(せんびん)無二の才物であるにしても、秋山さんの信仰は日が浅く、従つて神諭の読み方が足りなかつた。その結果、肝腎の点に於て二三の取違ひを(まぬが)れなかつたのは是非もない話だ。今度の大神業には神が因縁の身魂を引寄せるから、人間の方で引張りには行くなとあるのに、秋山さんはある高貴な人々を引張らうとした。また肝腎の事は神が今の今までに教へぬから、矢鱈な神懸者の予言などを信ずるなとあるのに、秋山さんはうつかり之を信じた。何事も時節であるから、人間は素直に身魂を磨いて時節を待てとあるのに、秋山さんは焦りに焦つて時節を作らうとした。これ()は大本神諭の訓戒中の精神骨髄ともいふべき点で、これに背くことはつまり失敗を意味することになるのだが、秋山さんもたうとう取りかへしのつかぬ失敗をやつて了つた。それが判つて居るから東上を命ぜられ、折角(そば)に付いて居りながら之を未然に防止するたげの力量がなかつた自分にも、実に多大の罪があつたと思ふ。
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