自分の入つて行くのを見て、秋山さんの奥さんは、膝をかき合せて蒲団の上に起き上つた。初対面ではあるが、海軍士官の妻君気質は、決して他を外らすやうな事はしない。自分は最初から心置きなく話を交へることが出来た。秋山さんよりはづツと若く、病中ではあるがさして面憔れも見えず、白い、麗しい血色をして居られた。
暫時大本の話などして、それから鎮魂に着手したが、五分とたたぬに自分はその発動状態を見て、いささか愕きもし、又気の毒にも感じた。これまでの誤れる信仰の余毒は、露骨に夫人の鎮魂状態に現れて居たではないか。明かにある種の悪魔が憑依して、そして夫人の肉体に軽からぬ婦人病を起させて居たではないか。
自分は出来る丈の力を尽して、その悪霊を鎮め、大神さまの威力によりて改心の途につかするべく努めた。が、容易に此方の思ふ壺に嵌らず、悪霊は半ば恐怖、半ば反抗の態度を執りて、却つて暴れ狂ふ気配を示した。
血い道になやめる婦人の常として、多少は神経質の傾向があるものだが、秋山夫人にもそれがあつた。現代医学はこの種の疾患に対して、それぞれ巧妙な名称を付して居るのは甚だ結構であるが、ただ、その奥に霊の憑依があることを知らぬのは困つたものだと思ふ。実を言ふと、すべての神経的疾患に伴ふ諸現象は、悉く霊的発動の結果に外ならない。鎮魂の照魔鏡にかけられると、憑依物は悉くその正体を露出して了ふ。夫人に憑いて居る霊もやがてその正体をあらはし、又熾に言葉を切り出した。
かかる際に、その頭脳が十分堅実であつてくれれば、毫も懸念するに足らぬが、さもないと肉体は憑依霊のために引きずられて、散々その玩弄物になる。夫人は不幸にして憑霊に抵抗するには、余りに優しく又余りに肉体が弱つて居た。かくて自分の努力の甲斐もなく、次第々々に非常識な濫語と狂態とに向つて、深入りして行くばかりであつた。
両三日経つ中に、自分にはドウやち秋山一家を呪へる霊の何であるか、又其目的は那辺にあるかの目標が明かについて来た。
秋山さんが稲荷さんを迎へて来たのは、たしか七八年も前のことであつたらしい。その後稲荷さんは、霊分相当の守護を秋山一家に与へて居たのであつたが、昨年の暮、秋山さんが大本に来てから、稲荷さんの態度はガラリ一変して来た。現界の人間こそボンヤリした顔をして、今尚ほ艮の大金神さまの大立替大立直といふことを疑ひ、有神諭だの無神論だのと、愚にもつかぬ議論をして居るが、霊界の方では縦令稲荷さん程度の低い神でも、畏ろしい大審判の日の歩一歩と接近しつつあることを熟知し、とても駄目と知りつつも、一時なりと御神業のお邪魔をしようと悶き抜いて居る。秋山さんが綾部へ参拝したといふ事は、稲荷さんに取りては大恐慌の種子であつた。艮の金神さまは、改心した神と人との大守護神であるが、改心の出来ぬ神と人とに取りては、またなき大仇敵である。さてこそ稲荷さんは自家防禦の一策として、又自己を見棄てた秋山さんに対する復讐の手段として、早速秋山さんを盲腸炎に罹らせ、危く其一命を奪はんとした。
所が、秋山さんの信念は却々堅く、大神様の御守護があつて、容易にその目的の達し難しと見るや、今度はその鉾先を夫人の方へ向け直したのであつた。
ただこれ丈ならまだ処置は為易いが、件の稲荷さんの背後には、更に佞奸邪悪なる魔界の頭目が控へて居て、あらゆる声援を与ヘて居た。彼等は秋山さんの能力、才幹、及びその社会的地位を百も二百も承知して居た。この人に正しい信仰に入られては、神の道は比較的迅く日本の上下に判つて了ふ。さうなつては実に由々敷大事である。何事よりも秋山さんの信仰をぐらつかせて、破滅させねばならぬ。悪魔にとりては死活存亡の岐るる一大事であるから、その作戦の巧妙周到を極めたことは実に驚くべきものがあつた。日本海海戦の際に、秋山さんはバルチツク艦隊に対して、有名な七段備への策を立てたが、悪魔の秋山さんに対する計画も、をさをさ之に優るとも決して劣りはしなかつた。第一策が成らずんば第二策を探り、第二策が成功せねば第三策、第四策と、幾らでも陥穽を設けてあつた。
盲膓炎は蓋しその第一策であつたが、秋山さんは首尾克く之を切り抜けた。夫人の血の道は第二策であつたが、これは或る程度まで効果を収めた。立替の話をきいて、さなきだにあせり気味になつて居た秋山さんは、夫人の発動状態を見て一層心の安静を失つた。機略縦横、進んで敵の欠陥を突くといふやうな事には天下一品の材であつたが、泰然自若として、退いて守備を堅うするといふやうな事には、寧ろ不得手な人であつたから、案外悪霊からは乗ぜられ易かつた。
夫人が発作的に発動して、とりとめない事を口走るのをきいて、秋山さんほどの名将が色を失して、途方に暮れた気の毒な状態は、今も尚ほありありと自分の眼に浮ぶやうな気がする。