一旦盲腸炎で失敗した悪霊が、再び秋山さん自身を捕虜にすべく計画し、たうとう之に成功して致命傷にひとしき大打撃を与へた手際は、実に悪辣と言はうか巧妙と言はうか、驚嘆するに余りあるものがあつた。
秋山さんは、先日綾部から帰ると共に、皇道大本の存在と使命との大体を取りあへず、日本の要所要所に知らせるのを以て、焦眉の急務と感じ、之が為めにはわざわざ大正六年度の前半期の「神霊界」合本を五六部用意してあつた。当時は大本神諭に接したり、大本の沿革を査べたりすべき参考書は、「神霊界」以外には一冊もなかつたのである。
自分が到着してから間もなく、秋山さんは早速その意図を自分に相談に及んだ。無論自分もこれに賛成はしたが、しかし執るべき方法に就きては、多少意見の相違があつた。焦り気味の秋山さんは、自分に同行を勧めるのであつたが、自分はそれに従はなかつた。
『どうも先方からの請待なしに、私自身が出掛けるのは不穏当と思ひます。引ツ張りには行つてくださるなのお筆先通り、私は飽まで受身になつて居ようと覚悟して居ます。何んだかもどかしいが致し方がありません』
『それなら私一人で出掛けてもよいが』
と秋山さんは少時考へた上で、
『矢張り二人の方が都合のよいこともありますな。よしよし香森君に行つて貰ひませう。自動車は岸君のを借りることにする……』
早速香森さんは呼ばれた。香森さんは用心深い人なので、多少躊躇の気味であつたが、秋山さんは之に拒絶すべき余地を与へなかつた。
『説明は僕がやります。貴下にはただ一緒に行つてくれればそれで結構です。早速出掛けませう。成るべく早い方がよい』
たしか六月の二十二日であつたと記憶する。秋山さんは軍服姿、香森さんは羽織袴で、岸さんの自動車に乗つて、某々顕官を訪問すべく、勢ひよく秋山邸を出発した。
二三時間の後に二人は帰つて来たので、その報告をきくべく自分達は奥の間の、紫檀の大卓子をかこずわ囲んで坐つた。
『いかがでした?』
と自分が促すと、香森さんが受取つて、
『イヤ烈しい烈しい! 私ア傍でハラハラし乍ら聞いて居ましたが、愕いたのは秋山さんの猛烈な予言!』
『ナニ予言! 什麼事を言ひました』
と自分は乗り出し気味になつて尋ねた。
『イヤ言ふ気も何もなかつたのですがネ』
と秋山さんは例の鋭い眼を輝かし乍ら、一生懸命に大本の専を喋舌つて居る中に、自然に腹から飛び出して了つたのです。抑へることも何も出来はしません。神さまが言はしたのだと私は信じます』
秋山さんの口から自然に飛び出した予言といふのは、その月の二十六日の夜に東京に大地震が起るといふのであつた。自分は之をきいた時に、直に横須賀に於ける宮沢君のヴエルダン陥落の予言を思ひ出した。
『飛んだことをして呉れたものだ』
と思つたが、後の祭で今更いかんともするに由もない。
秋山さん自身はと見ると、御当人は二十六日の東京大地震を確信し切つて居た。現在の自分ならば言下に之を否定したであらうが、当時の自分にはまだ経験が足りなかつた。宮沢君の予言は外れたが、秋山さんの予言は事によると当るかも知れぬ位の未練が勝つて居た。兎も角一遍秋山さんを鎮魂してその憑霊を査べて見ようと思つたが、秋山さんは其余裕を与へず、又もその足で××××のお邸宅に参向した。爰でも皇道大本の説明と共に、例の東京大地震説を発表したらしい。
当時の事を回顧する毎に、自分は遺憾千万の感に堪へぬ。秋山さん自分が悪霊のオモチヤになつたばかりでなく、自分も亦悪霊から虚を衝かれた。大本神諭に出て居らぬ予言などに、絶対正確なものは一つもない事を、万々承知して居る筈であり乍ら、矢張り断乎たる処置を執り得ずに、優柔不断な態度を取り過ぎた。
自分が秋山さんを鎮魂して、憑霊を査べにかかつたのは、この事の起つた翌日であつた。その時初めて自分は声を励まして憑霊を叱咤したが、惜い哉、秋山さんはモウすツかり悪霊の捕虜になり切つて了ひ、その正神なることを否定せんとする自分に対して不信認の意を表し出した。
悪霊の方では何処までも妨害の手をゆるめず、秋山夫人の狂乱状態は、この時分から一層猛烈の度を加へた。自分は最初の間、出来る限り温言もてなだめる事のみ努めて居たが、たうとう最後の鎮魂の時には、その憑霊に対して呶鳴りつけてやつた。
『莫迦ツ! 鎮まれ! 早く改心せんか』
生憎秋山さんは之を物蔭から聴いて居た。そして自分が夫人自身を叱つたものと誤解した。ドウもこの時から秋山さんは一層自分に対して、不平不満の念を抱き始めたやうだ。