霊界物語.ネット~出口王仁三郎 大図書館~
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(九)

インフォメーション
題名:(九) 著者:浅野和三郎
ページ:165
概要: 備考: タグ: データ凡例: データ最終更新日:2025-01-24 22:22:00 OBC :B142500c43
 一週間(ばか)り郷里に滞在して綾部に戻つたが、折に触れて一日に一二度位は亡母(なきはは)の事、老父の事、郷里の事が想ひ出されてならなかつた。
 老夫婦の(うち)一人が欠けると、残つた方もめつきり衰へるものださうだが、父も気丈なやうでもモウ七十四歳だ。もしや、がつかりしてどつと病の(とこ)に就くやうなことでもなければよいが……』
 八月は(さいはひ)に事なく過ぎたが、九月に入ると、間もなく電報で父の危篤を(しら)せて来た。
『たうとうやつて来て了つた。今度も(また)駄目かも知れぬ』
 風声(ふうせい)鶴唳(くわくれい)で、その頃の自分はビクビクものであつた。早速(また)大本へ行つて大神様に祈願をしたが、今度は(なほ)るか癒らぬかの伺ひなどは立てなかつた。寿命があれば癒して戴けるであらう、無いものならば是非もないと、最初から生死の問題を度外に置く丈の観念がついて居た。
 兎も角も夜の急行で出発することに決めて、その準備(したく)をして居る所へ、急いで入つて来たのは篠原さんであつた。
只今(ただいま)私に神憑(かみがか)りがあつて、御親父(ごしんぷ)さんの御病気の事を教へられました。(もつと)も例の通り、何所(どこ)まで真実(ほんとう)なのか、一向(いつかう)当てにはされませんが……』
貴下(あなた)の守護神が什麼(どんな)ことを教へましたか』
『今度は変挺(へんてこ)な事をやつて見せましたよ。御親父(ごしんぷ)さんの病気を、私の身体(からだ)に移して見せてやるのだとか言つて、お蔭で大変苦しい目に逢はされました。どうも嘔気(はきけ)の止まらない御病気のやうです』
『経過の事については何といはれます?』
『先づ九分九厘(むつ)(しい)と言ひますが、先達(せんだつ)てもまるで嘘を教へられた所を見ると、今度もアベコベかも知れません……』
 試みに篠原さんを鎮魂して、自分の前で父の病気の実地をして貰つて見たが、成る程ゲーゲー、今にも小間物(こまもの)見世(みせ)でも()けはせぬかと思はれる程、嘔吐(おうと)の真似をして見せるのであつた。
 午後四時の汽車で自分は綾部を出発した。思へば三月(みつき)ばかりの間に、三度目の(あづま)のぼりであるが、一つとして胸を痛め、頭を苦しむる性質のものでないのはない。これは神諭の所謂(いはゆる)罪穢(めぐり)を取られるのか、それとも神さまから気を引かれるのか、何かは知らぬが、随分手きびしいと思はぬ訳に行かなかつた。これが両三年(ぜん)の自分であつたら、色を(しつ)して(あわて)騒ぎ、(すくな)からず醜態を演じたであらうが、未熟ながらも信念のあるお蔭で、心の底は案外に落ちついて居た。死中に(くわつ)あり、暗中に光ある心地がして、何事がありとも神のまにまにといふ決心だけは動かなかつた。
 が、其翌日いよいよ生家(せいか)の門をくぐつた時は、父の身の上は什麼(どう)かしらと、矢張り胸の動悸は一時に(たか)まつた。
 意外にも父の容態は思つた程悪くはなかつた。病症は医者に言はせると中風(ちうぶ)の種類で、一日に何回となく、発作的に半身の痙攣を(おこ)し、それが三十分(ぐらゐ)続いては()み、止んではまた起るのであつた。
『篠原の守護神()又人をかつぎ居つたな。嘔気(はきけ)だなどと嘘ばかり()きくさる!』
 心にかく思つたが、誰にもその話はしなかつた。後日(ごじつ)綾部に戻つてから、篠原君を鎮魂して詰問してやると、例によりて洒蛙(しやあ)々々(しやあ)したもので、其の言ひ草が(ふる)つて居た。
『あれは私の知つたことではありません。彼様(ああ)して見せたら、浅野が什麼(どんな)慌て方をやるか、試して見ろと、貴下(あなた)の御守護神に(たの)まれて()つたまででした……』
 兄は自分よりは二三時間遅れて(くれ)から(はせ)つけた。それから膝を交へて、父の病気について、いろいろ相談をして見たが、兎に角これが医薬で癒らぬ丈は疑ふべき余地がなかつた。父も兄もその他の人々も、当時()ほ大本の(をしへ)については、八九分の(うたがひ)(いだ)いて居るところであつたが、()うなつてはいささか()を折つて来た。たうとう自分が鎮魂して祈願をこめる事になつた。
 自分は一心に神示を仰ぎ、一週間で大体平癒すると断言して、(まづ)背水の陣を張つて鎮魂を始めた。ところが、最初一日に十数回にものぼつた痙攣が、翌日は八回に減り、又その翌日は五回に減り、且つ痙攣時間も次第々々に短縮して、到頭一週間の終りには、ただの一回も起らぬ所迄(こぎ)つけてしまつた。
 眼前この顕著なる神力を見せつけられた人々は、多少は感動せぬ訳には行かなかつた。ドウも父や兄の大本信仰の萌芽は、この時分から確実に発声しかけて来たやうだ。
 自分は十日(ばか)り郷里に滞在し、今度はいささか軽い気分になつて綾部に引きあげた。
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