秋山邸内の空気は、それからめきめきと悪化して行つた。
自分はもつと詳しく書くつもりであつたが、いかにもしてこれ以上書く気がせぬ。恐らく時期尚早といふものであらう。今一段世界の形勢が進み、今一層世人の霊的理解が進んでから、全部を描出すべき機会もあらう。当分これ位のところで預りだ。
いふまでもなく六月廿六日の晩に、東京に大地震が起りはしなかつた。秋山さんや自分達がいかに一夜を過したか。その光景は今に歴々として自分の眼裡に残つて居るが、それは言はぬが花であらう。兎も角も自分等一行は、二十七日を以て秋山邸を引きあげて綾部に帰つた。
東京の秋山邸で大騒ぎがあつた如く、その間綾部の大本内でも大騒ぎがあつた。自由自在の神通力を具へたる出口先生には、東京のその日その日の様子が手に取る如く判つた。秋山さんの口から出たる東京の大地震の予言が、悪霊の邪魔であることは、先生には夙うに判つて居た。一時も早くその予言を取消して、一時も早く綾部に引上げよとの電報は、二十五、六の両日にかけて、十通ばかりも自分の所に送られ、尚ほわざわざ特別使者までも寄越された。それにも拘はらず、何故自分が二十七日迄も秋山邱を動かなかつたか。愚痴と言はば言へ、老婆心と笑はば笑へ、自分には最後まで秋山さんを見棄ててかへる気がせなかつたが為であつた。
イヤニ十六日の夜の、邪神界の妨害運動と言つたら酷いものであつた。この結果、秋山さんと自分との間には、危機一髪の、際どい際どい一幕さへ演ぜられんとした。自分が今尚ほ呑気な顔をして空気を吸つて居られるのは、偏に大神さまの御守護のお蔭である。自分の如きものでも、神様は見殺しには為たまはす、紫電一閃して、西の空から東の空へ瑞雲が棚洩いた。
後で聴いた話であるが、二十六日の夜の、大本内部の騒がしさは一と通りでなかつたさうだ。お宮といふお宮の扉が全部開け放たれたり、数十の役員信者を載せた船がお池で覆つたり、霊夢が頻々として幽界の実状を伝へたり。出口先生に素盞嗚尊の神懸りがあつて『常夜ゆく天の岩戸の開くなる今宵の空の騒がしきかな』の神歌が出たり、神風がだしぬけに吹き起つたり、総員夜を徹して一睡もせず、東の空に心を馳せたさうだ。
それは兎に角、この時を境界として、秋山さんの大本信仰は急転直下的に大動揺を来し、大本を捕へて邪神呼ばはりをすることになつた。長い長い悪罵の手紙が出口先生のお手許まで送られもした。但し、秋山さんの罵倒も余り長くは続かなかつた。何となれば秋山さんは盲腸炎の再発の為めに、敢なく帰幽されて了つたから……。
秋山さんの親友を以て任ずる海軍部内の某々将官連は、よく斯んなことをいふ。
『大本は邪教である、あの惜むべき秋山が、大本の為に後半生を誤つたではないか』
云々。ああ大本が果して秋山さんを誤つたか。それとも秋山さんが大本を誤つたのであるか。
自分は爰に露骨に一言する。秋山さんは天下に先立ちて、首尾克く大本の正しき信仰に入りかけたが、惜い哉神の大試練に逢ひて、之に躓いてしまつたのであると。
六月二十六日東京大地震の予言は、大本神諭の教ふる所でもなく、又自分などの入智慧でもなく、全然秋山一個の予言であつて、大本と全然無関係である。どうも秋山さんは立派な人ではあつたが、余りに焦り過ぎ、余りに神諭の教訓を無視し過ぎ、余りに自己の力量を信じ過ぎ、又余りにいろいろのヤクザ神に関係をつけ過ぎて居た。悪霊の乗ずべき隙間は可なり沢山あつた。東京大地震の予言の如きは、無論正神のお告げではなく、邪神の妨害運動であつた。
何人も心に多少の隙間のない人はないから、時々邪神の為めに乗ぜられて失敗を免れない。神さまは失敗に就きては極度に寛大であらせらるる。失敗はしても直に気がついて、自己の不明を謝しさへすればそれでよい。自分は秋山さんの誤れる地震の予言を格別悪いとは思はぬ。自分などもうつかりすると、よく間違つたことを言ふ。ただ、秋山さんは自己の不明の為めに間違つた予言をした癖に、省みて自己を責めずして、却つて大神さまを怨み、罵り又嘲つた。お門違ひも甚だしい。
全く以て残念至極なことであつた。秋山さんが一代の俊傑であつた丈それ丈、自分は今に当時を追懐して痛惜に堪へないと共に、自分の微力がくやまれてならぬ。
が、死んでから間もなく、秋山さんの霊魂は、生前の過失を悟つたやうだ。大本霊社には秋山さんの霊魂が祀られて居るが、その五十日祭の時に、秋山さんの霊魂は霊媒に懸つて来た。態度、音声等までそつくり生前の秋山さんそのままになり、自分に向つて斯んなことを言つた。
『あの時は貴下のお言葉をきかないで飛んだ失敗をして了ひ、たうとう斯んな取りかへしのつかぬ事になりました。仕方がない、これから霊として大いに行ります。惣領の子供は呉々も貴下にお頼み致します。それから××大将も是非早く信仰に導いてください……』
これで一と先づ秋山さんの事に就きては筆を擱くが、ただ最後に秋山さんの親友と称する海軍の某々将官連に一言を寄せて置く。
『貴下方は、いろいろ大本の事やら、大本と秋山さんとの関係やらを仰ツしやられるが、それが果して故人の霊魂の真意に添ふでせうか。それとも故人は、貴下方の頑迷固陋を歎息して居られるでせうか』と。