霊界物語.ネット~出口王仁三郎 大図書館~
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(五)

インフォメーション
題名:(五) 著者:浅野和三郎
ページ:219
概要: 備考: タグ: データ凡例: データ最終更新日:2025-01-24 22:22:00 OBC :B142500c58
 三郎(さぶ)の命拾ひの話をした以上は、順序として、美智子(みちこ)誕生の話をせんければならぬ。美智子は大正七年の七月二十五日並松(なみまつ)(うま)れた。自分()夫婦の間のたつた一人の女の児だ。
 思想が唯物的に流れた現代人士は、何事に対しても物質の上からのみ解釈を試みたがる。妊娠の説明なども矢張りその(せん)に漏れない。無論それが決して全部誤謬(あやまり)といふのではない。立派な半面の真理ではあるが、しかし、()のより重大なる半面の真理を閑却して居る。(ほか)でもない、姙娠の鍵が神様に握られて居るのを無視して居る事だ。人間の夫婦の(ちから)のみで子を生み得ると思ふと、それは飛んでもない間達ひである。夫婦は(むし)ろ神の傀儡(くわいらい)として盲目的行動を執るだけで、神様は素知らぬ顔をして、(かげ)から人間の夫婦を自由自在に操つて御座る。性欲は(おそ)らく人間の属性であらうが、清き愛情の出発点は(たしか)に神に在る。この二者はしばしば合同しても働くが、又離れても働き得る。前者は衝動的、後者は持続的、その間に(おのづか)截然(せつぜん)たる区別があると思ふ。
 子供が人間の力のみで生み得ぬことは、事実が立派に証明して居るから、抗議の余地はないと思ふ。人生(まま)ならぬ事の多い中に、(うま)れる子供もその一つだ。モウ沢山と云つて居る夫婦の間に、(いや)が上にも子供が(うま)れたり、手を(あは)せて拝む程(ねが)ふ所に、最後まで一人も(うま)れなかつたり、男の児を求むる所に女の児が(うま)れ、女の児を欲しがる所に男の児が(うま)れ、一方に(あつら)へ向きの玉のやうな子宝を得て歓ぶ家庭があるかと見れば、他方には()た目と見られぬ子どもを生んで、(うれ)へ悲しむ夫婦もある。これが人間業でないことの活きたる証拠でなくて何であらう。自分の注文通り、工夫通りの児が出来た(あかつき)に、唯物論者は意張つても遅くはない。それが出来ぬ間は、黙つて小さくなつて、引込んで居るより仕方があるまい。
 議論めきた事はヌキにして事実を語らう。自分()夫婦の間には最初三人までは非常に規則正しく男の児のみ(うま)れ、(いづ)れも年齢(とし)が三つ違ひであつた。ところが其後はパツタリ杜絶(とだ)えて、十年の星霜を重ねて了つた。
『ぜひお嬢さまがお一人おありにならなければ……』
 などと、出入りの者などがよく言つたものだ。妻も自分もそれを欲しいと思はぬではないが、こればかりは人間の智慧でも学問でも及ばぬことであるから、子供は男の児三人切りと観念して、全然断念(あきら)めて(くら)して居た。
 すると大正五年の春から例の鎮魂修行、出来た二三の神憑者(かんがかり)(くち)からは自分()夫婦の間に久しからず子供が(うま)れることが漏らされた。
『神界ではモウ立派に決つて居る、其所思(つもり)で居れ』などとよく言はれたものだ。自分が人間の生死の問題に関して、(いささ)か霊的研究の()を進め出したのはその時分からの事で、幾多の実証実例に就きて考究した結果、ドウも神界の役場ともいふべき産土神には、人間の生も死も余程前から判つて居ると信ずべき幾多の理由がある。ただ生死の問題は幽界の秘事(ひじ)で、大体に於て人間には決して(もら)してくれない。(こと)に死といふ事は極秘中の極秘のやうだ。百弊(ひゃくへい)あつて一利(いちり)なきが為めであらう。人間はこの点に関して全然盲目(もうもく)であり、明日(あす)死ぬまでも、その間際まで一心に働かねばならぬ運命を()つて居る。
 それは兎に角自分達は綾部に移住して約一年、子供の(うま)れることなどは全然忘れて了つた時分になつて、(はか)らずも妻に奇妙な霊感があつた。
 ()(まさ)に明け離れるに近い午前四時頃、突如として妻の枕頭に(あらは)れ給うたのは素盞嗚尊さまの御神姿(ごしんし)であつた。御顔に微笑を(うか)べさせ、お言葉もいと優しく、
(そなた)肚裡(おなか)には数多くの(たま)がある筈、一度(それ)を吐き出して見せよ』
 意外の(あふせ)に妻は(かつ)驚き、(かつ)怪しみ、(おそ)(おそ)る答へた。
(わたくし)には其麼(そんな)ものは(ござ)いませぬ』
『イヤ(たしか)にあるのぢや、早う致せ』
 有る筈がないと思ひつつも、神命もだし難く、軽く呟払(せきばら)ひをして見ると、意外にも一連の(たま)がソロソロと(のど)から出た。
 赤、紫、水晶、黄、青、緑などとりどりの色を帯びて、眼のくらむほどうるはしく、そして珠の数は三十(ばか)りと数へられた。神様は点頭(うなづ)きたまひて、
『むむそれでよしよし、元の通りに肚裏(はら)に収めよ』
 との(おほ)せ。妻は内心では、斯麼(こんな)ものをとても()み込むことは出来まいと思ひ乍らも、()むことを得ず(くち)(あて)て見ると、不思議にも何の苦もなく、スルスルと咽喉(のど)へ入つて了つたのであつた。
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