一週間許り郷里に滞在して綾部に戻つたが、折に触れて一日に一二度位は亡母の事、老父の事、郷里の事が想ひ出されてならなかつた。
老夫婦の中一人が欠けると、残つた方もめつきり衰へるものださうだが、父も気丈なやうでもモウ七十四歳だ。もしや、がつかりしてどつと病の床に就くやうなことでもなければよいが……』
八月は幸に事なく過ぎたが、九月に入ると、間もなく電報で父の危篤を報せて来た。
『たうとうやつて来て了つた。今度も亦駄目かも知れぬ』
風声鶴唳で、その頃の自分はビクビクものであつた。早速又大本へ行つて大神様に祈願をしたが、今度は癒るか癒らぬかの伺ひなどは立てなかつた。寿命があれば癒して戴けるであらう、無いものならば是非もないと、最初から生死の問題を度外に置く丈の観念がついて居た。
兎も角も夜の急行で出発することに決めて、その準備をして居る所へ、急いで入つて来たのは篠原さんであつた。
『只今私に神憑りがあつて、御親父さんの御病気の事を教へられました。尤も例の通り、何所まで真実なのか、一向当てにはされませんが……』
『貴下の守護神が什麼ことを教へましたか』
『今度は変挺な事をやつて見せましたよ。御親父さんの病気を、私の身体に移して見せてやるのだとか言つて、お蔭で大変苦しい目に逢はされました。どうも嘔気の止まらない御病気のやうです』
『経過の事については何といはれます?』
『先づ九分九厘六ケ敷と言ひますが、先達てもまるで嘘を教へられた所を見ると、今度もアベコベかも知れません……』
試みに篠原さんを鎮魂して、自分の前で父の病気の実地をして貰つて見たが、成る程ゲーゲー、今にも小間物見世でも開けはせぬかと思はれる程、嘔吐の真似をして見せるのであつた。
午後四時の汽車で自分は綾部を出発した。思へば三月ばかりの間に、三度目の東のぼりであるが、一つとして胸を痛め、頭を苦しむる性質のものでないのはない。これは神諭の所謂罪穢を取られるのか、それとも神さまから気を引かれるのか、何かは知らぬが、随分手きびしいと思はぬ訳に行かなかつた。これが両三年前の自分であつたら、色を失して慌騒ぎ、些からず醜態を演じたであらうが、未熟ながらも信念のあるお蔭で、心の底は案外に落ちついて居た。死中に活あり、暗中に光ある心地がして、何事がありとも神のまにまにといふ決心だけは動かなかつた。
が、其翌日いよいよ生家の門をくぐつた時は、父の身の上は什麼かしらと、矢張り胸の動悸は一時に昂まつた。
意外にも父の容態は思つた程悪くはなかつた。病症は医者に言はせると中風の種類で、一日に何回となく、発作的に半身の痙攣を起し、それが三十分位続いては止み、止んではまた起るのであつた。
『篠原の守護神奴又人をかつぎ居つたな。嘔気だなどと嘘ばかり吐きくさる!』
心にかく思つたが、誰にもその話はしなかつた。後日綾部に戻つてから、篠原君を鎮魂して詰問してやると、例によりて洒蛙々々したもので、其の言ひ草が振つて居た。
『あれは私の知つたことではありません。彼様して見せたら、浅野が什麼慌て方をやるか、試して見ろと、貴下の御守護神に依まれて行つたまででした……』
兄は自分よりは二三時間遅れて呉から馳つけた。それから膝を交へて、父の病気について、いろいろ相談をして見たが、兎に角これが医薬で癒らぬ丈は疑ふべき余地がなかつた。父も兄もその他の人々も、当時尚ほ大本の教については、八九分の疑を懐いて居るところであつたが、斯うなつてはいささか我を折つて来た。たうとう自分が鎮魂して祈願をこめる事になつた。
自分は一心に神示を仰ぎ、一週間で大体平癒すると断言して、先背水の陣を張つて鎮魂を始めた。ところが、最初一日に十数回にものぼつた痙攣が、翌日は八回に減り、又その翌日は五回に減り、且つ痙攣時間も次第々々に短縮して、到頭一週間の終りには、ただの一回も起らぬ所迄漕つけてしまつた。
眼前この顕著なる神力を見せつけられた人々は、多少は感動せぬ訳には行かなかつた。ドウも父や兄の大本信仰の萌芽は、この時分から確実に発声しかけて来たやうだ。
自分は十日許り郷里に滞在し、今度はいささか軽い気分になつて綾部に引きあげた。